「お前……まさか、道満様を裏切る気?」

「裏切るのではない。お前達が勝手に、拙者が従う理由を失っただけだ。理由が存在しないのであれば裏切る裏切らぬも無かろう」


 ちらり、ライコウは物影に隠れて不安そうに事態を見守る頼子を一瞥する。泣きそうな顔に、微笑んで見せるも、一層歪むだけだった。

 北狄も頼子の方を見、顔を歪めた。


「屁理屈を言うなよ。何、澪標(こいつら)に同情でもしたのかい? 道満様にこいつらがどんな風に故郷の人間達を喰い殺したのか聞いて、憐れんだ? バッカじゃない? こいつらは化け物なんだ、大勢の人間を喰い殺して、今ものうのうと生きている罪深ぁ〜い化け物なんだよ。そんな奴らに同情? ほんっとぉ、何処までお優しいんだか……仕事人は」

「芦屋道満は彼女らを憐れんでいたように思えたが?」

「はぁ? ……そんな訳がないだろぉ!? 化け物は化け物らしく断末魔を上げながら汚く殺されて処罰されるのがお似合いなのさ。今、この僕にさぁ!」

「! させん……っ」


 澪へと襲いかかろうとした北狄をライコウが阻む。ぶつかりあった金属から火花が散った。

 北狄は歪んだ笑みを消さずに口角をつり上げた。耳まで達するのではないかと思えるくらいに、つり上がる。
 ライコウを弾き飛ばし、後ろに跳躍して、得物を細腕で回しながら嗤笑(ししょう)する。


「あーあーあー、本当に分かってないねぇ、お前ら。お前らだって餌にしか思われてないんだよ? こいつらはそーゆー存在なんだ。もう人間じゃぁないんだからさぁ……アヤカシと同じなんだから殺しちゃえよ!!」


 凶器の輪を大きく回しライコウを攻める。
 北狄の動きはまるで舞だ。蝶のような軽やかさを持ちながら、妖しい猛毒を含む笑顔で精神的にも追い詰める。
 ひらひらと揺れる髪も、赤い月明かりを受け、血の如く浮き上がった。

 ライコウは澪に近付かせまいと奮戦するも、やはり使い慣れたあの長刀でなければ体捌きが不穏だ。全力を出し切れていないのでは、あの北狄には敵わない。
 こんなことなら、膝丸も持ってくるべきだった!
 皮が繋がり、もう耳を押さえずとも良い澪は、和泉に庇われながら下唇を噛む。


――――その時だ。


「……え?」


 甲高い、鷹の声が聞こえた。

 和泉も聞こえたようだ。僅かに反応して夜空を見上げる。しかし、声はまだ遠かった。この近くにいるのは確かだが、この暗闇の中、《彼》は自分達の居場所を見つけかねているようだ。

 ならば――――。

 澪は北狄を見やり、和泉の腕を引いて頼子のもとへ向かう。和泉を頼子へと押しつける。


「和泉様、頼子様をお願い致します」

「待った。まさか一人で普賢丸を探しに行くって言い出さないよね?」

「いえ、築地の上で目印になるだけです」


 外で東夷が罠を張っているかも知れない。それにこんな状況で、この場を離れるつもりはなかった。
 しかし、和泉は眉間に皺を寄せた。


「俺がそれを許可するとでも?」

「ですが私なら簡単に死にはしません」


 そう言いつつ、頭の中で否定する。
 相手は北狄。彼なら、あの圏に似た大きな凶器を飛ばして澪の四肢を切断することなど容易い。でなければ、あの使い慣れた名刀でないにしても、ライコウが苦戦する訳がない。それだけの技量を持っている。

 和泉もそれが分かっているから、澪の腕を掴んで離さないのだ。

 だが、早く普賢丸に合流して、彼の太刀を持ってくるように頼まないと――――。


 その時、また声が聞こえた。近い。


 だが、それは――――邸の中。
 えっとなって振り返った澪は、穴の中に視線をやって驚いた。


「普賢丸……!」


 いや、驚くべきは彼が邸の中に潜入していたことではない。
 その足下に転がる、長ぐ太い太刀だ。
 間違い無く、膝丸だ。

 澪が踏み出す前に、和泉が動いた。澪を頼子に押しつけるように放し、自ら穴に飛び込む。膝丸を手に取って穴を飛び出しながら鋭くライコウを呼んだ。
 膝丸を投げる。

 ライコウはそれを見上げ目を剥いた。北狄を渾身の力で薙ぎ払い、避けた隙に愛刀を掴む。二刀は放り捨てた。抜刀し構え直すも一瞬、片足を踏み込んだ。

 動きが、一変する。

 何処かぎこちないそれから、見慣れたそれへと。
 力強い一閃は見違えている。
 空気を切り裂き唸らせるその重きこの一撃の方がライコウらしいと、澪は思う。

 ほう、と吐息を漏らすと、肩に何かが乗る。
 普賢丸だ。


「……普賢丸。お手柄でしたね」


 当然だと言わんばかりに、彼は高らかに鳴いた。


「本当、賢すぎて助かるよ」


 和泉が、僅かな安堵を滲ませて言う。
 頼子と澪の前に立って、小太刀を構えつつ苛烈に攻め始めたライコウを目で追いかけた。

 けれど――――澪は心の中で揺らめく不安を感じていた。
 彼は、ここで北狄を消してしまうつもりなのだろうか。

 私は、彼を還らせたい。
 法子様のもとに。寂しがって、不安がって兄を待っている彼女のもとに……。
 胸の前で祈るように手を組むのに、頼子が澪を呼ぶ。

 澪は、すぐに解いて取り繕うように笑ってみせた。



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