※注意



 噛み千切った肉を床に吐き捨てる。澪の行動に驚いて力が弛んだ隙に身を捩って《力一杯》鳩尾に肘を叩き込んだ。

 北狄は目を剥き、ややあって胃の中の物を吐瀉(としゃ)する。口内にあった鬼灯飴も飛び出した。

 素早く逃れて冷たく見据える。袖で乱雑に口を拭った。牙はもう収まっている。
 ……不味い。
 生者の味ではないけれど、人間であることに変わり無く、とても不味い。

 北狄は腹を押さえてよろめいた。
 激怒するかと思いきや、愉しげな哄笑。


「……そうだよ、その膂力(りょりょく)、その牙……お前は昔のまんまだ」

「……」

「昔の、お前を殺した村の人間達を食べた化け物のままだ!!」


 源信達が澪見やる。

 その反応を見て北狄はせせら笑った。


「へぇ、知らないんだ。そりゃあそうか。教える訳がないよね。いつか自分の餌になるかも分からない奴らなんだから」

「わたくし達が、澪の餌に……ですか」

「そうさ、餌さ。こいつにとって人間は餌。それ以外の何ものでもないんだ。だって、人間がこいつをそうしたんだから。……ねえ? そうだろう? まだそんな立派な牙が出せるんだからさぁ」


 澪は答えない。答える必要が無いと、自分に言い聞かせた。
 北狄を見据えて目を細める。


「申し訳ありませんが、沙汰衆のお二方。お帰り下さいまし。和泉様も私も、消されるつもりはございませんので」


 話の軌道を無理矢理に戻すと、北狄は手応えを得られずに唇を尖らせた。
 金波銀波が澪の前へと移動する。


「澪様、和泉様のもとへ」

「ここは俺達に任せて下さい」

「……いいえ」


 ここを離れる訳にはいかない。
 離れたら、琥珀が取り戻せない。
 あの琥珀は北狄に持たせたままではいけない。
 何としても、ここで取り返さなければ。
 澪の断固たる思いを察してか、彼らは何も言わずに北狄に向き直った。

 北狄も、澪が琥珀を欲していることを知っている。
 からかうように、見せつけてくる。食べようとして反応を面白がった。


「化け物同士の馴れ合いの証だもんねぇ、コレ」

「返して下さい。北狄様。それはあの子の大事な物。あなたが持っていて良い物ではありません」


 北狄はにんまりと笑った。
 懐にしまい、肩をすくめる。


「……北狄様」


 自然と声が低くなる。
 それに、北狄の揶揄は続いた。


「怖い怖い。このままだと食べられちゃうねぇ。人喰い鬼に骨も残さず」

「……」


 人喰い鬼。
 ああ、懐かしい言葉。
 けれど、澪は努めて笑顔を繕った。


「ならば、食べられないうちにお返し下さいな」

「やぁだね。返したって、食べられてしまうかもしれないじゃないか。お前は人喰い鬼なんだから」


 ぎゅ、と両手に拳を握った。
 腹が立つ。何も知りもしないくせに。
 冷静になれ、冷静になれと自身に言い聞かせる。また感情で動けば今度こそ消されてしまう。面倒な手順があるとは言え、彼らならば源信達の牽制片手間に澪の身体を順番通りに切断するのも難しくはないだろう。
 落ち着け、落ち着けと心の中で囁くと、不意に腕を捕まれてぐいと引かれた。


「戦えない奴は退がってろ」


 壱号である。
 彼は源信に目配せして、彼の方へ澪の身体を押した。


「源信の後ろの階段にいろ」

「でも……」

「あの琥珀、取り返せば良いんだろ」


 面倒臭そうに言い、良いから行けと促す。
 澪は逡巡し、源信を見やった。
 彼は穏やかに頷いた。
 金波銀波をそのまま残し、小走りに源信に駆け寄る。
 そっと背中を押され階段の方へ追いやられた。狙われている澪がいつでも逃げられるようにだろう。逃げた後和泉を連れて脱出させるつもりなのだ。

 先程の北狄の言葉を気にしていないかのように、源信は北狄らに毅然と向き合う。


「宮様は、三種の神器の正統なる後継者。そしてこの都を守護する神々しき御方。澪もまた、わたくし達の大切な仲間。あなた達に、指一本、触れさせるわけにはいきません」


 それに同意し、壱号は炎を幾つも生み出した。彼を守るように、周りを巡る。


「式神にも式神なりの矜持ってものがあるからさ。あんまり舐めないほうがいいと思うけど? それに……源信ほどじゃないけど、僕も雇い主がいなくなったら、いろいろと困ることがあってね」

