陸
大内裏の様子を一通り見てみたが、やはり残滓すらも見つからなかった。
澪の立ち入れない内裏にも、めぼしい手がかりは無いだろう。和泉が、何かを見つけてくれる可能性は低い。
漣と合流し、やむなく仕事寮に戻ると、そこには仕事に没頭する和泉の姿が。
そっと覗き込めば源信達からもたらされた情報を書物にまとめていた。澪の見ただけでも三種の神器に繋がるものは皆無だ。それでも、藁(わら)にも縋りたいこの状況下で、些末な変化も漏らさない。
澪はもう一度外に出てみようかと考え、しかし漣に無言で休むように諭された。もう平気なのに、首が斬り落とされたことを心配しているのだ。
和泉には悟られぬように、漣に礼を言った。
和泉にお茶を淹れた方が良いかと思って、源信の真似をしてみたものの、失敗。三度繰り返して諦めた。
「漣、お茶ってどう淹れたら良いんでしょうね」
問いかけると、首を傾けられる。そりゃそうだ。
苦笑いを浮かべて失敗作を飲んでみる。……とても苦かった。眠気覚ましにはなりそうだが飲めたものではない。
悪戯心で漣の猿にも蛇にも飲ませて悶絶する様を楽しみ、捨てる。恨めしそうに睨め上げられておどけたように肩をすくめた。
取り敢えず唐菓子(からくだもの)だけを持って和泉のもとに戻ると、彼はまだ仕事に熱中している。
そろそろ休んだ方が良いと声をかけるが、無心になっている彼は気付いてくれない。
仕方がないのでそろそろと後ろに立ち、
「わっ!」
「ッ!?」
がばっと振り返った和泉の目の前に、唐菓子を持ってくる。
「一旦、休まれて下さいな」
和泉は緩く瞬きした後、苦笑する。一瞬だけ肩の力が抜けるも、すぐに笑顔は無機質な仮面のそれへと変わる。
「お茶は、無いんだ」
「ご用意致しましょうか? ねえ、漣」
揶揄するように言うと、漣が和泉の膝に前足を乗せて全身全霊で拒絶する。金波銀波の姿なら、青ざめ必死に和泉を説得するだろう。
澪は小さく笑い、漣を窘(たしな)めた。
「ごめんね。澪。もう日も暮れかけているし、源信が戻ってきたらそのまま帰って休むと良いよ」
「いいえ。今宵は都を見て回ります。あまり悠長にしていられる状況でありませんから。アヤカシ達の様子も少々気になります。私達のことは、お気遣いなさらずとも構いませんよ。これもお役目のうちですから。それに、確かめたいこともありますし」
「確かめたいこと?」
「ライコウ様のことです」
澪は頷き、漣を見た。
「漣に見回りに行かせましたところ、ライコウ様のお邸には頼子様の気配が無いようですの。更には、」
「駄目だよ。今は三種の神器の捜索が第一優先事項だもの」
和泉は、にこやかに遮る。
されど澪は言葉を止めなかった。
「更にはライコウ様のお邸に、沙汰衆の北狄様とおぼしき匂いも残留しておりました。三種の神器紛失に於いて、何か関連があるかと。なれば、ライコウ様のお姿が見えないのも納得出来ます」
本当は、全てが分かっている。
頼子が何処に囚われているのかも。
されど敢えて中途半端な情報を与え、澪は和泉を揺さぶった。
ライコウが沙汰衆に手を貸していることは明白だ。はっきりとは言わずに、和泉を誘導するように語りかける。
「沙汰衆の者が今回の件に関わっている筈。頼子様の居場所を突き止めれば、三種の神器に関する情報も得られるのではないですか。お気の毒ですが、ライコウ様のことも――――」
「――――いいかげんにしてくれないか……」
絞り出されたような、か細い声を和泉は漏らした。
しかし、澪は冷たく突っぱねる。
「お断りします。神器の発見について私達の見つけた手がかりです。無視をするならば私達だけで当たります」
和泉は澪の肩を掴んだ。
苦しみと怒り、悲哀。
様々な感情がうねり狂う瞳を見、一瞬だけそれが過去の忌まわしき村人の目と被る。いや、これは全く別物だ。あの人達は、貪欲な生の渇きしか無かった。こんな、感情豊かな人間らしい目はしていなかった。
勘違いに竦みそうになる自分を叱咤し、強く見つめ返した。
「許可は出来ない。頼子ちゃんのことはこちらで調査させるから、引き続き三種の神器を探してくれ」
「あなたの許可を得る必要はありません。一番有力な手がかりを私情で無視されるあなたの思考を疑います」
「私情だって……?」
「ライコウ様は、明らかに三種の神器に関係なさっています。頼子様を人質にとられ従わされているのであれば、一刻も早く頼子様を助けるべきです。あなたは、皇太子。今この時本当に取るべき道は、お分かりの筈です」
和泉は奥歯を噛み締めた。澪を突き飛ばすように放し、背を向ける。
「……っ、何も知らないくせに」
「ええ。分かりません。ですがあなたとて同じでしょう。あなたも私達のことは何も知らない」
幼馴染みなんて、同年代の友人なんて、頼れる仲間なんて、無かった。
生まれた時から生け贄になることを決めつけられた。
暗く湿った場所で十三年飼われ、感情もろくに無いまま成長していった。
唯一、家族として扱ってくれる実兄が現れた時の、一瞬にして世界が鮮やかに、広く拡張したような清々しい感覚は彼らには分かるまい。
最初から、彼らは人として育てられ、人として見られてきたのだから。
自分達には無かったことが、彼らには《当たり前》のようにある。否、彼らにとっては無い方がおかしいのだ。
ああ、こんな風に人として生まれていたら、私も標もあんなことにはならなかったのに。
「家畜のように人に飼われる感覚も、あなたには到底分からないでしょう。私はまつろわぬ民、あなたは皇族。馴れ合いは出来ても、真実相容れることなど無いのでしょうから」
どうしてか、苛立っている。
和泉を憎んでいる訳ではない。いいや、過去のことなどもうどうでも良いと割り切ったじゃないか。
それなのに今の和泉を見ていると心の中がささくれ立って、声を荒げずにはいられない。
どうしてなのだろう。
疑問を感じながらも、澪は背を向けた。簀の子に出て屋根へと登る。
「漣。壱号様達が戻っていらしたら、彼らに協力していただきましょう」
もう知らない。
好きにすれば良い。現実から目を背けて後悔すれば良い。
澪は投げやりな態度で、腰を下ろした。
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