立て札を容赦なく破壊した後、澪は源信を撒いて市の雑踏に飛び込んだ。
 袖を噛み、周囲を見渡しながら一人一人観察していると、


「あっ、みおだー!」

「源信さまは一緒じゃないの?」


 よく一緒に遊ぶ子供達が駆け寄ってきた。
 澪は一瞬片足を後ろに引きつつ、こてんと首を傾けた。


「うー……?」

「あ、ねえねえ、いずみさまもいっしょじゃないの?」


 返答に、少しだけ時間がかかった。


「いずみー、は、しょぼーんする、今」

「しょぼーんなの?」

「いっしょに遊びたかったのにー」


 むう、と頬を膨らませる子供達に、澪は瞬きを繰り返す。

 そこへ、


「よう、源信様んとこの嬢ちゃんじゃないか」


 子供達の親が歩み寄ってくる。


「よー?」

「ん? 何か元気無いな。拾い食いでもして腹でも壊したか?」

「ああ、もしかしてあのお触れじゃない? さっき話で女の子が立て札をへし折って逃げたって。この子意外と力が強いし、まだ判断が上手く出来ないし」


 そう言う女に、誰もが納得して頷いた。問いかけた男性が澪の頭を撫でた。澪がじっと見上げていると、彼女を励ますように快活な笑みを浮かべる。


「そんな心配しなくても、俺達は和泉様を信じてるからよ」

「お触れはみて驚きはしたけど、あんなの嘘さ。市場へ来ては、身分関係なく、話しかけて、きにかけてくれていたあの方が、あたし達を裏切るはずはないよ」


 そうだそうだ、と同意の声が上がる。
 温かい笑顔で澪を見下ろし、また別の男が口を開いた。


「和泉様が貴族様だろうが皇太子だろうが、関係ねぇさ。俺達は、あの方が好きなんだよ」

「父ちゃんだけじゃないぞ! オレも和泉さま大好きだぞ! だっていつも遊んでくれるもん!」

「わたしも大好き! 結婚したい!」

「おれもだよ! 和泉さまと一緒にいると、すごく楽しいし、嬉しいよ。澪も一緒だよね?」


 こてんと首を傾げ、遅れて理解した風に両手を天へ突き上げた。


「和泉、は、友達。友達は好き、同士」


 拙い言葉で返す。
 大人達は一様に微笑ましそうに順に澪の頭を撫でた。干し芋もくれた。


「澪。俺達な、和泉様なら、この都を守って下さると信じているのさ。あの方になら、俺達はこの命を、安心して預けられるってもんさ。……って、俺達の話、分かってるか?」

「分かる」

「そっか。そりゃ良かった。じゃあ、それを和泉様に伝え――――られっかねぇ……」

「どうだろう。それまでに澪がちゃんと覚えているかどうか……」

「――――あ! オレ、良いこと思いついた!」


 声を張り上げた少年が、澪の腕を掴み、大人も子供も呼んでばたばたと家の方へ走っていく。
 怪訝に顔を見合わせながらも、皆少年に従った。



‡‡‡




「オレ達が紙に和泉さまに伝えたいことを書いて、ツルにして澪に渡してもらうんだよ。文字を知ってる奴、沢山いるもん!」


 少年は得意げに胸を張った。


「ツルは、相手が元気になりますようにっていのりながら折るんだよ。和泉さまが言ってた」


 それに、大人達は名案だと言い、それぞれ急いで紙を用意する。ある者は他にも民を誘って来た。
 地べたに紙を折いて、木炭などを使って慎重に、真剣な顔で作業に没頭する。大人も子供の中に混じり、彼らに文字を教わりながらだ。そこに大人の矜持は無く、子供達と同じく和泉に思いを伝える為に下手な文字を書き綴る。

 澪は立って彼らを見渡しながら、ふと余った紙に目を向けた。木炭も残っている。
 ちょっと考え、手を伸ばした。
 皆から隠れるようにして、木炭で叩くように何かを書いた。

 誰かが寄ってくるとさっと隠して、折鶴を受け取る。
 いつの間にか大量の人間が集まっていた。何事だと道行く人々が興味津々の顔で眺めていく。誰も、気にも留めない。

 誰かが用意してくれたらしい麻袋に折鶴を入れ、大きく膨らんだそれを慎重に抱え上げる。一つ一つは軽いのに、数が集まるとこんなにもずっしりと重い。
 全ての折鶴が集まると、相当な重さとなった。

 袋の口を縛りつつ、男が笑いかけてくる。


「形が悪いのがあっても、気にしねぇでくれや」

「みんな、和泉様に元気になってもらいたいのさ」

「だから澪。この鶴を、和泉様に渡してくれよ。そして俺達の気持ちを伝えてくれ」


 澪はこくりと頷き、身を翻した。
 軽々と家屋の屋根に飛び上がり一度だけ手を振る彼らを振り返って、駆け出した。
 途中、検非違使に見つかったけれど、澪の足の前では牛も同然。源信よりも呆気なく引き離された。

 急いで晴明邸に戻り、和泉の姿を捜す。
 途中、壱号に出会ったが、弐号の姿は失せていた。壱号が源信の手伝いに言ったとぶっきらぼうに言い、単独行動を叱りつけられた。

 それに堪えた様子も無く簀の子を歩き、簀の子に力無く座り込んだ和泉を見つけた。

 寝ているのか――――いや、手が動いている。烏帽子をいじっている。

 澪は静かに歩み寄り、口で器用に袋を開け、


 中身を和泉の頭めがけてぶちまけた。



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