「じゃあ、ボク達は少し出てくるから、勝手なことはするなよ」


 日が暮れきる前に源信と弐号は戻ってきた。

 それからすぐに壱号と弐号は慌ただしく出かけてしまった。
 釘を差したのは澪にだ。源信から、立て札のことを聞いたのだ。この少し前にしこたま怒られている。
 とは言え、現在の澪には暖簾(のれん)に腕押し。手応えなんてあろう筈もない。結局は壱号が早々に諦めることとなった。

 何処か焦った様子の彼らを見送った源信は、静かに澪を振り返る。微笑んで何かを言おうとして、視線を別の方へ向けて軽く驚いた。


「……宮様」

「……」


 澪は源信の視線を追って身体の向きを変える。

 簀の子を歩いてくるのは、和泉だ。
 烏帽子を被り、無表情に簀の子を踏み締めて歩み寄ってくる。
 彼は二人の前に立つと、一瞬間を置いてふわりと微笑んだ。


「ごめん」


 一言。謝罪する。

 源信は彼の表情に安堵し、頭を下げた。


「宮様。……これから、どうなさいますか」


 敢えて謝罪に何も返さず、問う。
 和泉は「その前に」と澪を見下ろして、眦を下げた。


「もう、獣のフリをしなくて良いよ、澪。源信にももうバレてる」

「……」


 澪の肩が、軽く震えた。暫し俯き顔を上げる。苦笑混じりに首を傾けた。
 引力を放つ目には理性が宿る。
 女性らしく鳩尾の辺りで手を組み、深々と一礼する。


「やはり、知られていましたか」


 和泉は懐から何本もの折り目がくっきりついた紙を取り出し、見せつけるように振った。


「獣の澪だったら、折鶴を丁寧には開けないよ。すぐにびりっと破いてしまうだろうね」

「ああ……そんなところで」


 澪は頬に手を添え、「頑張ったのに……」と少し恥ずかしげで、悔しげだ。
 彼女がちらりと源信を見上げると、源信はおかしそうに笑って、


「わたくしは、見慣れていましたので。違和感にすぐに気付きました。わたくしとこの邸を出た時から……でしたね? 頑張っているようでしたから気付かないフリをしていましたが、まさか貴女が立て札を壊してしまうとは思いませんでした」

「……壊しちゃったんだ、澪」

「あら、失礼ですね。壊したんじゃなくて転んだ時に手が当たって勝手に折れてしまったんです。まさか掴んだ瞬間折れてしまうなんて思わないでしょう。こういうのを、人は不可抗力と言うのでしょう?」


 嘯(うそぶ)く。
 何故隠したのかは、訊いても答えてくれなさそうだ。
 和泉は源信と顔を見合わせ、肩をすくめた。

 和泉はもう、すっかり元の調子である。
 目元がほんのり赤いのには、源信は気付かないフリをした。何があったにしろ、前を見て向き合う気になってくれたのは、とても喜ばしいことだ。


「ところで、澪。一つ訊きたいことがあるのだけど」

「何でしょう」


 和泉は笑いながら、懐から取り出した物を澪に差し出した。
 それを見た瞬間、澪の顔色が変わる。青ざめて自分の懐を探る。「嘘……っ」狼狽えた声を漏らして和泉に手を伸ばした。
 それを奪い取ろうとしたのを素早く避けて源信に投げ渡す。

 くしゃくしゃな紙だ。
 辛うじて何かを折ろうとした形跡はあるが、何が折りたかったのか分からない。
 源信はこの世の終わりを迎えた絶望的な顔をする澪を、抱き締めるように押さえ込む和泉の視線を受け、丁寧に紙の塊を開いた。

 ……が。


「これは……」

「ああ……見ないで下さい」


 澪が両手で顔を覆って懇願する。

 開かれた紙に書かれていたのは、蚯蚓(みみず)がのたくったような、奇怪に湾曲した文字だった。……いや、辛うじて平仮名に見えなくもない――――かも、しれない。

 源信はもしや、と澪を見た。苦笑し、優しく言う。


「今度、ゆっくりと文字を勉強しましょうね」

「……いえ、良いです。要りません。申し訳ございませんが暫くそっとしておいて下さい」


 低く落ち込んだ声に、黒髪から除く真っ赤な耳。
 源信は笑声を漏らし和泉に紙を返した。
 和泉は澪を解放し、取り返される前にと大事に折り畳んで懐に戻してしまった。

 それから一転、真摯な表情で空を仰ぎ、澪を見下ろす。


「澪。君が前に言っていた頼子ちゃんのことだけど、詳しいことを教えてくれないか」


 もう分かっているんだろう?
 空気の変わった彼に、澪も気を引き締めて背筋を伸ばす。頷き、源信を一瞥して口を開いた。


「頼子様は、沙汰衆に拐(かどわ)かされ、廃屋に捕らえられています。現在彼女の監視に北狄様がついておられます。ライコウ様の動向如何(いかん)でしょうが、私が漣からの報告を受けた時にはまだ危害を加えられてはいませんでした。場所を移動しているとも思えませんし、今ならまだ、間に合うやもしれません」

「そうか……じゃあ、そこに行こうか。澪、案内を頼めるかい」

「畏(かしこ)まりました。……ですが、源信様には、別のことをお願いしたく」

「何でしょう」


 澪は源信に向き直り、


「金波銀波のもとに向かって欲しいのです。必要であれば、ご助勢下さい。源信様も危険になりますが……」


 源信は快諾した。


「分かりました。何処に行けばよろしいか、教えていただけますか」

「黄泉比良坂(よもつひらさか)の先、地返しの大石(おおいわ)のもとへ。場合によっては、妹や小舟のこともお願いすることになるやもしれません」

「はい。しかと承りました」


 微笑み、頭を撫でてくる源信に頭を下げ、澪は表情を引き締めた。


「万が一の時には、皆でお逃げ下さい。道満様がいらっしゃいます故に。恐らくは、東夷様も」


 和泉を振り返り、「参りましょう」

 和泉も源信に頷きかけ、笑った。


「じゃあ。お互い死なない程度に頑張ろうか」

「そうですね。死なない程度に、迅速に」


 あくまで鷹揚な声で、言い合う。

 澪は二人を見、ほっと吐息を漏らした。
 だが、一人頬を赤らめ、和泉の懐に目をやる。

 ……帰る前に、取り返して燃やさなければ。
 心の中で、堅く言い聞かせる。。



●○●

 漆で夢主が紙を取った際、隠す前に、
 文字を真似して書いてみよう⇒書けない⇒しょぼん(´・ω・`)
 といった心の動きがありました。

 更に運んでいる途中で折鶴にしようとしましたが、記憶があってもうろ覚えで、上手くは折れずに放棄してました。

 後で捨てようと持っていたのを、和泉の側で落としてしまったのは一生の不覚でしょうね。


 また、途中から獣のフリをしていた訳ですが、相当な羞恥がありました。



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