「……ああ、約束だ。――――彩雪」

「晴明、様……」

「……」


 正直、これは子供の教育上よろしくない。大変よろしくない。

 これは外野に嫌がらせをしているのか? こっちは彼らが来る前からずっとここにいたんだが、どうしてこっちが邪魔ですみたいな雰囲気になってる。

 男は苛立っている。

 彩雪という少女が晴明の身体にのしかかった辺りから標の目を手で覆っている。

 口端をひきつらせ、朱雀を睨めつけた。死なない程度の傷を負った神鳥を治療しないのは、せめてもの意趣返しだ。勿論、暫く放っておいても死にはしないと分かった上で、だ。


「何で黄泉の世界で他人の接吻見なくちゃなんねーんだよふざけてんのかオイバラすぞ若造共」


 棘だらけの文句を言うと、朱雀は小さく鳴き、顔を背けた。こっちの知ったことか、とでも言わんばかりである。

 舌を打つ。
 しかし無理に入って止めようとしない辺り、二人のことをちゃんと気遣ってはいるようだ。

 その遙か上で、扉が閉まる嫌な音が聞こえる。


「オイ、そこの鳥。お前の主人達、これ以上いちゃついてる暇は無えぞ」

「……」

「言っとくがな、こっちは黄泉の王の頼みでこいつを守ってるだけだ。それ以上のことは何もしねえからな。てめえらのことはてめえらでどうにかしろよ」


 突き放すように言う。
 それは朱雀の方も分かっているようで、小さく鳴いて返すだけであった。

 男は鼻を鳴らす。

 嫌がらせだと思うくらい、目の前の二人は勝手に会話を続けていく。


「さて……、これからどうするか、だな」

「……、……道満さんを、止められないでしょうか」

「……」


 そのままの状態で会話を続けるのかお前らは。
 舌打ちしこめかみを痙攣させる。
 それでも、やはり彼は会話を中断させようとは思わないのだった。

 だが、男よりも現状に耐えられなくなった者がいる。


「わたし、出きる限りのことは――――」

「仙人さまー、見ーえーなーいーよー!!」

「わっ!?」


 標が大音声で抗議する。

 彩雪が我に返って上体を起こした。


「し、標さん……ちょっと待って下さいね。今は物凄ーく教育に悪い二人がこっちのことを忘れて自分達の世界に浸りやがってるので。あんまり続くようでしたら責任持ってバラして焼いて差し上げますね」


 宥めるように言う男の言葉に、標は即座に反応した。


「焼く……美味しいものだ!」

「狐の肉ですからね〜」

「ご、ごめんなさい! 忘れててごめんなさい!」

「おい今忘れててっつったかクソガキ」


 声色低く脅かすと彩雪は青ざめて晴明の上から退く。

 これ見よがしに嘆息して見せた男は、冷めた目で晴明を見下ろし、


「時間も限られていますし、あなたに手を貸すことは約束のうちに入っておりませんので、診察してあげませんからね」


 男の言葉に晴明は頷いた。
 傷だらけの身体で男に向き直り、深々と頭を下げる。


「構いません。……醜態をお見せして、申し訳ございませんでした」

「晴明様……!?」


 彩雪は主が神妙に謝罪する姿に衝撃を受けている。

 晴明は舌を打ち、「お前も謝罪しろ」頭を使んで無理矢理に下げさせた。


「この方は、」

「晴明さん。それを話す前に」


 男は晴明の言葉を遮り天を指差した。
 遙か上には、閉ざされた扉がある。


「あ……そうか。扉が閉じて……」

「いや、そっちではなくて」

「え?」

「誰かが落ちてきてますよ」

「えーっ!?」


 朱雀が鳴く。
 男の言うことをしっかり守って動かない標を守るように翼を被せ、上を睨んだ。

 彩雪が慌てるのを晴明が抱き寄せて静め、溜息をつく。


「落ち着け。敵ではない」

「え?」

「この気配は澪だ」

「澪!?」


 彩雪が驚いた声を上げた、その直後である。

 ぺた、と微かな音を立て、小さな影が着地する。
 かなりの高さから落下してきただろうに、反動など無かったかのように平然と立ち上がる影は、真っ先に、


「標!」


 朱雀の翼に守られる少女に駆け寄った。

 朱雀が翼を上げると、標が飛び出してくる。
 突進して抱きついた。

 この世界に落ちた影とは、瓜二つにして不思議な引力を目に備えた――――澪だ。


「良かった……澪に戻ってる」


 彼女の姿が元に戻っていることに、彩雪はほっと胸を撫で下ろした。

 ……だが、


「ヤバいですね」


 男は苦笑し、己の耳を塞いだ。


「あなた達も耳を塞いでおいた方が良いですよ」

「え……」


 男を振り仰いだ、まさにその時。

 大音声――――いやそれ以上の凶暴な音量の泣き声が、その場の人間達の耳を容赦なく攻撃してきたのである。

 彩雪はひきつった悲鳴を上げて耳を塞ぐ。
 が、時すでに遅し。攻撃をまともに受けた彼女は眩暈を起こしていた。

 男はやれやれと吐息を漏らす。
 ずっと会いたかった実姉に会えたのだから泣き出してしまうのは仕方がないことだが、標の泣き声はまさに凶器である。

 黄泉の王が黄泉にて死者を導く為に澪標へ与えた力。

 姉に与えた力は目に宿り、
 妹に与えた力は声に宿った。

 死者でなくとも、その効果は異なる形で発揮される。
 澪の目の力に強く引き寄せられ、標の言葉には逆らえない。

 加えて、生前姉以上に霊力の強かった標は力が若干変異し、泣き声が魂に損害を与えてしまう程危険なものとなった。これは黄泉の王の誤算であり、それが発覚した頃には力は標によく馴染み、どうすることも出来ない状態だった。
 標自身がしっかり制御すれば問題は無いのだが、精神が幼い彼女に全ての状況で制御するなどまず無理だろう。

 耳を塞いでいる男も、標の泣き声の攻撃が完全に防げている訳ではない。
 ただ、耳を塞ぐのと塞がないのとでは、受ける苦痛に大きな差があるだけ。
 男の鼓膜もじわじわと鈍痛を訴え、脳が微妙に揺さぶられるような不快感があった。耳を塞ぐのが遅れた彩雪達はその数倍の苦痛を得ている。

 一番近くにいる朱雀は翼で頭を隠してびくびく痙攣している。この中で最もキツい苦痛を味わわされているだろうが、四神の一柱であることが幸いして、傷ついた身体でも消滅とまではいかない筈だ。

 唯一妹の力が作用しない澪は、頭を撫でてあやす。
 元々泣き虫の標は、簡単には泣き止まない。


「標。ごめんなさい。寂しい思いをさせました。よく我慢出来たわね。偉いわ」


 もう逃がさないと言わんばかりに服を握り締めしゃくりあげる妹へ、澪は優しく声をかけ続けた。

 標がようやっと泣き止む頃には、当事者の双子と、いち早く耳を防御した男以外、ぐったりとしていたのは言うまでもないことである。



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