ライコウのことは伏せた。和泉にも報せていないことだったから、話すべきではないと思ったのだった。
 沙汰衆に襲われ首を斬り付けられたことだけを伝え、怪我についても治癒しているのだとちゃんと言っておいたが、危ない真似はしないようにと注意された。それだけだった。もっと怒られるのかと思ったのに、もう十分だと言わんばかりに源信に話はすぐに変えられた。

 それからは、打って変わって他愛ない話ばかりだ。澪の話など、全く出てこない。何かを隠していることも分かっているだろうに、言及しなかった。
 こちらのことを心配しつつ、澪の考えを尊重してくれているのだと、頭が下がる思いだった。
 話をしているうちに、金波も戻り、澪の気持ちもうんと軽くなった。
 たまに金波銀波、壱号と弐号それぞれの喧嘩を挟みつつ、和やかな雰囲気で場の空気は柔らいでいた。


「なんやねん! せやったら……!」


 ああ、また壱号達の喧嘩が始まる。
 源信が苦笑混じりに窘(たしな)めようとした――――まさにその時である。


 仕事寮が突如大きく揺れたのである。


 地震かと身構えるも、金波が澪に駆け寄り地下の間を視線で示す。
 澪は頷き金波銀波を伴い奥の間へ走った。源信達が呼び止めるのも聞かずに階段を駆け下りた。

 奥の間に至った瞬間に前に金波銀波がそれぞれの得物を構える。

 間の中はぐちゃぐちゃだった。天井に張り巡らされた赤い布と、括り付けられた大きな鈴は床に落ち、鈴に至ってはひしゃげている物も見受けられた。破壊の爪痕は色んな場所に見られた。

 壁には大柄な男一人が通れるような大きな穴が開いており、その側に二人の男の姿があった。
 片方は紫の長髪を頭の左右で結い上げ中性的な痩身の男――――北狄。
 その後ろには濃緑の外套で顔を覆い隠した、北狄以上に背の高い男。ライコウだ。


「澪!」


 駆けつけた源信に背後に庇われる。
 金波の隣に壱号が飛び出した。


「こんばんは。良い夜だよねぇ、仕事寮のみなさん」


 かちゃ、かちゃ、と口内から音がする。薄く開いた紅唇の隙間から真っ赤な舌に転がされる鬼灯飴が見えた。
 音に混ざり、艶めかしく不穏な笑声が聞こえる。


「こんな夜はさぁ、あかぁい、あかぁいものが見たくなるようねぇ〜」


 背筋を舐められているような不快感に澪は顔を歪めた。
 狙いは、和泉か、澪か、はたまた双方か。
 出方を窺っている澪達の前で北狄はつまらなそうに鼻を鳴らした。かと思えばにんまりと笑いかけて瓦礫の山に腰掛ける。女と見紛う白く細長い足を組んだ。


「まったく、アジトへの侵入があまりにも簡単にいっちゃったんでね、ちょっと部屋の中にあるものを壊して暇つぶししてたんだけど〜」

「簡単、ですか。それならば、ぜひここへ『どうやって入ってきた』のか、教えていただけませんか? そう簡単には入ってこられないようになっているはずなのですがね」

「ダメ、ダメ。そ〜簡単に教えてあげるわけないだろ? それくらい、自分で考えたらどうなんだい?」


 小馬鹿にしきった、隙だらけの姿に、壱号が舌を打つ。
 攻撃しようにも攻撃出来ない。ただ少しの隙を突いただけで倒せる相手ではないし、その側に立つ男が鋭くも重たい闘気をまとっている。安易な行動は出来なかった。


「それでは代わりに、あなた方の用件を聞かせていただけませんか?」

「用件、だって? くくっ、分かってるのに知らない振りをするなんて良くないなぁ〜? とぼけるのはやめといたほうがいいよ。……だろ『死神』?」


 男を見上げ、試すように問いかける。
 死神――――ライコウ様にそんな名前を付けるなんて。
 澪は溜息をつき、腰の左右に下げた二本の剣の柄に手を置いたまま黙するライコウを見据えた。

 すると不意に壱号が宿した炎に視線を遮られる。激しく燃え盛り揺れる炎は、激情のようだ。


「お前らが何を企んでいるか知らないけれど、僕の仕事場に土足で入り込んだうえ、好き放題散らかされたんんじゃ、黙っちゃいられないね」

「せやせや。おたくら、セーメイがおらへんときに来て命拾いしたで。あのおっそろしー陰陽師が帰って来る前に、出てったほうが身のためやと思うで」


 壱号に続き、弐号。ふざけて軽口を叩き、忠告する。
 されども彼もまた鶏冠(とさか)を異様に燃え上がらせていた。
 二人の警戒と敵意が、炎に如実に現れていた。

 不穏な空気が凍り付き、少しの衝撃で壊れそうな程に張り詰めていく。

 それに、北狄は唇を尖らせた。


「式神とデブ鳥ごときが、僕に刃向かおうとはねぇ……」


 艶めかしい口から、また不吉な笑い声。ゆらりと立ち上がり、口角を引いた。
 円形の得物。大陸の圏(けん)という武器に似ているが、それにしては巨大だ。


「今すぐに、その体をずたずたに切り裂いてやりたいところだけど……今、僕が欲しいのはそれじゃない」


 特殊な形状の刃を舌で嫌らしく舐め上げ、にいっと嗤(わら)う。鬼灯飴と彼の舌と唇の赤が映り込み、まるで血のように浮かび上がる。


「僕が欲しいのは二つ……御衣黄の宮とそこの黄泉の一欠片の血さぁ」


 ああ、どちらもだったか。
 だが澪は落ち着き払い、「無理でしょう」と笑顔を返した。
 大丈夫、彼らは知らない。澪の殺し方をその順番を知らない――――。


――――筈だった。


「……くく……くくく……」

「?」

「……右腕、左腕、右足、左足」

「え……」


 右腕、左腕、右足、左足――――最後に首。
 彼は澪達以外知る筈のないそれを愉しげに並べる北狄に全身が冷えるような思いだった。
 金波銀波も、ぎょっとして澪を振り返る。


「この順番で切り落とせば、確実に死ぬんだよね? ……良いや、死ぬんじゃなくて、消失するんだったかな? 考えたね、大陸の死にかけ仙人に作ってもらえたんだっけ」

「何故、それを、」

「さあ、どうしてだろうね?」


 さらり、懐から取り出したのは石だ。
 黄色く透き通った角張ったそれは――――琥珀。
 それを見た瞬間澪は色を失いたまらず前に出た。唾を飛ばしてらしくなく北狄を怒鳴る。


「退がりなさい澪!」

「小舟(こふね)に何をしたのです!?」

「さあ、どうだろうね? でも、あんなの生きていない方が良いんじゃないの? だってあの子は――――」


 瞬間、澪は北狄に飛びかかっていた。
 彼の細い手から琥珀を奪い取ろうと手を伸ばす。

 が、呆気なく北狄に握られた。
 嗤笑(ししょう)し、首にそうっと腕を回す。


「澪!!」

「お馬鹿さん。あの小鬼のことになると、本当に何も考えられなくなるんだねぇ」

「……っ」


 耳をかじられ首をすくめる――――そして、肉を噛み切られた。
 血の臭いに、北狄は興奮しているようだ。
 澪は目を細めて唇を歪めた。


「小舟……っ!」

「さぁて、先にこの子を殺しちゃおう。……お前が死んだ儀式の通りに」


 澪は奥歯を噛み締め、目を伏せた。
 呻き、大きく口を開く。

 瞬間――――犬歯が異様に伸びた。



 がぶり。



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