肆
『良いですか、澪さん。ある程度はあなたの要望にお応え出来ました。ですが、ご希望の機能が多く、調整も複雑であるが故、器にあなたの魂が馴染むまで非常に時間がかかります。かかる時間は……そうですね。最低でも数年でしょう。一番手っ取り早い方法は三種の神器を揃えた上で力を貰うことですが、それは難しい。ですが馴染んでしまえば力をこの器の中で生成する機能もちゃんと働いてくれますし、自己治癒力も格段に向上します。……え? ああ、はいはい。ちゃんとその機能も付けていますよ。これが一番難しかったんですがね。何とか上手く行きましたよ。ああいえいえ、別に恩着せがましく言っているつもりではなく、無理難題押しつけられて不満がある訳でもありませんのでお気になさらず。ともかくこの機能のお陰で、あなたの過去を知る者以外は誰もあなたを殺すことが出来ません。彼も、あなたの元の身体で、存在維持が可能です』 父と仰ぐ尊き男の友人に頼みに頼み込んで作ってもらった器の機能は、申し分ない。
だが阿弖流為との戦いで三種の神器に力を貰っていたからの話だ。もし力を貰っていなければ――――首が飛んだ瞬間に自分は消えていた。
それだけではない。澪の本来の身体に宿る《彼》もまた、死んでいた。
父の友人の説明を思い出しながら、澪は廃邸の簀の子に欄干に寄りかかって座っていた。
少しだけ眠っていた。死なぬとは言え、首を切断された衝撃と、高い自己治癒力によって力は消耗してしまっている。優れた器だが、その分ままならぬ部分がある。
漣が案じるように膝に顔を載せて見上げてくるのに、澪は微笑んだ。頭を撫でてやり、「大丈夫」と声をかける。
「動けるようになったら、また神器の気配を探さないといけません。……ああ、そのまえに服の血をどうにかしないと、ですね」
傷はもう塞がっているけれど、このまま都を歩き回ると怖がられてしまうわ。
頭巾の失せた濃紺の外套を引っ張って見下ろす。鮮血は空気に触れて茶色に変色してしまっている。
それを眺めるうち、段々とおかしくなって笑声をこぼした。
「昔みたいに、血で汚れてしまってる。あの時は、自分の血だったのかしら、それとも村人達の血だったのかしら」
口に手を添え、軽く噛む。
――――不味かった。
そう、不味かった。
あの時食べた人間達の肉は不味かった。
まだ覚えている。味、感触、音、温度。
澪の笑声は狂ったように、或いは壊れたように箍(たが)が外れ大きくなっていく。
漣が憐れむように主を見つめてくるのも、何だかおかしかった。
いや、この世の全てがおかしく思える。
でもこの世では自分達の村こそが異常なのだった。
閉鎖された村、その中で長く崇拝されてきた鬼、忌まわしき風習、儀式。
まつろわぬ民の烙印を押され狂気に拍車がかかった。
そして澪が、そのおぞましい狂気を終わらせた。
食べることによって。
「ねえ、漣。あの村に正しいことは一つも無かった。でもあの村の在り方としてはそれが正しかったの。私と標(しるべ)の前にも、生け贄は沢山、沢山斬り刻まれ棄てられた。でもね、人間の肉は不味いのよ。そんなもの食べさせられて崇められて恩恵を求められて、《あの子》が嬉しい筈がないじゃない? 苦しいに決まってるわ」
鬼様、鬼様、鬼様、鬼様、鬼様、鬼様――――。
何かあるとすぐに鬼様に生け贄を捧げて、救いを求めた澪達の先祖。
でも鬼様なんて言ったって、その鬼様も生け贄だったのだ。
行きずりの母親を殺して奪った赤子を鬼として釜に放り棄てただけの存在じゃないか。
澪はふらりと立ち上がって、庭に向き直った。
日は既に暮れかけており、庭は暖色に染め上げられていた。欄干に足をかけて飛び降りる。
『澪標は生き生きとしておられる。余程この世界がお気に召したと見える』 ああ、東夷があんなことを言うからだ。
自分の知らぬ場所が、過去に縛り付ける。この世界と自分はあまりに違いすぎる。澪にはあまりに綺麗過ぎる。
ここにいればお前は堕落してしまう。罪から逃げるようになってしまうぞと、そう軽蔑してくる。
人間が憎いままで良いじゃないか。
人間が嫌いなままで良いじゃないか。
人間が怖いままで良いじゃないか。
生温い場所にとどまって、村人達とは違う温かい人間達に絆(ほだ)され駄目になって困るのは澪だ。
そろそろ、割り切ってしまえ。
これ以上人間に混ざろうとするな。人間にはなれない。最初からそうだったではないか。
役目を、償い切れぬ大罪を忘れてしまうぞ。
私じゃない私は、私の為を思って叱りつけてくる。
漣が足にすり寄ってきたのに、澪は微笑んだ。……ちゃんと微笑んでいたかは分からない。
「……そうね。しっかりしないと。標やあの子達を守る為にも、早く神器を見つけないと」
外套を脱いで、その下の狩衣は無事であることを確認する。臭いは……多分、大丈夫でしょう。
茂みの中に隠れるように畳んだ外套を棄て、漣を見やる。
「このことは秘密ね」
……でも、髪の毛はどうしましょう。
手で襟足を触ってみるが、やっぱりライコウに斬られてしまったらしい。
仕事寮に帰りながら、何か良い言い訳を考えなくてはね。
澪は外套が見えぬよう雑草をいじって一つ頷いた。
立ち上がり、身体を反転させる。
そして――――動きを止める。
「あ、」
「……澪」
口に手を当てて小さく声を漏らす。
丁度敷地内に入ってきたのだろう。
築地の穴の側で和泉が驚いたような顔をして立っていた。
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