玖
逃げぬようにと和泉に腕を掴まれ、澪は巻き込むつもりの無かった彼らと共に目的地へと進む。
ライコウは、やや離れて前方を歩いている。
獄卒鬼のお陰で怖じ気付いているとは言え、アヤカシの数は平素よりも異常に多い。その為、ライコウが先んじて行く先の安全を確認しているのだ。
不如意な状態に、溜息が禁じ得ない。和泉の側にいるにも拘わらず、何度も溜息をついた。
そろそろ十は超えただろうかという頃になって、さすがの和泉も苦笑混じりに澪を振り返る。
「そんなに俺達に来て欲しくない?」
「次代の皇(すめらぎ)の自覚を持って下さい。皇辺(すめらべ)に危険を寄せるなど……私が黄泉の王よりお咎めを受けます」
「ということは、澪の妹や、漣も源信も、晴明達だって危険だってことだろう? なのに俺達がその場にいないって、何だか不公平じゃない?」
「……公平不公平の問題ですか」
「そういう問題。……それに、いざとなったら俺が黄泉の門を閉じなければならないだろうし」
ふと真剣味を帯びる和泉に、何も言えなくなる。
確かに、澪では黄泉の門は閉じれない。門の守護者、黄泉の王の力を以て閉じれるのだ。
黄泉の王の温情でお役目を任された澪達には、その権利が無い。
けれども和泉なら────三種の神器があれば、門を閉じることも出来る。
……あまり、門が開いているとは考えたくもないけれど。
それは最悪の状態だ。
その場合の対処も考えておかなければならないが、今はまだ、少しでも楽観的に考えておきたい。最悪の事態に陥った時、小舟も標も、危険に晒される。
澪と違って戦う力を持たない標と、澪の為に無茶は出来ないが澪と標の為に必死になるだろう小舟と。
今は二人が無傷であることを信じていたかった。
でももしそうでなかったとしたら────。
渋面を作る澪に、和泉は目を細める。苦笑を深めて足を止めた。
えっとなった隙に腕を引かれた。肩を抱き寄せて頭を軽くぶつけてきた。
唐突な行動に驚いたか、心臓が跳ねた。
「澪には感謝してる。勿論、源信や漣達にも、きっかけをくれたライコウにもね」
「あの……」
「あの時の折鶴、その一つ一つに書かれた拙(つたな)い文字全てが本当に嬉しかったんだ。もし君があれを俺に届けてくれなかったら……俺はきっとそのまま生きることを止めていたと思う。こんな俺を慕ってくれる人達のことも知らないまま、ただただ無機質になってさ……何かを考えたりとか、誰かを思ったりとか、そんなことも出来なくなって。本当に、馬鹿で無価値な人間に成り下がっていた」
気付けたのは、澪の持ってきた折鶴と、そこに綴られたそれぞれの言葉のお陰。
澪が、仕事寮の仲間が、自分を慕ってくれる人々が、いたからこそ。
自分の存在を自覚し、自分の力を信じることも出来たし、こうして乗り越えられている。
だから────と。
澪と間近に視線を合わせ、すっと離れる。一瞬それを惜しいと思ったのは、何故だろう。
「君が在るべき場所に帰ってしまう前に、少しでも恩返しがしたいんだ。相容れることは出来なくたって、馴れ合いはしても良いんだろう?」
片目を瞑って、和泉は再び歩き出す。
また腕を引かれ同じ歩幅でライコウを追う。
彼はやや眦をつり上げて、二人を待っていた。
「宮、今は立ち話をしている場合ではありません」
「ひっどいなぁ。立ち話は立ち話でも、大事な立ち話だったんだよ?」
「……大事な?」
ライコウは胡乱げだ。半眼になって和泉を見やる。
「そうそう。ライコウがきっかけをくれて、澪が気付かせてくれて、皆が俺を支えてくれていて────感謝してもしきれないだろうけど、少しでも恩返しをしないとねって。まずは、帰っちゃう前に、澪に」
「……そうですか。では、立ち止まらずに、拙者から離れないで下さい」
「分かってるよ。ごめんごめん」
和泉は笑って言う。謝っている風にはとても見えない。
ライコウは渋面を作りやおら溜息をついた。
それから、「ああ、そうだ」と和泉が懐を探る。
「澪に返さないといけない物があったんだった」
「……私に?」
折鶴か? ……いや、それは無いか。
あの時あんなにも愉しげな笑みを浮かべておきながら、そう簡単に返す筈もない。
だがそれ以外に和泉に預けた物なんて無い……と思う。
首を傾ける澪に、和泉が差し出した物は────。
琥珀。
澪はぎょっとして自分の懐を探った。
無い。
「え? い、いつから……」
「澪が倒れた後かな。そのまま澪が目覚めた時には前の澪に戻って、結局返しそびれちゃってたんだよね」
……そう言えば、学び屋に着替えに戻った時には、すでに無かったような────。
私、どうして気付かなかったんだろう。
とても大事な物だったのに、なんてこと……。
返された琥珀を両手で大事に持って、懐に入れる。ちゃんと入ったのか何度も確認した。
「気付いてなかったの?」
「全く……学び屋で着替えた時に気付かない筈がないのに」
「獣の澪から戻ったばかりで、まだ意識が完全じゃなかったってことじゃないのかな」
「そう、かもしれません」
頷きつつ、心の中では疑問が浮かぶ。
本当に、そうなんだろうか?
それでも私、これが大事だって分かると思うけれど────なんて、獣の自分を買い被っているのかしら。
琥珀を収めた懐を押さえて思案していると、ライコウに頭を撫でられる。
「何度か錯乱してもいたのだ、精神的に追い込まれていたのかもしれん。もし苦しくなったら、いつでも言うんだぞ」
「はい……」
「ライコウ?」
「……」
和泉に軽い調子で呼ばれた瞬間ライコウは苦々しく澪から離れる。背を向けて足早に歩き出した。
不審な様子にライコウこそ疲労が溜まっているのではないかと追いかけようとすると、和泉に腕を引かれる。
「前方確認はライコウに頼んで、俺達は後方確認。良いね?」
「あの、しかし……ライコウ様はお疲れなのでは……」
「大丈夫大丈夫」
……何を以て、大丈夫だと言っているのか。
澪は怪訝に和泉を見上げ、ゆっくりと小首を傾げた。
琥珀の存在に気付かなかった自分も不思議だが、和泉とライコウの様子も、少しおかしい。
これも疲労故なのだろうか……?
歩きながら、二人の様子を窺う。
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次は源信達と合流させます。
彩雪達とは、まだまだです。夢主視点と彩雪視点を切り替えながらがもう暫く続きます……。
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