このままでは朱雀が完全に消滅してしまう!
 晴明は式札を取り出し素早く呪文を唱えて消えかけの朱雀に向けて放つ。
 式札が身体に触れた瞬間、吸い込まれるように朱雀が消える。
 仄かに赤く輝く式札が晴明の手元へ戻る。


「参号、これを持て」


 朱雀の宿った式札を彩雪に手渡す。


「わ、わたしが!?」

「お前の持つ勾玉は、元々調和を司るもの。道満によって乱された朱雀の気も、治るやもしれん」


 晴明は小声で彩雪に告げる。

 彩雪は瞠目した。
 無意識だろう。胸に手を当てた。


「朱雀を――――治せるんですか?」


 晴明は、首肯する。

 彩雪は息をすっと吸い込み、式札を胸に抱き締め、懐に収めた。


「……朱雀。意外に脆かったな」


 伸ばした掌に火の粉が舞い降り、霧散する。
 赤い目を細め道満は嘲笑する。

 圧倒的に力を増した葦屋道満。
 朱雀すらいとも容易く消してしまった彼は、もはや人とは呼べぬ。
 ライコウは、奥歯を噛み締めた。
 為す術無しなのか……?
 絶望が、胸を埋め尽くす。


「……参号。ライコウ」


 晴明が、道満の動きを注視したまま二人に囁きかける。

 彩雪もライコウも小さく頷いて応えた。


「……走れるな」

「え……」


 彩雪は察した。
 同時に、呆れ果てる。


「……走れます、けど。ダメです」

「……おい」

「傍にいるって約束したじゃないですか。晴明様だって、傍にいろって言いましたよね?」

「なっ」


 ライコウがぎょっと晴明を見る。ほんのりと、顔が赤かった。

 晴明はライコウを見、大仰に溜息をつく。


「……頑固だな」

「式神は、主に似るんです」


 彩雪は真顔で断じる。

 力強い言葉を受け、晴明もつられるように小さく笑った。


「……ああ、そうだったな。ならば――――頼むぞ。ライコウ。お前は澪の方へ向かえ。あれの暴走は脅威だ。和泉達の安否が気になる」


 晴明が何をするつもりなのか、ライコウも察した。
 彩雪を一瞥し、大きく頷く。


「……分かった。では、この場は任せるぞ」

「ああ。……澪は無事に妹に会わせてやらねばならん。あれのことはお前達に任せるぞ」


 ライコウに残るという選択肢は無かった。
 仕事寮にとって、勿論道満のことは捨て置けぬ。
 さりとて仕事寮の仲間の危機を見過ごしてはならないのだ。
 まして、和泉が率先して囮になった。負傷したライコウを気遣って追わせなかった。

 ライコウは、澪に噛みつかれた傷を押さえた。隙を見て粗末だが応急処置を施した。どうにか血は止まっているようだ。
 和泉の従者たる自分がこのまま大人しくしていて良い筈がない。

 ちらり、と水に沈む塊を見やる。
 獄卒鬼だ。
 まだ、起き上がってはいない。気を失っているのか、それとも――――いや、きっと生きている筈だ。きっと、そう。
 獄卒鬼は黄泉を出て澪のもとに現れた。
 澪も彼のことは親しく思っていると態度から分かる。
 ここで彼が死んでしまったら、全て終わった時、澪は悲しむだろう。

 大丈夫。
 何もかも、上手く運ぶとまでは行かないだろうが、悪い結末は迎えない。
 仕事寮の面々が、良い結末を導き出そうと奮闘しているのだ。

 道満のことは、晴明と式神参号に任せて良い。
 彼らも頼もしい仕事寮の仲間なのだ。

 だから、自分は自分の役割を果たさなければ!


「決して無茶はするな」


 ライコウは二人の応えを待たず、駆け出した。



‡‡‡




 よろめく。
 ライコウの足が止まる。
 不本意ながら安静にしていたところに激しい運動を加えた為に、無いよりはましな急拵えの付け焼き刃処置が早速無効化されてしまったらしい。
 腹を押さえ呻く。

 走れない程の痛みではない。
 ライコウは深呼吸をして足を踏み出した。

 駆け抜ける。

 黄泉と現世を繋ぐ暗い洞窟を出れば、彼を阻む影が数多在った。
 引き寄せられたアヤカシ達だ。
 こんな時に!

 得物を抜き、身構える。咄嗟に身体を捻った為、脇腹の痛みが増した。
 呻きそうになる声を押し殺し、ライコウは先制攻撃を仕掛けた。
 前衛のアヤカシ数体を一閃で薙ぎ払うが、その奥からアヤカシがライコウに躍り掛かる。

 太刀ではなく拳で殴り飛ばし、次々と襲いかかるアヤカシ共を確実にしとめていく。

 数が多い。
 ライコウは舌打ちした。
 ここで時間を無駄にする訳には……!

 一斉に飛びかかってきたアヤカシを一刀両断したライコウ。

 その背後に大きな気配が迫る――――。

 それは息を殺そうともしなかった。
 殺気でも怒気でも狂気でもない……重厚な存在感を知らせるかのように、ライコウへと急速に迫り来る。
 この存在感を、ライコウはつい最近に知った。

 忘れておらねばこそ、安堵を得た。

 ライコウは横に跳躍した。
 先程まで立っていた場所を一瞬で駆け抜けた影に違和感を覚えたライコウは、次の瞬間、唖然と顎を落とした。


「お、お前は……?」


 大きな長柄の斧を片手で軽々と振るい、アヤカシ共の身体も敵意も全て吹き飛ばしたそれは、ライコウの記憶とは合致しない姿をしていた。
 人間の姿だ。

 しかも――――。


「せ、晴明……!?」

「いや……違う」


 斧を肩に担ぎ、ゆっくりと振り返る。


 顔も体格も、安倍晴明にそっくりだった。


 ただ、服は漆黒の狩衣、髪は短く丸くまとまっている為に小顔に見える点が、違う。強いて加えるなら、安倍晴明の外見よりも一つ二つ歳下のように思えなくもない。

 だが本当にそれだけの違いだ。あまりにも似すぎていていつの間に髪を切ったのか、何故己の式神参号を残して自分を追いかけてきたのか、感情荒げて問い詰めようとしてしまった。

 茫然としているライコウに、見た目に似合わず岩のような存在感を放つ青年ははあと溜息をついた。少し面倒そうに柳眉を顰(ひそ)める様は、晴明にそっくりだ。


「自分は……あの獄卒鬼です」

「あ、ああ……そうなのか。人の姿にもなれるのだな」

「本来の姿はこちらです。故あって、澪達に素性を知られてはなりませんので」


 獄卒鬼の重厚な気配でありながら、まるで斧の似合わぬ華奢で清廉な青年は、名をハルと名乗った。
 詳しい説明をする暇は無い。
 吹き飛ばされ戦意を喪失したアヤカシ共が復活する前にと、ハルはライコウの脇腹に手を翳(かざ)した。

 ややあって、痛みが緩和していくのだ。


「応急処置です。血止めと、部分的に痛覚を麻痺させ、治癒速度を多少早めるまじないをかけています」

「有り難い。感謝する、ハル殿」


 ハルは頷き、先頭を走り出した。

 ライコウも、追いかける。


 この暫く後、二人は和泉達に合流する。

 その際、澪に素性を知られたくないハルは、彼らの姿が見える前に、あの鬼の姿へと戻った。



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