夢を見た。
 とても長いようにも思えるし、短いようにも思える。
 昔からここにいたような気もするし、いなかったような気もする。
 まるで、自分がこの世界の住人に同調しかけているような、ふんわりとした不可思議な感覚だった。

 その中で、彼はとある山間に隠れる村の村長の長男だった。
 大きな二つの琥珀を大事に大事に胸に抱えて、細長く、緩い登り坂を登っていく。
 何処へ行くのか、彼は分からない。けれども彼の意識に折り重なるこの長男は、行き慣れた大切な場所へ向かっている。知らないのに知っているような感覚は、不安定だ。

 けれどもこの清々しい達成感は気持ちが良かった。これで、《彼女》らが喜ぶ。男はそれがたまらなく嬉しかった。弾んだ気持ちが、彼にも伝わってくる。

 ふと、視界が開ける。
 広い平坦な場所にぽつねんと佇む、簡素な作りの社があった。高床式で、扉は社ごと縛り付ける縄で頑丈に閉ざされていた。
 男は社の前で深呼吸を三度。表情を引き締め階(きざはし)を登った。

 ほとんど意味の無い取っ手を掴み、僅かに開ける。隙間からころりと琥珀を一つ、二つ中へ転がした。

 中で、あっと困惑の声が上がる。
 聞き覚えがあるような、無いような――――いや、ある。彼にも、この男にもある。
 中を覗き込めれば良いのに、男はすぐに身を離し顎を僅かに反らして鼻を鳴らした。


「お前達にやる。どうせ、こんな美しい物も見たことが無いのだろう」

「これは……何ですか?」

「何だ、そんなことも知らぬのか。琥珀だ。大陸では、虎が死んだ後にこの石になると言われている。その空っぽの頭に入れておけ」


 ぞんざいな言葉。けれどどうしてか、彼は温かみを感じる。言葉こそ素っ気ないフリをして、その実心中ではその扉の向こうにいる《少女達》を思いやっている。
 彼だけでなく、社から声を発する少女も分かっているのだろう。転がすような笑声が隙間から聞こえた。


「嬉しいです。ありがとう。今は寝ているけれど、《  》も喜びますわ」


 全身が温かくなる。男も、喜んでいる。
 男は笑みを堪え、階を降りた。扉を閉める。


「……やはり、喜んだか」


 良かった。
 心底から呟きを漏らし、男は社を歩き去る。
 細い坂道を降りて村へと戻った。

 次は何を贈ってやろう――――あいつらは他愛ない物でも、何でも喜ぶ。新鮮な物だからとても喜ぶ。
 もっと良い物を贈ってやらなければならない。そうすれば、彼女達はきっともっと笑う。もう一人も笑えるようになる。

 せめて、人らしく在って欲しい。
 よしや村の為に死ぬ定めであろうとも。
 よく笑って、些細な幸せを感じて欲しい。



 男は、村人の勝手で運命を決められた《妹達》を、心から憐れみ慈しむ。




‡‡‡




――――夢が終わった。

 一人の男に重なって見えた、男の記憶。
 和泉には縁もゆかりも無い光景だ。何故あんな夢を見たのか分からない。

 ……いや、それ以前にいつの間に寝ていたのだろう。眠たかった記憶も無い。
 和泉は顔を押さえ、柳眉を顰めた。

 けれどふと、背中に違和感を感じて振り返る。
 眠る前、確かに感じられていた温もりが失せていた。
 彼女にも見限られたか――――そう思った瞬間和泉は血相を変えた。


「澪っ!?」


 澪が、胸を押さえて倒れていた。床に爪を立て、声も無く苦しんでいる。
 和泉は彼女を抱き起こした。蒼白の顔を覗き込み何度も呼びかける。
 澪はキツく目を瞑り奥歯を噛み締めていた。苦痛に耐え、浅い呼吸を繰り返した。心臓を掴もうとしているかのように、胸に爪を立て掻き毟(むし)る。


「澪、澪! しっかりするんだ!」


 揺すって、頬を叩いて、声をかける。
 澪は薄く目を開け、掠れた声で喘いだ。

――――死ぬ?
 まさか、澪が消える?
 ぞわりと、悪寒。
 ライコウも自分のもとを去った。和泉を見限って、もう帰っては来ない。

 今度は、澪が自分の前から消えてしまうのか。
 嫌だ、と自身の中で誰かが叫んだ。

 だが同時に、疑問が浮かぶ。
 嫌なのか?


――――彼女は、まつろわぬ民なのに?


 和泉自身がどう思おうと、和泉の立場上澪とは相容れない。
 だから、気にしないでも良いのではないか。情を持たぬ方が、良いのではないか。

 せめぎ合う。

 頭の中がぐちゃぐちゃする。
 どうすれば良いのだろう。
 どっちを選べば良いのか、分からない。


「……ね……」

「……澪?」

「小舟……が……」

「小舟?」


 その時、澪の目尻からはらりと涙がこぼれ落ちる。
 胸を掴む左手を震わせながらゆっくりと上へと伸ばす。すぐに力尽きて落ちた。


「澪? 澪っ!」


 目を伏せ、澪は沈黙する。ぐったりと力が失せた身体に和泉は青ざめ鼻に耳を寄せた。……息はある。ほっと安堵した。

 だが、依然澪の顔色は悪いままだ。
 頬の撫でれば、微かに瞼が震える。押し上がることは無い。

 和泉はひとまず澪の身体を寝かせた。漣は戻っていないかと妻戸を開こうとした時、爪先に何かがぶつかった。見下ろせば透き通った黄金色の石が。


「……琥珀?」


 和泉は眉を顰めて琥珀を持ち上げた。
 見覚えのある石だ。荒削りで角張ったそれは、つい先程他人の記憶の中に見た物によく似ている。

 ……ああ、そうだ。
 社の中にいた、男の妹の声が澪にそっくりだった。
 まさか、あれは――――。


 澪の、過去の一部でもあったのだろうか。


 最初から死ぬことを義務づけられて、あんな社に閉じ込められて――――。
 和泉は身を翻し澪の側に座り込んだ。

 彼女はまつろわぬ民だ。
 彼女が前に言った通り、相容れない。

 自分に言い聞かせるように心中で繰り返しつつ、それでも澪に手を伸ばし、優しく、頬を撫でた。


「……獣のままなら、こんな風に考える必要も無かったのに」


 ただの兄妹のような存在でいられたのに。
 ぼそりと、彼は呟いた。



○●○

 微妙な関係になりつつある二人です。
 何とかくっつけたい……。



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