壱
朝ぼらけ、源信が大内裏からの使者から一枚の手紙を受け取る。
そこには見慣れぬ癖の文字で決まりの歌が書かれてあった。
『曙(あけぼの)に 黒より昏(くら)い 烏啼(な)く』
言葉は少々異なるものの、密仕の伝えだ。
澪と源信は顔を見合わせた。漣も外を確認し、首を傾げてみせる。
密仕の報せは普賢丸が持ってくるのが通例であった。今回はそれが無い。
澪は漣から密かに受けた《報告》を思い出し、脳裏にライコウの姿を思い浮かべた。
唇を引き結び、漣を呼ぶ。
言わずとも心得たとばかりに鳴き、彼は学び屋を飛び出した。
「澪?」
「何となく、何かが起こるような気がして、見回りに行かせました。杞憂であれば良いのですが」
……言わない方が、良いわよね。
まずは何が起こったのか把握しなければ。その上で、また考えれば良い。
源信と手早く密仕服に着替え、普段の獣の澪のフリをしながら大内裏へ急行する。
外とは空気を異にする大内裏は、普段とは違う様相を見せた。
多くの役人が行き交い、すぐ側の貴族が苛立たしげに砂を蹴り上げる。
焦燥感の立ちこめる大内裏に、源信の足は自然と速まった。
澪も気が気でなく、源信に合わせながら仕事寮へ飛び込むように入れば、そこには和泉がぽつねんと座していた。
当然のように常に側に控えていたライコウの姿は――――無い。
和泉のまとう雰囲気に源信は大股に歩み寄り、彼の表情を窺った。
澪はふと簀の子に出て意識を研ぎ澄ました。
ややあって、あるべきものが無いことを知る。
澪は気色ばんで和泉に詰め寄った。
「何故、無いのです。厳重に管理なさらなかったのですか」
三種の神器が、無いのである。
澪には大内裏の中に一つも残っていないことが、気配で分かる。
一気に紛失した事実に、思い当たる節はある。でもそれは澪にとって何がなんでも忌避すべきことであった。
これでは唯一場所の分かった草薙剣を異界にまで持ち込み隠した意味が無い。
和泉を睨み逃げを許さぬ澪の肩に、源信がそっと手を載せた。
「まず、落ち着きなさい。宮様を良く見なさい」
「……」
分かってはいる。
和泉も憔悴しているし、表情が疲れて暗い。
澪は深呼吸を一つして謝罪し、腰を下ろした。
居住まいを正し、和泉を見据える。
「和泉様。三種の神器を何処に?」
「……」
「和泉様」
和泉は俯いたまま、告げる。
「三種の神器もライコウも、姿を消したんだ」
‡‡‡
澪は長々と嘆息した。
眉間を指で押さえ、唇を引き締める。
「なんてこと……」
「はは……ごめん。昨日の今日で、こんなことになっちゃって」
澪は責める気も失せた。
顔を上げた和泉は、痛ましい程に精彩を欠いていた。微笑みも力無く、普段通りの肉付きの顔なのに疲れ果てた雰囲気で窶(やつ)れているように見えてしまう。
二つの事実に、それらから考え得る可能性に打ちひしがれているのが、見て取れた。
厳重に管理されていたのならば、持ち出したのはライコウだろう。彼しか、見合う条件の人間はいない。
もう一つライコウに関して気になる情報がある。
今は漣達の情報を、待つしか無いわね。
澪は和泉を見、源信を呼んだ。
「源信様。お茶を淹れていただけないでしょうか。落ち着きたくて」
「……分かりました」
源信は和泉に一礼して立ち上がり、奥へと退がった。
和泉はそれを目で追い、ほうと吐息を漏らす。胸に手を当てて痛ましげに顔を歪めた。
澪はそれを見、何も言わずに視線を外にやった。
「……死ぬのが先か、丸く収まるのが先か……」
「澪?」
「……お気になさらず」
私が死ぬのが先か、最悪の事態を回避し《彼》を止められるのが先か。
このままなら、前者の確率が高いでしょうね。
……ああ、いえ。『死ぬ』と言うのは誤りね。
私はもう死んでいるもの。
和泉の視線を受けながらも、澪は暗い微笑みを浮かべずにはいられなかった。
私にとっての死は消失。
消失すれば、命の繋がった妹も消えてしまう。妹だけじゃない。《あの子》も消えてしまう。
澪達が消えたとしても、何も変わらないだろう。元々無かった役目を、情けで与えられただけなのだから。消えたって問題は生じない。
黄泉の一欠片に過ぎない私達は、そんなもの。
「お茶が入りました」
「ありがとうございます、源信様」
源信が戻ってきた途端に表情を取り繕う。茶を受け取り、一口啜る。源信の身にまとう空気のような優しい風味が口内に広がるのを感じ澪は肩から力を抜いた。
「落ち着きましたか」
「はい。お陰様で」
「それは良かった」
源信と笑い合い、簀の子の方を見やる。
「彩雪さん達はまだいらっしゃいませんね」
「ええ。早く来すぎてしまったでしょうか。ほぼ同じ頃に手紙が届いているのではないかと思うのですが……」
「昨日の今日ですし、お疲れで熟睡なされているのかもしれません」
「でしたら、参号さんは今頃大慌てなのかもしれませんね」
和泉を気遣って、穏やかに冗談を交わす。
源信が同意を求めると、和泉は弱々しく微笑んで見せた。
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