「せやせや。わいと参号はともかく、セーメイと壱号は生活力ないからな〜」

「あー……確かに」


 高温を帯びて飛び回る弐号に、銀波が頷く。

 北狄は鼻で一笑した。……ライコウは、無言無反応のままだ。


「いいねぇ。僕、そういうの好きだよ、けっこう。生意気な口をきいているヤツを、僕が与える痛みによって黙らせるなんて、考えただけで最高」


 ぶるりと震わし、うっとりと唇に舌を這わせる。一歩、一歩と前に出た。
 ライコウも、続く。

 まさに一触即発の雰囲気だ。それも、すぐに北狄が狂喜で壊してしまうのかもしれないけれど。


「それじゃ、お前達を苦しめて苦しめて苦しめ抜いて、宮を引きずりだすことにしよっかなぁ」


 転がすように言い、彼は機嫌良さそうに得物を頭上で回し始めた。鋭利な刃が、壱号の炎の光を艶めかしく反射した。それは北狄と同調し、歓喜に煌めいているようにも見えた。

 ライコウも、二振りの刀を抜く。二刀流――――その姿に違和感は否めない。


「三種の神器を使える可能性をもつ人間、黄泉の門を管理する盾、澪標……生きていてもらっちゃ困るんだよね。だから――――殺すよ」


 にいっと、深く切り裂いたような笑みを浮かべ、北狄は笑声を上げた。

――――それが、合図。


「燃えてなくなれ、この変態野郎!」


 先手を打ち壱号が炎弾を放つ!
 しかし――――北狄は容易く切り捨てる。火花が散り、爆発する。
 それをものともせず二人は衝突。熾烈な戦いを始めた。そこに隙を見て弐号と金波が援護する。

 爆風に髪が踊り澪は圧し負けて階段に尻餅をついた。

 立ち上がったのと、目の前で金属音が聞こえたのはほぼ同時だった。
 咄嗟に顔を上げて、ライコウが間近に迫っているのに肝を冷やした。

 ライコウの刀を、源信と銀波が受け止めていた。


「ちっくしょ……! 怪力には自身があるってのに!!」

「その太刀筋……。よほど名の知れた方とお見受けいたしますが、一体、何処のどなたなのかお訊きしてもよろしいでしょうか?」

「……」


 源信の言葉にライコウは答えない。答えられる筈がない。


「こいつが《誰か》なんてどうでもいいだろ? ほらほら、ど〜でもいい考えごとなんてしてると……死んじゃうよ?」

「っ、この!」


 刃を炎が弾く。

 火花がライコウの身にかかり、意識が一瞬逸れた。


「どりゃああ!!」

「はあっ!」


 源信と金波が同時に押し返し、金波が機転を利かせライコウへ一矢を放つ。
 ライコウは刀で弾き落とし二人から距離を取った。

 しかし、すでにライコウの懐に源信が入る。彼に向け錫杖を一気に振り下ろした。

 ライコウは動じず刀で受け止め横にいなす。
 源信が体勢を崩したのを銀波が大剣を突き出し援護した。ライコウはそれもいなし源信のうなじに刀の柄を叩き落とした。よろめいた身体、その脇腹に蹴りを一発。


「くっ……!」


 源信は壁に叩きつけられ喘いだ。
 澪へ向かおうとするライコウを銀波が襲うも、薙いだ大剣を避けて素早く肉迫。胸を足で押して倒し刀を両手首に突き刺した。
 銀波は呻き大剣を手放してしまう。


「澪様、お逃げ下さい!!」


 金波が叫ぶ。

 澪もそうすべきだと逃げだそうとすぐに身を翻した。

 けども、遅く。
 澪は右に体勢を崩した。


「あ……っ」


 壁に激突し倒れ込む。
 軽く、なった。
 右が――――。
 ゆっくりと見た、右肩。



 肩口から下が、失せている。



「しま――――あ!!」


 今度は左肩だ。
 体勢を立て直すよりも早く、脇の下に刃が入り込む。

 ぞわり。
 悪寒が走る。
 ただ斬られるだけなら良かった。
 でもライコウは、順番を知っている。

 澪を消せる方法を、知っているのだ。

 ライコウは深呼吸をした。
 ぐっと刀に力を込める――――。



○●○


 あまりにもシリアスばかりで、これからもがっつりシリアスで、段々と獣だった夢主が恋しくなってきてます……。



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