拾
本当に密仕に参加させて良かったのだろうか。
密仕の内容を知るその時まで源信は迷っていた。
物々しいその間は、朝、そして常仕を終えた後に訪れる仕事寮の、更に奧。階段を下りた先の部屋である。
奧の間に集った仕事人(しごびと)達は、昼間とは衣装を異にする。
源信も、青で統一されている点は変わらないがその色は闇に溶け込む程に暗い。清廉な音を立てる錫杖が少ない光源を集め、自身の存在を強く主張するかのように煌めく。
仕事寮は、表と裏の顔を持つ。
表――――昼は常仕。和泉の言う『何でも屋』として機能し、裏では怪異や不穏な事象を相手とする危険な仕事を主とした。勿論、怪異の中には澪を襲ったようなアヤカシなども含まれる。
それ故に、澪を密仕に参加させることに源信もライコウも反対したのだ。
和泉や晴明とて危険なことは分かっている。
だからこそ、アヤカシが関わっているやもしれぬものの中でも危険なものはあてがわなかった。それは、分かってはいる。
けれど、と己の中で偽善者が訴えかける。このまま危険にさらけ出して良いのかと。
源信は隠された口を引き結んだ。
そんな源信の迷いを打ち切るように、和泉は両手を叩き、凛と言い放つ。
「では、行こうか」
‡‡‡
与えられた密仕は、左京内の無人の邸から聞こえてくる声の正体を突き止めること。
話を聞く限りは声が聞こえるだけで何の害も無いようだが、ただ無人である筈の邸から声が聞こえるのはそれだけで不安を与える。近所に構える邸の主なら、それも一入(ひとしお)だろう。
件の邸は無人となってさほど時も経過しておらず、未だ人が住んでいても何らおかしくはない。
けれど和泉の調べでは確かに、邸の最後の主だった姫君は亡くなっている。依頼主の妻が多少の交流があったことから手厚く葬りはしたのだが、その翌日に声が聞こえてきたのだ。
それは間違い無くその姫君のもので。
まさか何か不満があったのか、それとも何か未練があったのではないかと依頼主もその妻も、恐々としているのだった。
姫の思念がそうさせているかもしれないが、アヤカシの可能性もなきにしもあらずといった内容である。
「ここだよ」
源信と手を繋いだまま、築地をぼんやりと眺める澪は、ふとびくりと身体を震わせて周囲を見渡した。
源信が何事かと通じぬ言葉をかけようとしたその直後だ。
声が、聞こえた。
邸の中だ。
これが――――掠れた、切なげな女性の声だ。言葉は聞き取れないが、何かを伝えたい、でも伝えられない……そんな悲壮に満ちている。
こちらの胸が締め付けられるような必死な声だった。
それにいち早く反応したのだろうか、彼女は。
邸の中に足を踏み入れた瞬間、澪が源信の手を引いて駆け出した。
彼女は、声の何かに気付いている。
源信よりも、和泉よりも――――かの安倍晴明よりも早く。
「澪!」
和泉達が追いかけてくる。
が、澪は見た目に似合わぬ程の健脚だ。森での暮らしがそうさせたのだろうが、この小さな姿からは想像し得ぬ。漣はその隣を軽やかに疾駆しているが、源信はついて行くのが精一杯だった。
簀子(すのこ)へ上がり何も無くなってしまった寂しい廂(ひさし)に飛び込む。途端に声が大きくなった。が、言葉が聞き取れないのは変わらない。
彼女は何をするつもりなのかと思えば、とある場所に源信を座らせたのだ。
「……澪? これは一体……?」
怪訝に見上げるが、澪は源信の前を無表情に見据えているだけ。漣が何かを説明するように鳴いているが、ここに弐号はいなかった。
「源信!」
やがて、和泉達が追いつく。
「宮様。安倍様」
晴明は源信達の様子に眉根を寄せ、何かに気付いたように軽く瞠目した。
すぐに手印を切って何事か唱える。
すると。
源信の前に、うっすらと女性の姿が浮かび上がったではないか!
控え目な彩りの十二単姿の彼女は袖で目元を押さえ、嗚咽混じりに何かを言おうとしている。
源信はもう一度澪を見た。
彼女の目は、しっかりと姫君を捉えていた。
「澪には彼女が見えてたのか」
「そうらしいな」
澪は姫君を見つめたままくいっと源信の口を隠す布を引っ張った。
「わたくしに彼女の相手をして欲しい、ということなのでしょうか」
念の為漣に問いかけると、肯定するような声が返ってきた。
源信は晴明達を振り返って頷きかけて姫君に視線を戻した。
「こんばんは。夜分に、勝手にお邸に入ってしまいまして申し訳ありません。ですがよろしければ、何故そのように悲しそうにしていらっしゃるのか、この僧侶にお聞かせ願えないでしょうか」
姫君ははっと顔を上げて、鳴き晴らして真っ赤になった目を丸くした。唇を戦慄(わなな)かせて、また涙をこぼした。
『わたくしの声が……』
「はい」
『ぁ……ああ……ああ……』
良かったと姫君は繰り返した。
はらはらと涙をこぼして、弱々しい笑みを源信に向ける。
『ただ一言、ありがとうと、お伝えしたいのです。わたくしの身体……孤独なわたくしを葬って下さった、大恩あるあの方々に』
でも、わたくしには伝えられない。
邸の中から聞こえていた声はそれを嘆いていたものだったのだろう。
源信が力強く頷けば、姫君は源信に頭を下げて空気に溶け込んでいくように姿を消した。本当に、感謝の言葉それだけを伝えたかったようだ。
源信は立ち上がった澪の頭を撫でた。
アヤカシが澪の目に惹かれるのか、それを知れはしなかったが、澪に危険が無く、本当に安堵した。
「凄いね、澪。俺達よりも早く気が付いたんだ。源信を連れて行ったのは、学び屋でたまに泣いちゃった子供を慰めたりしている姿を見ていたからだろうね」
「ええ、恐らくは。澪がわたくしの真似をして泣いている子供の頭を撫でていることもありますから」
姫君が泣いているのに気が付いて、源信に慰めてもらおうとしたのだろう。
未だ彼女のいた場所を見つめている澪は幾らか表情が弛んでいるように思えた。
「晴明、どう?」
「目的とは違っていたが……見えにくい微弱な霊を遠くから察知し、なおかつ視認出来ていたことは分かった」
晴明は身を見つめながら沈黙した。
しかし目を伏せきびすを返した、
「後のことは漣に聞く。さっさと帰るぞ」
「そうだね」
その時漣が小さく、戸惑う鳴き声を発した。
それを聞いた源信と和泉は互いに顔を見合わせた。
だが、漣は彼らから逃げるように足早に晴明の後に従う。
澪もそれを小走りに追いかける。
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