肆
「まぁ、ようわかったわ。そんで、和泉はどうなんや?」
「適当な空き部屋でお休みいただいております。今は、漣が側に」
京の都は晴明の邸。
澪は先に漣を仕事寮へ行かせ、朱雀大路で源信達と合流した後、速やかに晴明の邸に身を隠した。全身を染めた血について南蛮に襲われ殺したとだけ伝えた。それよりも、優先すべきは和泉のことだ。
晴明の邸には幾重にも結界が張られている。沙汰衆でも容易に侵入出来まい。
ひとまず、源信達にはライコウと和泉のやり取りだけ――――とは源信が許してはくれず、南蛮とのことも含めて経緯を話した。
源信が渋面を作って溜息をついた。
「すみません。貴女達だけで逃がしてはいけませんでしたね。無事で何よりです。貴女達も、宮様も」
澪は首を左右に振った。南蛮の待ち伏せも、あの歌も、予想外だったのだ。原因がいたとしても、取り乱したに違いない。きっと結果は変わらなかった
「せやけど、和泉は大丈夫なんかいな。ライコウが消えてから、ぼーっとしとるんやろ? さっき見ても完全に心ここに在らずって感じやったし。よう連れてこれたな」
「五感が閉ざされていない訳ではありませんし……、腕を引けばちゃんとついてきて下さいました」
先程見た和泉の様子を思い出し澪は細く吐息を漏らした。
心ここに在らずと言うよりは、あれは心が死にかけている。ぼんやりと虚空を見つめ、息もしているかも分からない。
同調でもしているのか、見ているだけで息苦しい。
澪はゆっくりと腰を上げた。
「そろそろ、漣を偵察に向かわせます。その間、私は和泉様の側に。何かございますれば、お呼び下さいまし」
「ええ。ですが貴女も、ちゃんと休んで下さいね。右腕が、まだ満足に動かないのでしょう?」
源信の優しい言葉に、澪は微笑んで頷いた。
「ほなわいらは、ちゃちゃっと邸の結界でも強めとくとするか〜。なにが来よるかわからへんからな」
「ふん。ボクが蟻の子一匹通らせるか」
壱号と弐号が立ち上がり、足早に部屋を出ていく。
源信も立ち上がり、都の様子を先に見てくると彼らを追ようにして出ていった。
‡‡‡
「漣、都の様子を見てきていただけますか」
言いながら妻戸を開けると、漣が応えを返して小走りに外へ出て行った。
築地に登った彼に一礼し、澪は和泉を見やる。
声をかけようとはせず、和泉から二・三歩離れた場所に腰を下ろす。
どうせ、和泉は何も喋らないだろう。
そう思って背を向けていたのだけれど――――。
「何か、用かい?」
低い声が聞こえ、和泉を振り返る。
「え……」
「今の俺を……、笑いにでも来たのかい?」
「は?」
口調こそ軽かった。けれどもやはり声は低く、凍てついていた。
拒絶、絶望――――負の感情が高まり自暴自棄になったような、重く悲しい声だ。
澪は柳眉を顰め、和泉に向き直った。
「何故、そう思われるのです?」
「君は、まつろわぬ民だろう」
「……過去は、そうですね。ですが今は、」
「本当にそうかい?」
ふ、と笑う。それは澪を嘲ると言うよりは、自嘲だ。
そこで、澪は思い出す。
『家畜のように人に飼われる感覚も、あなたには到底分からないでしょう。私はまつろわぬ民、あなたは皇族。馴れ合いは出来ても、真実相容れることなど無いのでしょうから』 そんなことを、自分は彼に言っている。忘れていた。
だから、あんな言葉をかけられたのか。
澪は嘆息し、努めて冷静に、無表情に言葉を返した。
「今は私のことよりも、ライコウ様のことをお考え下さい。彼は事情があって、あのようなことをなさって――――」
「……そこが問題じゃないんだよ」
「……」
「確かに、アイツにも事情が、キッカケがあったんだろうさ。でもね……それがどんなキッカケだろうとなんだろうと、俺は結局……アイツを止めてやれなかった。それが事実で、すべてなんだよ」
和泉はひゅっと息を吸い、床に拳を叩きつけた。
「ライコウは、覚悟を示せといった。事情はどうであれ俺は、……あの時、ライコウを斬るべきだった……天照皇子として、神器の継承者として……、この国の未来を背負う存在として……その覚悟で正すべきだったんだ!」
震える声を、まるで血を吐くかのように絞り出し、激情を吐露する。
痛々しいと、澪でも感じた。
彼に近付いて背中に手を置こうとして、止める。
和泉にとって澪はまつろわぬ民――――触れられることすら厭わしい存在。自分でも言ったように、相容れぬ存在なのだ。
分かっているのに、ざわざわと胸が落ち着かない。駄目だ、冷静にならないと。
もっと頭の中がぐちゃぐちゃしそうだ。
「俺は覚悟を持ちきれていなかった。中途半端なまま神器を集めてしまったんだ。そんな俺にライコウは……命を差し出してまで、その覚悟を問うたんだ! なのに俺は、その命を賭けたアイツの問いにすら満足に応えることができなかった……俺たちは、ずっと一緒にいたんだ……小さい頃から。一緒に稽古をして、一緒に走り回って……ずっと、ずっと。だからライコウには、俺には即位の覚悟なんてないって、資格なんて無いって……わかってしまったんだ」
そう、わかってしまったんだよッ!!
それは、澪に対する言葉ではなかった。
覚悟を仕切れなかった自分が招いた友人の失望に傷つき、声を荒げて自分を責め立てる。
「だからもう……ライコウはもう……、戻っては……こないんだ」
和泉は俯き背中を丸めた。
……正直に言おう。
澪は和泉が心底羨ましいと思った。
ここまで理解し合える友人など、澪は持ったことが無い。いや、過去の自分は双子の妹、兄以外の人間と親しくしたことが無かった。《友人》なんて、知らない。
だから、羨ましくて仕方がない。
羨ましいから、ここで壊したくはないと思った。
だが、その方法は、分からない。
だから、澪は小さく謝罪して背中に背中を当てた。膝を抱え込み、目を伏せる。
これが彩雪だったら、源信だったら、もっと良い言葉をかけられただろう。
だが、澪には何をかければ良いのか分からない。
和泉は皇太子。澪は彼に皇位を継ぐ為の覚悟を強いなければならない。
こういう時、私はどうすれば良いんだろうか。
心の中で呟きを落とし、澪は膝に額を押しつけた。
獣だったら、心のまま動き、そしてそれで許されていた。
今の私は、そうはいかない。
「……皆様にとっては、今の私は最後まで現れない方が良かったのでしょうね」
和泉は、言葉を返さなかった。
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