「――――と、言う訳なんだけど」


 少し休憩を挟もうか。
 和泉はライコウを振り返り、苦笑を浮かべた。

 別に、この空気をそのまま維持させたいという意図ではない。
 このままやるべきことをやるには、ライコウはあまりに疲弊していたのだ。
 ライコウもそれに何も反応をしないと言うことは和泉に同意を示したと判断して良い。

 先に頼子を届けてから、けじめを付けるつもりだったのだ。
 澪が気を遣ってくれると分かっていたら、北狄をライコウに任せきりにはしなかった。

 澪はそうやって時間を《浪費》させているのだろう。己の目的に、和泉達を連れ立たない為に。あの獄卒鬼が澪を迎えに来た理由が、酷く気がかりだった。
 されど、だからと言って自分のことを疎かにする訳にはいかないのだ。とても、大事なことだから。
 和泉は築地に寄りかかって、笑みを消す。


「休憩がてらに、君が聞いた澪の過去を聞いても良いかい。ライコウ」

「……」

「澪がまつろわぬ民であったのなら、俺の先祖にも関わってくることなんだろう? なら、教えてくれ」


 ライコウは渋面を作った。
 話したくないのだ。和泉の為にも、澪の為にも。
 きっと、それだけ惨いのだろう。
 澪のおぞましい過去の片鱗は、北狄から小出しにされるようにして見せつけられていた。それに、隠れながら、北狄の腕に噛みついた時の牙も目にしている。

 それが、もし、自分の先祖の所為なのだとしたら。
 自分はその罪を知るべきだ。
 この時代を継ぐのであればそれが当然のことだと、思う。
 和泉はライコウを見据え、彼の言葉を待った。

 ライコウは渋面を作ったまま、視線を落とす。
 ようやっと口を開いたかと思えば、


「今の澪にとっては、もう関係の無いこと。澪の過去を知ったとしても、あなたは澪を化け物とは思わぬと、そう誓えますか。惨い罪に惑わされず仕事寮の澪として、最後まで接することが出来ますか」


 強い語気で、確かめてくる。
 それは、今の澪を慮(おもんぱか)ってのこと。

 和泉は暫しの沈黙の後、頷いた。

 ライコウは短く吐息を漏らす。
 ややあって意を決したように顔を上げ――――。


「遙か昔、まつろわぬ民の巣だと、朝廷に孤立せしめられた村がありました」


 その村は、更に昔に村に迷い込んできた女の抱えていた赤子を殺し、鬼として崇めていました。
 それ故に当時の朝廷には服従しなかったのです。
 語るライコウに、和泉は静かに向き直る。



‡‡‡




 ……重苦しい溜息しか漏れない。
 ライコウも沈痛な面持ちで、和泉から視線を逸らす。


「そもそもは、朝廷が原因だった訳だ」

「……しかし、それは」


 仕方のないこと。
 帝の威光を広め世を治める為には、背く者は徹底的に排除せねばならない。
 その影で、苦しむ者達がいようとも。

 神の子孫と言えど、所詮人間だから――――最良の選択が浮かばない。

 和泉は力無く笑った。


「ありがとう、ライコウ。話しづらいことを教えてくれて」

「……いえ。して、」

「大丈夫。ちゃんと受け止めているし、今の澪に対しては何も変わらないよ。ただ、俺とライコウが知っちゃったんなら、保護者の源信にも教えないと不公平かもね」


 まあ、源信は別に聞いたって聞かなくったって、どっちでも良いんだろうけど。
 和泉は笑いながら言って、一旦は収めていた小太刀を抜いた。

 それに応じるように、ライコウも数歩退がり、膝丸を構える。


「もう休憩時間はお終い……それで良いかい」

「ええ」


 休憩時間が終わり。

 休憩が終われば――――それぞれのやるべきことを、やる。
 ライコウはここにいる和泉を見極める為。
 和泉はライコウに答えを返す為。
 それを太刀で交わすとは何ともライコウ――――いや、自分達らしい。


「まだ疲れが残っていても、手加減はしないよ。お互い、必要なことだからね。だから澪もあの時気を遣ってくれたんだ」


 今の俺は、あの時のまま。
 そう、心の中で呟く。

 あの森で背を向けて去りゆく裏切り者(ライコウ)も斬れない、弱く未熟なまま。
 誰よりも近かったライコウにすら失望された、こんな自分が時代を受け継ぎ、都を背負うことなど出来よう筈がない。
 まして、澪の過去も罪として背負うことなど許されまい。

 今ここで自分の中に在る覚悟を確固たるものにしなければならない。
 それを小太刀を通してライコウに示して――――前に歩を進めなければならないのだ。
 自分が前に行く為に、大事なこと。

 澪も和泉がライコウに会って何かをすると、漠然と察していたのだろう。だからすぐにでも行動に移せるように頼子のことを引き受けた。……いや、自分の役目から和泉達を遠ざける為に利用されたのかもしれない。
 どちらにしろ、澪の気遣いを無下には出来なかった。

 和泉は一度小太刀を大きく振った。


「ライコウ。ちょっと遅れて申し訳ないけど、……あの時の応えを、持ってきたよ。俺は、俺の覚悟を小太刀(コイツ)に込める。お前は、お前の決意を持ってそれを受け止めてくれ。……そして、俺自身を見極めてくれ」


 ライコウも太刀を一度薙いで構え直し、これを応えとする。


「……そのつもりです。こちらが疲労の身とてご油断召さるな。一切の手加減はいたしません。全力でかかってきてください。さもなくば……」


――――貴方は、死ぬ。
 ライコウは重厚に断じる。

 和泉は無言を以(もっ)て応じ、


 同時に地を蹴った。



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