澪が屋根に登ってからすぐ、源信達は戻ってきた。
 壱号も弐号も苛々しているのが分かる。
 源信も決して表には出さないが俯瞰(ふかん)から見た姿から落胆が伝わってきた。

 疲労も、思ったより酷い。
 壱号と弐号に手伝ってもらおうと思ったけど、駄目か。
 これ以上無理をさせると晴明の《命令》に従えないかもしれない。
 ……危険だけれど、私達で行くしか無いみたいね。
 成功率は低いがやらない訳にはいかない。

 ふててしまった澪は、それから三種の神器の情報収集には参加しなかった。漣も珍しく機嫌の悪い澪を恐れ――――否、気遣って距離を置いている。
 苛々はまだ収まっていなかった。さっきのやりとりが度々思い出され、拳に力が籠もる。


「……ねえ、漣」


 声をかけると、大仰なくらいに獣の体躯が震える。
 びくびくしながら近付いてくる漣を見てにっこりと笑い、


「不思議ね。今なら道満様も容赦無く殴り倒せそうなのよ」

「「どうかお考え直しを!!」」


 金波銀波の姿になってその場に平伏する。
 澪はふふ、と小さく笑った。


「澪様、晴明様の影響を受けてらっしゃいますお願いですからどうか何卒そのような発言は慎まれて下さい!! でないと黄泉の王に何と申し開きをして良いか……ついでに言えば確実に標様が下手くそな真似をしますから! その面倒を見させられるのは俺なんです! 俺の胃の為に どうか、どうか……!!」

「セーメイさんみたく嫌ーな笑顔で『お仕置きですね』とか言い出しませんよね!? 俺どう対処したら良いか分かんないッスから!!」

「お仕置きですね」

「いや振りじゃなくて!! マジで怖いっスから!!」


 そんなやりとりをして、大内裏の中を見遙かす。
 それから何もせずに源信達が戻ってきては外に出て行くのを見送って、暮れなずむ空が濃紺に浸食される様を眺める。

 夜が更けても屋根から降りない源信が心配して声をかけてようやっと、建物の中に入った。
 すると、澪の見てくれに皆が驚いた。汚れてしまって外套を脱ぎ髪を切る羽目になってしまったと説明をしたけれど、源信が納得してくれたか分からない。
 部屋の隅で彼らの最終的な報告を聞き、一度解散するとのことになったのに腰を上げた。


「申し訳ございませんが、今宵は私、大内裏に残ります」


 有無を言わさず告げ、もう一度屋根に上ろうと簀の子に出る。
 それを阻むように源信がにこやかに切り出した。


「今日はみんなで仕事寮へ泊まりませんか」

「あら……泊まるのですか?」

「ええ。一度、みなさんと一緒に、いろいろとお話をしてみたいと思ったんですよ」

「賛成!! 大賛成!! 不肖銀波手放しで賛成しますー!!」


 異様に青ざめて、異様に慌てて源信に同意する銀波に、壱号達が怪訝そうな顔をする。近くに座っていた金波に弐号が密やかに近付いて何事か問いかける。金波が青ざめて答えると、弐号もまた青ざめた。


「あの……けれど、」

「大事な時だからこそ、我々の意志疎通が大切です。苛立ち、互いに不安を押し隠している状況では見えるものも見えなくなってしまいますから。都を支える我々にこそ、今一度、理解し合う努力が肝要です」


 「それに……」彼は皆を見渡して言葉を区切る。


「……みなさん休んでらっしゃらないご様子。時には、敵陣で寝る胆力も必要ですよ? あとは、……まあもろもろ気に留めた方がよいことも、ありましてね」


 源信は澪の襟元を見て眉間に微かな皺を刻んだ。
 反射的に手をやって、襟に少しばかり堅い感触があり、しまったと顔を強ばらせる。

 源信からつられるように、自然と仕事人達の視線も集まる。


「襟に付いた血について、わたくしに教えていただけますね」

「……分かりました」


 澪は苦笑し、源信に頭を下げた。



‡‡‡




 源信は和泉も誘ったが、あまり騒がぬよう笑って釘を差し、御所へ戻ってしまった。
 それを、金波が念の為だと護衛しについていった。
 和泉の後ろ姿を見ている澪の心中は、未だ苛立ったままだ。

 澪が目を細めると、銀波が分かりやすく怯えて源信の背後に隠れた。


「なあ、何で銀波の奴あんなに怯えてるんだよ」

「さあ、どうしてでしょう」


 にこやかに首を傾けて言うと、壱号はうっと言葉を詰まらせる。露骨に視線を逸らし、弐号を投げて寄越した。きょとんとして抱き留めて膝の上に置く。


「八つ当たりならそいつにしろよ」

「まあ、ありがとうございます」

「ちょちょっ、何言うとん壱!?」

「……あ、でもこのままじゃ食べれません。お肉は焼かないと」

「食う気なん!?」


 弐号が遮二無二暴れて逃れた。澪は彼をあっさりと放し、小さく笑う。

 それを、源信が咎めるように呼んだ。


「澪。話して下さいますね。話は、逸れませんよ」

「……ごめんなさい」


 ああ、やはり見逃してはくれないようだ。
 少しだけ厳しく言われ、澪は苦笑して肩をすくめた。



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