伍
夢を見た。
とても長いようにも思えるし、短いようにも思える。
昔からここにいたような気もするし、いなかったような気もする。
まるで、自分がこの世界の住人に同調しかけているような、ふんわりとした不可思議な感覚だった。
その中で、彼はとある山間に隠れる村の村長の長男だった。
大きな二つの琥珀を大事に大事に胸に抱えて、細長く、緩い登り坂を登っていく。
何処へ行くのか、彼は分からない。けれども彼の意識に折り重なるこの長男は、行き慣れた大切な場所へ向かっている。知らないのに知っているような感覚は、不安定だ。
けれどもこの清々しい達成感は気持ちが良かった。これで、《彼女》らが喜ぶ。男はそれがたまらなく嬉しかった。弾んだ気持ちが、彼にも伝わってくる。
ふと、視界が開ける。
広い平坦な場所にぽつねんと佇む、簡素な作りの社があった。高床式で、扉は社ごと縛り付ける縄で頑丈に閉ざされていた。
男は社の前で深呼吸を三度。表情を引き締め階(きざはし)を登った。
ほとんど意味の無い取っ手を掴み、僅かに開ける。隙間からころりと琥珀を一つ、二つ中へ転がした。
中で、あっと困惑の声が上がる。
聞き覚えがあるような、無いような――――いや、ある。彼にも、この男にもある。
中を覗き込めれば良いのに、男はすぐに身を離し顎を僅かに反らして鼻を鳴らした。
「お前達にやる。どうせ、こんな美しい物も見たことが無いのだろう」
「これは……何ですか?」
「何だ、そんなことも知らぬのか。琥珀だ。大陸では、虎が死んだ後にこの石になると言われている。その空っぽの頭に入れておけ」
ぞんざいな言葉。けれどどうしてか、彼は温かみを感じる。言葉こそ素っ気ないフリをして、その実心中ではその扉の向こうにいる《少女達》を思いやっている。
彼だけでなく、社から声を発する少女も分かっているのだろう。転がすような笑声が隙間から聞こえた。
「嬉しいです。ありがとう。今は寝ているけれど、《 》も喜びますわ」
全身が温かくなる。男も、喜んでいる。
男は笑みを堪え、階を降りた。扉を閉める。
「……やはり、喜んだか」
良かった。
心底から呟きを漏らし、男は社を歩き去る。
細い坂道を降りて村へと戻った。
次は何を贈ってやろう――――あいつらは他愛ない物でも、何でも喜ぶ。新鮮な物だからとても喜ぶ。
もっと良い物を贈ってやらなければならない。そうすれば、彼女達はきっともっと笑う。もう一人も笑えるようになる。
せめて、人らしく在って欲しい。
よしや村の為に死ぬ定めであろうとも。
よく笑って、些細な幸せを感じて欲しい。
男は、村人の勝手で運命を決められた《妹達》を、心から憐れみ慈しむ。‡‡‡
――――夢が終わった。
一人の男に重なって見えた、男の記憶。
和泉には縁もゆかりも無い光景だ。何故あんな夢を見たのか分からない。
……いや、それ以前にいつの間に寝ていたのだろう。眠たかった記憶も無い。
和泉は顔を押さえ、柳眉を顰めた。
けれどふと、背中に違和感を感じて振り返る。
眠る前、確かに感じられていた温もりが失せていた。
彼女にも見限られたか――――そう思った瞬間和泉は血相を変えた。
「澪っ!?」
澪が、胸を押さえて倒れていた。床に爪を立て、声も無く苦しんでいる。
和泉は彼女を抱き起こした。蒼白の顔を覗き込み何度も呼びかける。
澪はキツく目を瞑り奥歯を噛み締めていた。苦痛に耐え、浅い呼吸を繰り返した。心臓を掴もうとしているかのように、胸に爪を立て掻き毟(むし)る。
「澪、澪! しっかりするんだ!」
揺すって、頬を叩いて、声をかける。
澪は薄く目を開け、掠れた声で喘いだ。
――――死ぬ?
まさか、澪が消える?
ぞわりと、悪寒。
ライコウも自分のもとを去った。和泉を見限って、もう帰っては来ない。
今度は、澪が自分の前から消えてしまうのか。
嫌だ、と自身の中で誰かが叫んだ。
だが同時に、疑問が浮かぶ。
嫌なのか?
――――彼女は、まつろわぬ民なのに?
和泉自身がどう思おうと、和泉の立場上澪とは相容れない。
だから、気にしないでも良いのではないか。情を持たぬ方が、良いのではないか。
せめぎ合う。
頭の中がぐちゃぐちゃする。
どうすれば良いのだろう。
どっちを選べば良いのか、分からない。
「……ね……」
「……澪?」
「小舟……が……」
「小舟?」
その時、澪の目尻からはらりと涙がこぼれ落ちる。
胸を掴む左手を震わせながらゆっくりと上へと伸ばす。すぐに力尽きて落ちた。
「澪? 澪っ!」
目を伏せ、澪は沈黙する。ぐったりと力が失せた身体に和泉は青ざめ鼻に耳を寄せた。……息はある。ほっと安堵した。
だが、依然澪の顔色は悪いままだ。
頬の撫でれば、微かに瞼が震える。押し上がることは無い。
和泉はひとまず澪の身体を寝かせた。漣は戻っていないかと妻戸を開こうとした時、爪先に何かがぶつかった。見下ろせば透き通った黄金色の石が。
「……琥珀?」
和泉は眉を顰めて琥珀を持ち上げた。
見覚えのある石だ。荒削りで角張ったそれは、つい先程他人の記憶の中に見た物によく似ている。
……ああ、そうだ。
社の中にいた、男の妹の声が澪にそっくりだった。
まさか、あれは――――。
澪の、過去の一部でもあったのだろうか。
最初から死ぬことを義務づけられて、あんな社に閉じ込められて――――。
和泉は身を翻し澪の側に座り込んだ。
彼女はまつろわぬ民だ。
彼女が前に言った通り、相容れない。
自分に言い聞かせるように心中で繰り返しつつ、それでも澪に手を伸ばし、優しく、頬を撫でた。
「……獣のままなら、こんな風に考える必要も無かったのに」
ただの兄妹のような存在でいられたのに。
ぼそりと、彼は呟いた。
○●○
微妙な関係になりつつある二人です。
何とかくっつけたい……。
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