参
ここから先は、私が先導します。
澪はライコウを呼び止め、大股に前に出た。
これより向こうは黄泉へ続く道。今は特に黄泉から漏れ出た死者がこの道をさまよっているかも分からない。死者は生者に助けを求める。求めても何もしてくれない生者を道連れにする。或いは、その身体を奪おうと襲いかかる。
澪が先頭に立っていれば、彼らは忌避する。戻されまいと岩影に隠れ、逃げ去っていく。
温情で与えられた役目もこういう時にはとても役に立った。
道は暗い。
暗い暗い黄泉比良坂を進んでいると、奥から金属音が聞こえ始める。鉄をぶつけ合うような音だ。
時にどおんと、地面が揺れる。まるで何かを地面に叩きつけたようだ。
和泉達が警戒を強めるのが背後から伝わる。
澪は声を掛けることはせず少しだけ足を早めた。
彼女には、音の理由が手に取るように分かる。ここが、自分の領域に程近い場所であるからだ。
警戒する必要は無い。今から、彼らと合流するのだから。
────見えた。
大きな岩がそこに在る。
澪は笑みを浮かべ、岩に歩み寄った。
「獄卒鬼さん。怪我はありませんか?」
岩はやおら頷き、緩慢に身体を反転させた。
見覚えのある恐ろしい形相。
北狄を連れて行った獄卒鬼である。
彼の足下には座り込む双子と、双子に寄り添う源信。
澪は源信の側に膝をつき、彼らの様子を確認した。疲弊はしているが、軽い裂傷や打撲ばかりで重傷は見受けられない。
「源信様。ありがとうございました」
「いえ……この方に助けていただきましたから。わたくしは、何も出来ていないんですよ」
澪は首を左右に振った。
金波銀波にもねぎらいの言葉を掛ければ恐れ入った様子で深々と頭を下げた。
和泉も澪の隣に屈み込み彼らをねぎらった。
源信は和泉に疲労の濃い笑みを浮かべ、
「壱号さんと弐号さんが先に奥へ向かっています。恐らくは、安倍様や参号さんと……沙汰衆の頭目がそこに」
源信が顔を向けたのは右の壁際だ。
ごつごつとした岩壁に凭れ掛かって肩で息をする老爺と、未だ絶入したままの艶めかしい青年。
澪は和泉達に源信達を任せ老爺に歩み寄った。獄卒鬼が地面を震動させながらついてきた。
老爺は澪を見上げ、にっこりと笑った。人好きのする、屈託の無い笑みだ。
「さすがに、獄卒鬼殿の爺には苦しゅうございました」
澪はまた深く一礼した。
「……家持(やかもち)様。手荒な流れとなりました。申し訳ございません。公一(きみかず)様も、私がこの手で」
「いや、いや。儂などに頭を下げますな。儂は……今は少ぉしばかり、安堵しておりますわい。それに、あなたはあれを殺した訳ではありますまい。手荒であろうと、ただ儂らより先に、黄泉に戻っただけのこと」
澪は引力を秘める目を伏せた。
ここが黄泉へと続く道であるからか、それとも黄泉の気が色濃く漂っているからか。
今この時、老爺はもう、東夷ではなく大避家持(おおさけのやかもち)であった。
澪は家持に手を伸ばし、触れる前に下ろした。立ち上がって源信達の側に戻る姿は、逃げるようだった。
そんな彼女に、家持は穏やかに声を掛けた。
「現し世に在りて、人の心に触れ……今のあなたは、少しだけ、儂らの愛した国を駆け回っていた子供達に似ておりますわぃ」
「……」
澪はぴくりと肩を震わせたのみ。言葉を返さなかった。
家持は目を伏せ、天井を仰いだ。
「……この爺、再び、先に逝きますぞい。どうか、宿願をお果たし下され────道満様」
家持は、沈黙する。
彼の前に残っていた獄卒鬼は家持の身体を片手で軽々と持ち上げ、北狄────磯羅空也(いそらのくうや)の細い身体も肩に担いだ。一度だけ澪達を振り返り、身体の向きを変えた。黄泉の門が鎮座する奥へと、歩き出す。
が、しかし────。
「!」
────ほんの一瞬だ。
漂ってきた異質な気配を捉え、澪は血相を変えた。
獄卒鬼も立ち止まった。澪をもう一度振り返り頷いて肯定する。
澪の感じた気配は、当然金波銀波にも伝わった。
「澪様! 門が……!!」
「門? 門とはまさか、」
「大丈夫。門は、まだ完全には開いていません」
気配は一瞬にして通り過ぎた。完全に開いたのならば、気配はもっと濃厚で、煙のように澪達の身体に絡みつく筈。
きっとまだ、彩雪さんの中にある勾玉に気付いていないんだわ。
でもそれは時間の問題。相手は、葦屋道満なのだ。
澪は立ち上がった金波銀波を呼び、駆け出した。
「澪!!」
「私達は先へ参ります! 獄卒鬼さん、皆様をお願い致します!」
彼らの呼び声に厳しく返し、澪は獄卒鬼を追い抜いた。
獄卒鬼が何かを言いたげだったが、それどころではなかった。
‡‡‡
欠けているのは何だ。
剣、鏡────欠けたる箇所も欠けうる箇所も無し。
ならばそれは────。
勾玉以外────何があろうか。
声が聞こえる。
暗闇の中男は後頭部を掻いた。
「これは……面倒なことになりましたねえ」
困ったようにぼやく。
けども、彼は動くつもりは毛頭無かった。黄泉の王に手出しを赦されていないのだ。
黄泉の王に任されたのはただ、足下に座り込み、片割れと同じく、姉のように慕う少女に抱き締められあやされる少女の側にいてやること。そしてそれは、彼女の片割れが戻る時まで。
男は少女達を見下ろし、天を仰いだ。
そこに、一瞬だけ光が射した。
彼らの周りに蠢く無数のモノが一斉に飛び上がるも、光が失せれば途端に力を失い落下する。
だが、光が射した場所に在る扉が完全に開かれるのも、もはや時間の問題だろう。
「小舟と澪さんがご無事なら、良いんですが」
「……無事……?」
「ああ、すみません。不安にさせてしまいましたね」
泣きはらした顔を重そうに持ち上げた彼女に笑って見せ、男は腕を組んだ。
「まあ、彼ならば小舟を傷つけることは無いでしょうし、ここは余裕こいて待っておきますか。ねえ、菊花さん」
菊花と呼ばれた、抱き締めている方の少女は小さく頷き、唇を引き結んだ。腕の力を強くして、顔を上に向ける
「……道満様」
苦しげに吐かれた、人名。
菊花にとって掛け替えの無い大切な愛しい人。
男は菊花を見つめる少女に手を伸ばし、そうっと優しく頭を撫でた。
「怖いでしょうが、もう少し、頑張って待っていましょう。お父様も、じきに元の姿に戻ります。……でないと俺がマジで困るんでー……」
……まあ、あいつが戻らないままだったとしてもぶん殴って頭解剖して脳味噌入れ替えて無茶な術を施してでも正気に戻してやるがな。
低い声音で漏らしたのは、彼のまったき本心である。
菊花が小さく身体を跳ね上がらせたのに、男は一転、朗らかに笑いかけた。
もし、この時、この場に仕事寮の者がいたとしたら。
さぞ驚き目を疑ったことだろう。
男が側に立って守っている少女は澪に。
少女を抱き締めて放さない菊花は彩雪に。
それぞれ瓜二つなのである。
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