どしん、どしん。

 どしん、どしん。


 重き音は巨漢の足音。
 彼が足を踏み締める度、大事は微かに震動する。

 巨漢は人々の寝静まる細い道を堂々と進む。
 だのに、奇異なること。誰一人としてこの震動と足音に顔を出さなければ目を覚ましもしないのだ。
 大小様々な黒き影は総じて恐怖し巨漢に道を譲るというに、人々は無意識下にも、厳然と辺りを払う異質な存在を認知していなかった。

 巨漢は歩く。
 怒らせた肩に無数の棘の付いた太い鉄の棒載せ、迷うこと無く狭い道を行く。

 捜している者の場所は、もう分かっていた。
 覚醒した今、その気配は離れていようとも察知出来る。どんなに沢山の気配の中に紛れていようとも、禍々しい気配に、かの少年の生まれながらに持つ魂の御稜威(みいつ)に勢いが負けていようとも、この自分が、その気配を見失う筈がない。

 もうじき……至る。
 もうじき……もうじき。
 急げばならないが、急げばこの大地の震動は、被害の出ない程度の地震となろう。
 故に、急ぎたくとも急げない。牛歩で向かう他無いのだった。

 巨漢は進む。

 その姿を求めて、巨漢ただ一件、廃墟と化した邸に向かう。



‡‡‡




 力強い一閃は裂帛(れっぱく)の気合いを乗せ唸り、雷撃の如(ごと)北狄に迫る。

 北狄の細い身体は草のようにしなやかに曲がり易々と一閃を回避。返し刀でも一閃。回避。
 ひらりひらりと弄(もてあそ)ぶようにかわし続ける北狄に、しかしライコウは動じない。冷静に、北狄の挑発を黙殺しつつ、動きを見つめる。僅かな隙も逃すまいとする。されども、北狄がわざと見せる隙には何の反応も示さない。確実に倒す、その為の隙だけを、彼は待つ。

 北狄の笑声が高らかに響く。


「アッハハハハァ!! どうしたんだよ、まるで大人し〜い子犬みたいじゃないか。もっと、もっと来なよ! そんなんしゃぁ、全然つまらないじゃないかぁ!」

「……ああ。そうだな」


 ライコウの反応は淡泊なもの。ひたすらに隙を窺う。

 それに、北狄は興醒めしたように肩を落とした。
 背中を丸くし、じとりとライコウを睨めつける。


「子犬相手なんてさぁ――――退屈なだけなんだよねぇ!!」


 地を蹴った。ライコウに肉迫。ライコウが迎撃したのを寸前で背後に跳躍し得物を投げつける。
 ライコウは横に飛んでこれを回避。湾曲して背後に迫るのを刀で受け流した。

 二人の実力は拮抗(きっこう)している。
 最初こそライコウが苛烈に攻めていたものの、北狄もさる者。彼もまた激しさを増した。
 このままではじり貧になっていくのは避けられない。
 何か打破する手立ては無いものか……。
 和泉が加われば良い。けれどもそうしないのは、北狄から頼子を、澪を守ろうとしているからだ。大丈夫だと言っても、和泉は聞き入れてはくれまい。
 澪は両手に拳を握り、唇を引き結ぶ。

 と、不意に、


「ひゃっ!?」

「あ……」


 微かに地面が震動したのに少しだけ驚いた。頼子も感じ取って地震かと澪に抱きついてくる。
 その背を撫でて宥めつつ、澪は地面に触った。一定の間隔で震動を繰り返す地面に眉間に皺を寄せる。
 まるで、何処かで巨人が歩いているかのような――――。

 巨人、が?


「――――まさか……っ」


 澪は顔を上げ、和泉を呼んだ。頼子を任せて立ち上がる。一・二歩離れて周囲の気配を探り始めた。
 揺れは、まだ感じる。
 もしこの一定間隔の揺れが自分の記憶にある者の《それ》だとすれば、これ以上に心強いことは無い。

 澪は目を伏せ、意識を研ぎ澄ませる。

 ……。

 ……。

 ……。

 ……いた。

 とても近い。
 私を捜して、ここに来てくれている!
 安堵すると共に心の中で呼びかける。届きはしないと分かってはいるけれど――――そうせずにはいられない。早急な到着を、澪は心から願う。

 そんな澪の腕を引いたのは和泉だ。
 澪の様子を怪訝そうに窺いつつ、ライコウ達の応酬からも注意を逸らさずにいる。
 ゆっくりと引き寄せられ、元の位置に戻らされた。


「澪、どうかしたのかい」

「和泉様。この大地の微かな震動、分かりますか」


 和泉は一瞬怪訝そうな顔をした。けれど地面に意識をやって、初めて気が付いたらしい。足音のようなそれにはっと小太刀を握り直した。

 警戒する和泉に、澪は首を横に振って見せた。


「大丈夫です。この震動の主は私の知り合いです。恐らく彼は、私を捜してここに向かっているのだと」


 黄泉からわざわざ出てきて澪を捜しているのだとすれば、黄泉で何かが起こったのかもしれない。
 だが今は、彼が近くにいるだけでも十分嬉しかった。
 彼から、妹の様子が聞けるかもしれないから。

 澪が笑みすら自然と浮かべて言うのに、和泉は頼子を一瞥し、「そっか」と。


「『彼』って言うのがちょっと気になるけど……援軍が来るなら、丁度良いや。そろそろ俺もライコウの手伝いに行くべきかなって思ってたところだし。澪。頼子ちゃんをお願い」


 澪を頼子の方へ押しやり、和泉は身体を反転させる。
 ライコウを呼び、隙間へ滑り込むように、二人の攻撃の合間に北狄に迫った。


「宮!!」


 咎めるライコウに、和泉は目配せする。
 その視線に含まれた指示に、ライコウの表情が変わる。すぐに了承し、膝丸を構え直した。

 北狄はきょとんとして数度瞬いた後、「へえ」と愉しそうに口角をつり上げた。


「今度は宮サマもご参加かぁ……いらっしゃい。心から、歓迎するよ」

「それは嬉しいな。……じゃあ、こっちも歓迎にしっかりと応えないとね」


 引き締まった声で冗談を返し、和泉も構えを取った。

 三人が地を蹴り上げたのはほぼ同時。
 ライコウと和泉、示し合わせも無く連携して北狄に襲いかかる。
 北狄も、これを喜んで迎えた。

 一層熾烈を極めた三人の戦いに、頼子が不安そうに澪に寄り添ってきた。


「澪……」

「大丈夫です。頼子様」


 時間稼ぎ。
 彼が来てくれたなら、必ず、北狄を連れて帰れる。

 法子の待つ、黄泉の世界に。

 澪は胸に手を置き、ほう、と吐息をこぼした。



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