※注意



 強い向かい風を受けながら、澪はその中から黄泉の気を感じ取る。
 ……早く神器を取り返さなければ。
 瞬きを繰り返し、天を仰ぐ。

 神器の気配は感じられない。巧妙に隠されてしまっている。
 築地の上から市井を見下ろしての捜索に当たった澪の後ろには、壱号達と戻ってきた漣がついている。

 あれからやや時が経ってから壱号と弐号が現れた。彩雪と晴明は訳あって不在だ。これについては、漣からこっそりと報告を受けた。
 二人は道満の潜伏先へ向かったのだった。彩雪は、強引について行ったのだろうけれど。

 未だ暗鬱とした和泉を源信が促し、補いつつ事の次第を説明した後、仕事人達は神器探しに着手した。

 だが、どうしても仕事人達の中で失踪したライコウと神器の繋がりは切り離せなくて。
 目を伏せ、仕事寮でのやりとりを思い出す。


『既に犯人の目星はついているのではないですか?』

『俺に……何を、言わせたいんだ?』

『御所に出入りできる者。そして、何も告げずにわたくしたちの元から消えた者……その方の存在に、宮様が気がつかないはずがありません』

『……あの堅物を疑って、どうするっていうんだい? きっと、ひとりで神器を探しに行ってるのさ。ライコウは頭に馬鹿がつくくらいの真面目だからね。頭よりも先に体が動いちゃうんだよ。俺にくらい話していけばいいのに、ほんっと困ったものだよね。昔っから変わらないよ、そういうところは。……昔から、変わらないライコウだよ。ああ、そうだ。これは、戻ってきたら相当に注意しておかないとだね。そうだ、ここはひとつ晴明を見習って、「お仕置きだ!」って言ってやろうかな』



 笑顔の仮面を張り付けて、饒舌に言った和泉は、痛ましかった。
 彼は賢しい。頭の片隅では分かっているだろう。
 それを押し殺して守りたいものは、生前の澪達が望むことも知らなかった、人間としては当たり前のもの。

 一種の生け贄でありながら自分よりもずっと人間らしく生きている和泉に羨望を抱いているからだろうか。
 ライコウを連れ戻してやりたいと一瞬だけ思ってしまった。
 今まで通りの二人を見たいと願ってしまった。

 私達は、生者に混じれないのに。


「神器とライコウ様……どちらが先に見つかるでしょうか」


 独白すると漣が鳴く。危ない真似はしないで下さいと諫めてくるのに、苦笑を禁じ得ない。


「分かっていますよ。あなた達が本調子ではない今、私一人で乗り込んでも呆気無く北狄様に切り刻まれてしまうでしょうから。せめて武に秀でた方と一緒でないと……いけませんよね」


 ライコウ様に接触してみましょうか。
 いえ、それも危険ね。ライコウ様には見張りとして沙汰衆の誰かがついているかもしれない。
 不用意な接触は、自ら殺されに行くようなものだ。
 沙汰衆はもう、澪達を殺そうとしているだろう。


「あの子も……危なくなったら逃げるように言ってはいるけれど」


 私達の為なら何でも一生懸命な子だから、従ってくれるかどうか分からない。
 足を止めて漣の頭を撫でる。

――――と、視線を感じて下を見、澪は目を細めた。


「……東夷様」


 雑踏の中、こちらに好々爺とした皺くちゃの笑みを浮かべてくる小柄な老人。
 何かを伝えるように一層笑みを深くすると、彼はくるりときびすを返した。

 漣が袖を噛んで引き留める。
 それをやんわりと剥がして、澪は築地を飛び降りた。
 獣のフリをして無防備についていく。勿論、漣をぴったりと寄り添わせた上で、だ。

 東夷は雑踏を抜け、人気の無い辺りまで足を延ばした。
 彼に招かれたのは朽ち果てた無人の邸。以前、澪が鳥と戯れた場所である。
 道途にて背後に気配を感じながら、澪は崩れた築地から敷地内へ入った。恐らくは、沙汰衆の人間だろう。

