それから暫く、ライコウは泣き続けた。
 こちらは急いでいるのだけれど、少しでもその場を立ち去ろうとすると普賢丸が止めるように肌に噛みついてきた。その痛みに悲鳴を上げなかったの自分を褒めたい。

 やむなく見守り続けていると、ライコウは長々と震えた吐息をこぼし、少しの沈黙を置いて再び和泉に向き直った。
 再び、跪く。
 深々とこうべを垂れ、


「承知……いたしました。我が命、御衣黄の宮に捧げまする。如何様(いかよう)にもお使いくださいませ。ここに貴方への永劫の忠誠を誓います」


 和泉は、鼻を鳴らした。


「当然だよ。まったく」


 そう呟いた直後、全身から力を抜いてその場に座り込んだ。
 ライコウよりも長い溜息をつきながらじとりと憎らしそうにライコウを睨めつけた。


「あ〜〜もうっ! 肩が痛いって。ほんと、ちょっとは手加減してくれてもいいとおもうよ? ライコウ」


 文句を言う和泉に、ライコウは微笑んだ。片眉を上げた。


「拙者は最初に言いましたが? 一切の手加減は致しません、と」


 とはいえ、太刀を振るう間は、少々恐ろしかった。
 目を伏せて笑みを消すライコウを見上げ、和泉は「そんなにいい筋だったかい?」と軽口を叩く。

 ライコウは和泉を見下ろし、


「……いえ、もちろん、宮の太刀筋は悪くなかったですが、何度か踏み込みが甘い時があり……」

「……うっ」


 始まったのは、剣の師からの指導である。
 ライコウから視線を逸らし、迷惑そうに顔を歪める。


「今は勘弁してくれよ。────ねえ、澪」


 話を振られ、少しだけ驚いた。
 和泉はこちらを見、微笑みながら手招きした。

 ライコウも分かっていたようだ。澪に小さく頷いてみせる。

 側に寄ることを許可された。
 澪は苦笑し、普賢丸を抱いたまま二人に歩み寄った。


「澪もそう思わない?」

「……」

「澪?」

「いえ、あそこでライコウ様がお亡くなりになりましたなら、私達のお役目のお手伝いをしていただけたかもしれないなと思うと、ちょっと残念だと思いまして」


 真顔で言ってみせると、ライコウが顔を強ばらせてたじろいだ。


「それ、は……」

「あー……はは……ちょっと、それは遠慮させてもらうね」

「分かっております。普賢丸はお返ししますね」


 言葉と同時に普賢丸を放つ。ばさりと大きな翼を広げ、ライコウの腕へ。
 ライコウは相棒に謝辞をかけ誇らしげな頭を撫でた。

 立ち上がった和泉も普賢丸を見、笑う。


「膝丸の配達だけじゃなくて、澪を戻してくれるなんて、本当、気が利くことで」

「……戻るつもりはなかったのですけど」

「だろうね」


 和泉は困ったように澪を見下ろす。


「なので、折角ですし、このままご指導をお受けにいなられたら如何でしょう」

「澪……」


 むっとする彼から離れ、澪は二人に頭を下げる。


「では、しかと見届けました。私は、これにて失礼致しますね」

「……いや。待って欲しい」


 澪を呼び止めたのはライコウだ。
 大股に歩み寄り、頭を撫でる。


「……すまない。澪の過去を、葦屋道満に聞いた。宮にも、先程」

「いえ……ライコウ様のことですから、和泉様にお話なさることは予想しておりました故に。それに、私にとっては、もう関係の無いことです。今は、妹達と共に与えられたお役目を果たすだけ」


 頭を撫でる手を両手で包み、「お気遣い感謝します」とライコウに微笑んで見せた。

 それに、ライコウも安堵したように微笑む。
 手を剥がしてまた離れよそうとすると、横合いから手が伸びて抱き寄せられた。

 ライコウの驚いた顔が右に移動したかと思えば視界は下へ。頭を強くぐりぐりと掻き混ぜるように乱暴に撫でられた。


「えっ、な、え……?」

「宮? 一体何を……」

「うーん、あんまり嬉しくないなぁ、って思って」

「は?」


 和泉はぐりぐりと頭を掻き混ぜ続け、ライコウに向けて言葉を続ける。


「ライコウ、あんまり澪のこと見つめちゃダメだよ?」

「せ、拙者は見つめてなど……」

「そうだったかな? さっき、澪とそれはもう、熱っぽく見つめ合ってたじゃないか。少なくとも、俺にはそう見えたんだけど?」

「あ、あの……宮?」

「……その前に、この手を止めていただきたいのですが……」

「んー……もうちょっとかな」


 私、早く行きたいのだけど……。
 澪は細く吐息を漏らした。今すぐにでも、標と小舟達のもとへ行きたい。気ばかりが逸った。
 少々乱暴に頭から手を剥がしたかと思えば、からかわれているのか今度は目を塞がれる。


「ちょっと、和泉様……」

「……ライコウ、俺の言いたいこと、分かるよね。長い付き合い、だもんね?」


 意味ありげに放たれた、少しばかり低い声に、ライコウが何かを察したように息を呑む。
 ようやっと手を剥がすと、ライコウがこちらを凝視しているのに少しだけ驚いた。


「あの……ライコウ様?」


 呼べば、彼は和泉と澪を交互に見、顎を落とした。


「宮、それは……その、本気なのですか? 何故……」

「うん。もちろんね。まあ、俺自身もここに来る前に分かったんだけど」

「ですが……その」

「うん。分かってる。だから、《今だけ》だ」

「今だけ……?」


 会話の意味が掴めずに和泉を見上げると、彼は小さく笑って澪を見下ろしてきた。その近さに困惑して逃げようとしたけれど、がっちりと腰を掴まれていては逃げられない。


「あの、意味がよく……」

「澪達とこうして一緒にいられるのも今のうちってことだよ。全てが終われば、君達は黄泉に帰るんだろう? だったら、それまで、仕事寮の仲間として手伝うよ。あっちには、晴明達がいるかもしれないしね」


 澪は渋面を作った。
 ……何だか、話が噛み合っていない気がする。話を別のものに変えられたような気がしてならない。
 探るように見上げるが、和泉は笑うのみだ。
 眉間に皺を寄せるとライコウが大きく咳払いをする。


「宮。澪は急いでいるのですから。我らもこのまま時間を無駄にする訳にはいかないのでは」

「分かってるよ」


 和泉は苦笑し、澪を開放する。

 澪は首を傾けながら、ライコウと和泉を交互に見た。怪訝な眼差しを避けるように、ライコウは背を向けた。


「参りましょう。宮。澪も……身体がキツければ拙者が背負うが」

「……問題はありません。ライコウ様も和泉様も、お疲れでしょうから」


 ……これは、諦めた方が良いのだろうか。
 少しばかり肩を落としてかぶりを振ってやんわりと断ると、ライコウは小さく頷いた。和泉に目配せして、


「念の為、お二人は拙者の後ろに」

「了解。任せるよ。ライコウ」


 ライコウは力強い応えを返し、大股に歩き出した。


「……あの、私は一人で、」

「まあまあ。源信もいるかもしれないし、仕事寮の仲間をこのまま放っておけないよ」


 和泉は澪の腕を引いて、歩き出した。

 私一人で良いのだけれど……。
 何度もそう言おうとするけれど、和泉はその度に澪を呼んで、遮った。


 ああ、もう。
 これじゃあ何の為に頼子を先に送ったのか分からないではないか。



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