「――――斬らねば成らぬッ!」


 他の沙汰衆の襲撃を考え、南蛮の骸をそのままに仕事寮へ戻っていると、ふと馴染みのある声が聞こえた。
 澪は足を止め、漣と顔を見合わせた。
 まさか――――同時に駆け出し、樹木を登って枝から枝へと移動する。

 声の主を見つけ、澪は動きを止めた。
 彼は――――和泉は、死神としてのライコウと間近で対峙している。彼の正体などもう分かっているのだろう、和泉は露わになったライコウの姿に太刀を中途半端な場所で止めて固まっている。そのまま力を込めれば容易く斬れるだろうに、彼はそうしない。

 現実をなおも拒絶しようとする和泉に、ライコウは静かに、しかしはっきりと問いかけた。


「私が誰であろうと……誰であろうと、斬るのではなかったのですか?」

「や、っぱり……、やっぱりお前なのか――――ライコウッ!」


 風が無情に大音声を攫う。
 澪は髪を押さえて二人を注意深く眺めた。


「なぜ、私を斬らないのですか?」

「なぜ、だと……?」

「ほんの少し。ほんのわずかに力を乗せ、刀を引けば、それで終わるのですよ? 私は、貴方の邪魔をしている。『この都を守る』……、その邪魔をしているのですよ? ならば、斬らねば嘘でしょう? 貴方もそう、言ったはずです。宮」


 ライコウは一貫して氷のような顔で和泉を蔑み見る。感情を押し隠した目からは、ほんの僅かな失望が窺えた。
 何を思って、一番の理解者である彼が和泉をそのように見るのか、澪には分からなかった。故に、下手に二人の間に水を差すまいとぎりぎりまで冒険に徹する。

 和泉が身体を揺らした。それは、彼の心情そのもののようだ。


「おれ、は……」

「できないのならば……」



 ライコウが、吐息を漏らす。


「私が、貴方を――――」


 ゆるり、ゆるり、と。
 振り上げられた刀。


「斬るまでです」


 振り下ろす!


 澪は即座に飛び降りた。着地と同時に二人の間に飛び込みライコウの鳩尾に掌底を見舞う。
 けれども容易く避けられた。後ろに跳躍するライコウに向き直り、澪は身構えた。

 それを和泉が肩を掴んで後ろに追いやる。

 直後、和泉が横に置いた刀にライコウの太刀がぶつかる。火花。


「和泉様、」

「っ、ライコウ……! 何故だ! 何故、沙汰衆に肩入れをする! ……理由(わけ)を! 理由を教えてくれ!」

「そんなことは、どうでもいいことでしょう? 貴方はただ、ご自身の言葉に責任を持てばよいだけです。誰であろうと斬る――――。そう決めたのなら、その通りになさらなくては。言っておきますが、私はためらいもなく、あなたを、殺すことができますよ、宮。先ほどの『貴方』のように」


 和泉が震える声でライコウを呼んだ。


「なぜ、そうして……、俺を……」

「裏切ったのか、ですか?」


 声を詰まらせる和泉を、ライコウはせせら笑った。和泉を押し返し、もう片方の剣を振り上げる。和泉は即座に反応し弾き返した。

 激しく切り結び合いながら、二人は言葉を交わす。


「ではなぜ、貴方は裏切り者を斬れないのですか?」

「そ、れは……」

「貴方を裏切り、都の脅威となる私。そんな私を捨て置くというのですか、貴方は。一時の感情に囚われ、そうして民を傷つける道を歩むというのなら……手を、引いてください」

「なん、だと……?」


 大きく振り下ろされた太刀を受け止め、和泉は衝撃に耐えかね片膝を曲げる。
 和泉に、ライコウは静かに告げた。


「私を斬ることも出来ない。その程度の覚悟もない貴方に、この国を背負うことなどできません」

「…………覚悟、だと?」

「今の貴方には、できませんよ。この国を、民を背負うことなど……到底に」


 そう言い残し、ライコウは和泉に背を向けた。
 彼はもう、振り返らない。太刀を収め、無防備な背中を晒す。


「御覚悟を、……さもなくば」

「ライコウ……おまえは……」


 カチカチと音がする。
 和泉だ。歩み寄って隣に立つと、真っ白になった手が震え、鍔が鳴っているのだと分かった。
 彼は動かない。動けない。
 今動けばライコウを殺せる。されど出来ないのだった。

 ライコウは、無防備なまま歩き出した。ゆっくりと、しかし着実に離れていく。


「…………俺は!」


 絞り出した声に、ライコウが止まることは無い。むしろもう和泉の存在を拒絶して、足取りを速めた。木々の間を真っ直ぐに進み、自ら闇の中へ身を投じる。
 見えなくなる。

 和泉はその場に崩れた。刀の切っ先が地面を抉る。
 茫然自失としてライコウの後ろ姿を、闇の中に失せてもずっと、ずっと見つめていた。

 微動だにしない和泉を、見ているうち、澪は自分の心の奥底から何かがせり上がってくるのが分かった。それが何たるか、分からない。
 分かるのは今、自分が今の和泉を見ていられないということ。

 澪は今なお刀を強く握り締める和泉の手に己のをそれを重ね、刀を取り上げた。


「ここを離れましょう、和泉様」


 和泉は、何も言わなかった。



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