 庭の真ん中で東夷と対峙する。

 澪は東夷に一礼し、微笑みかけた。


「何かご用でしょうか。東夷様」

「左様に警戒なされるな。黄泉の澪標(みおつくし)よ。此度は何もそちらを殺めんとしている訳ではないでのう」

「あら、意外ですわ。死者の私を『殺める』なんて仰って下さるなんて」


 茶化して首を傾けた。

 東夷も嗄れた笑声を漏らす。


「ほ、ほ。澪標は生き生きとしておられる。余程この世界がお気に召したと見える」

「そうですね。とても居心地はようございました」

「生まれ育った村とは、それはもう比べるべくもなかった筈。この時代、この地に生まれておればそなたらは幸せに暮らせただろうにのう。本来の名前も忘れ、実に哀れな娘らよ」

「ですが、過ぎたことはもう詮無きことなれば、今更悔いても憎んでも意味の無いことでしょう。ご用は、こんな話をするだけですか?」


 東夷は首を左右に振った。


「我らに従っては、くれんかのう」

「お断りします。菊花様がそれを望んでおられません」

「であれば、致し方がない」


 瞬間。
 漣が金波銀波に分裂し背後に立った。
 それぞれの得物を重ねて衝撃を受け止める。

 東夷は駆け出し築地に飛び上がった。


「では、任せるぞい」


 ……殺さないと言っていたでしょうに。
 立ち去る東夷を見やり、澪は嘆息した。ゆっくりと振り返った。強い引力放つ目を、《彼》へと向ける。
 微笑み、一礼した。


「……こんにちは。ライコウ様」

「……」

「今日は、風が強うございますね」

「……」


 《彼》は顔も隠し、澪に静かな殺気を向ける。
 見た目ではライコウとは分からない。
 けれど澪には、姿を見ずとも彼がライコウであると、分かっている。

 魂を見れば簡単だもの。そう頻繁に見ている訳ではないけれど。


「頼子様を人質にとられてしまわれたようですね。心中お察しします」


 ライコウは答えない。ひたすらに無であろうと、感情を押し殺す。

 澪は笑みを消さない。
 片手を挙げて金波銀波を退がらせた。
 当然二人は従わない。退けば彼は澪に襲いかかる。叫ぶ自我を殺して、澪を殺す。

 でも、それが出来ない確信があった。


「金波、銀波」


 強く命じると、彼らは呻いて引き下がる。彼らも、それが分かっているから、従う。渋ったのは、ライコウを案じてのことだった。

 壁が消えた直後にライコウは得物を薙ぐ。
 一瞬だけ、堅く目を瞑って現実を拒むライコウの苦しげな顔が見えた。



‡‡‡




 ぽーん、と。
 それは軽やかに宙を舞い、地面に落ちた。濃紺の布を地面に残し、ごろごろと転がり、止まる。

 金波はそれから視線を逸らし唇を噛み締めた。
 彼女は死なない。分かっている。
 分かっているけれど――――主の首が飛ばされる様を見て平静を保っていられる部下など、いやしない。

 切断された首から血を噴き、澪の身体は後ろに倒れる。
 いずれかを切断すれば死ぬと東夷に吹き込まれていたのだろう。迷いがありありと現れていた一閃は、しかしたった一太刀で骨と肉を断った。


「澪様!!」


 銀波が叫ぶ。金波はそれを睨んで黙らせ、澪の頭を丁重に持ち上げた。

 その直後である。


「残念でした、ライコウ様」

「!?」


 首が、言を発した。
 おどろしき現象にライコウは思わず得物を取り落としてしまう。数歩後退して、澪の顔を向ける金波から距離を取った。


「な、に……?」

「澪様……」

「金波、お願いします」

「御意」


 金波は慎重に澪の首を合わせる。

 すると、合わさった切断面が、じわりじわりとくっついていくではないか!

 ライコウはその様に言葉を失っていた。わなわなと手を震わせ、澪が起き上がる様を見ている。


「どうです」

「……少し、痛いですね。ですがすぐに繋がるでしょう」


 澪は、金波に謝辞をかけ、ライコウに向き直った。
 血塗れの服をそのままににっこりと笑いかける。

 けれど、金波は化け物を見るようなライコウの目に、彼女の心が傷ついていることを、悟っていた。



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