漆
全てを話し終えた後、ライコウは獄卒鬼を振り返る。
これで良かったのか――――獄卒鬼の正体を伏せて話したことを、視線で確認する。
獄卒鬼は物言わぬ。それは、肯定だった。
ライコウは溜息をつき、主君の指示を仰ぐ。
和泉は虚空をじっと見つめ、熟考する。
答えが出ると一つ深呼吸して、澪を見やる。
「……戻ろう。道満に歯が立たずとも、二人の助力になるくらいは出来る筈だ」
澪は大きく頷いた。
彼女自身、晴明や彩雪の安否が非常に心配であるし、開け放たれた黄泉、そこから出た八百の大怨を放置する訳にもいかぬ。
だってあの向こうには大事な人達がいる。
和泉達が行かずとも、己だけででも行くつもりであった。
源信が腰を上げ、金波銀波に歩み寄る。
「これからあの岩窟へ戻りますが……大丈夫ですか?」
「はい。俺達なら問題はありません。澪様が行かれるのに、どうして俺達が休めましょうか」
「先程よりは体調はましです」となおも案じる源信に力無く笑いかけ、弟の肩を叩く。
銀波も頷いて重たそうに腰を上げた。よろめいたが源信の支えを必要とせず自力で体勢を立て直した。
源信は気遣って二人の背後に立つ。
澪は二人に無理をしないように言い聞かせた。
金波銀波の消耗は激しい。それは澪自身にも言えることだが、敢えてこの事実は無視した。
「行こう」
「御意」
和泉がライコウに言い放ち、立ち上がる。
ライコウは和泉に頭を下げた後澪に歩み寄った。
「澪。金波と銀波にも負担をかける。我々が先に向かい、後からお前達が合流することも可能だが……」
澪は静かに首を横に振った。
「ライコウ様。私共のことはどうかお気になさいますな。黄泉の扉は、王が不在の今、私でなければ閉じることは出来ないでしょう。それに、黄泉の住人が、現世の方々に後始末を押しつける訳には参りません」
「そうか。ならばくれぐれも無茶な真似をしないように――――」
「――――そこは、俺達が目を光らせておけば良いさ」
後ろからぽん、とライコウの肩を叩く和泉。にこやかにライコウを呼ぶ。
ライコウはうっと言葉を詰まらせ澪から距離を取った。和泉と目を合わせようとしない。
澪は首を傾げた。ライコウに歩み寄ろうとすると、金波がやんわりと引き留めた。
「澪様。向かわれるのでしたら、早い方がよろしいかと」
「そうですね。では、向かいましょうか」
澪は頷き、空を仰いだ。
兄様、彩雪さん……どうか、ご無事で。
心から、願った。
‡‡‡
黄泉比良坂をへ近付く程、冷え切ったおぞましい黄泉の気が強まっているのを感じる。
八百の大怨の気配も非常に濃密に漂い肌を舐める。
扉は開け放たれたままなのだと、離れていても分かってしまう。
黄泉比良坂に至らずともこのような有様なのだ、すでに都に向かっていると考えられる。
都に駆けつけたいが、それよりも二人の安否とあの岩窟の状態を確認をしておかなければならぬ。一時的にでも扉を閉ざしておく必要があるかもしれない。
迅速に、一つ一つこなしていくのだ。
どうしても俊敏に動けぬ獄卒鬼を除く全員の足は自然と速まった。
黄泉比良坂へ飛び込むように入り、黄泉への扉が鎮座する岩窟へ至る。
大きな爪で引き裂かれたように地面が抉れ、壁にも苛烈な戦いの痕跡が残る痛々しい岩窟内には誰の姿も無かった。
静まり返った不気味な空気のみが満ちている。
「道満どころか、晴明と参号もいない……?」
和泉が僅かに色を失い、岩窟内を見渡す。
澪は顔色の悪い金波銀波を待機させ、黄泉の扉へと近付く。
あと数歩と言うところで、はっと足を止め、しかしすぐに駆け寄った。
澪の様子を不審に思った源信が後を追いかける。
中へ身を乗り出す彼女を後ろから抱くようにして引き留め、離す。
「澪」
「……一旦、中へ戻ります」
中から晴明様の気が感じられます。
声音は己が思う以上に固く強ばっていた。
源信が息を呑む。澪の脇から中を覗き込む。
が、闇に包まれた世界。何も見通すこと能(あた)わず、絶望に震えた吐息が漏れた。
聞きつけた和泉達も扉に近付く。
「澪……晴明達が、この中に?」
澪は源信に頷きかけ、立ち上がった。
中には、妹がいる。菊花がいる。
黄泉の王と親しくしていた大陸の仙人が側にいるとしても、晴明達に危険が無い訳ではない。
黄泉に慣れ親しんだ自分ならば、彼らを外へ連れ出すことも可能だ。
「皆様には、ここでお待ち下さい。生者が入れば、黄泉の住人が襲います」
遠回しに同行を拒む。
源信は一瞬困ったような顔をしたが、頷き、ゆっくりと離れた。
和泉は逆に澪に歩み寄り、
「無茶はしないでね、澪」
「はい。皆様も、道満様のこと、どうかお気を付け下さいまし。金波、銀波。あなた達は私が戻るまで、しっかり身体を休めておきなさい」
「御意」
「澪様、気を付けて下さいね」
金波も銀波も悔しそうだ。
本来危険を守る存在である自分達が、危険か安全かも分からない故郷に戻る主に同行出来ぬとは情けない……二人共、そう思っている。
なるべく、早く戻ろう。
「……獄卒鬼さん、小舟と金波銀波をよろしくお願いします」
「……」
獄卒鬼はゆっくりと手を伸ばした。
その大きな掌に小舟を乗せ、「良い子にしていてね」と頭を撫で、仕事寮に見送られて黄泉に飛び込んだ。
嫌な予感がする。
お願い、どうか皆無事でいて――――。
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