拾肆




 澪が源信に手招きされるのに従って駆け寄るのを認め、晴明は身を翻した。
 いずこかへ立ち去ろうとしたのを、和泉が呼び止める。


「どこへ行くんだい、晴明」


 晴明は足を止め、振り返らずに静かな声を返す。


「……用は果たしたからな」

「だから仕事寮から抜けるって?」


 和泉の責めるような問いには、無言の返答。肯定だ。
 和泉はやおら溜息をついた。


「……俺は、晴明に仕事を選ぶ自由を与えたけれど、辞める自由は与えていないはずだよね」

「和泉?」

「宮!」


 源信もわざとらしく吐息を漏らしながら、困ったように笑う。


「今、安倍様に抜けられたら、戦力的に大痛手なんですよね」

「そうそう。第一さっきの話だと、この勾玉を失ったら晴明は暴走してしまうんだろう? だったら、持っておかないと」


 穏やかな微笑みを浮かべる源信に同意し、軽佻な声で「はい」晴明に勾玉を向ける。

 その様からは、先程の姿、力の発露に対して負の感情の一切は見受けられない。
 晴明は彼らを見、ふ、と苦笑した。


「全く……物好きな奴らだな」


 憎まれ口を叩く。
 しかしそれは嫌な響きが無く、晴明は和泉の手から蒼の勾玉を取った。
 その力に制御され、僅かに漏れていた晴明の気が落ち着きを見せる。

 澪は誰にも気付かれぬように吐息を漏らし、漣(さざなみ)の背に腰掛けた。


「よし、それじゃあ一旦、仕事寮に戻ろうか。今後の対策も練りたいしね」

「そうですね、熱いお茶でも飲んで一息いれましょう。澪、漣が大丈夫なのでしたら、そのまま漣に乗っていなさい」

「ありがとうございます、源信様」


 頭を撫でられ、澪は目を細めた。
 漣もそれくらいは出来ると鳴いて主張し、澪を乗せたまま仕事人達の先頭を歩き始めた。


「疲れたら言って下さいね。まだ、私達には大仕事が残っていますから」


 わざと声を潜ませずに言い、漣の頭を撫でる。
 源信が問うように呼んで来たのに笑みだけを返し、一瞬だけ晴明と彩雪の様子を確かめる。
 二人に皆の注意は、行っていないようだ。

 今は、彩雪さんに誰の目も向けないようにしておかないと。
 彼女の胸の中にある赤い秘密は、まだ誰にも知られてはいけないのだ。



‡‡‡




 仕事寮に戻ってすぐ簡単な話し合いをして、ひとまずは解散、ということとなった。
 澪は源信に代わって湯飲み等を片付け、漣に一つ二つ用事を言いつける。彼が音も無く闇に紛れたのを見、帰り支度を始める面々を見守るライコウにそっと歩み寄り、話しかける。


「ライコウ様、お助けいただき、まことにありがとうございました」

「……いや、気にしなくて良い。それよりも、怪我は?」

「今の身体は、本当の身体と言う訳ではないのでお気遣い無く」


 安堵して薄く笑うライコウは何処か上の空だ。ちゃんと会話をしているのだけれど、意識が半分何処かに行ってしまっているような印象を抱く。
 澪は首を傾け、ライコウを探るように見た。自我を取り戻しても、目の引力はそのままだ。ライコウはたじろぎ顔を逸らした。


「……拙者の顔に、何か付いているか」

「いいえ。様子がおかしいのでもしかしてライコウ様が何か大きなお怪我を隠されているのではと」

「いや。幸いながら深い傷は無い。あの悪――――いや、北の王を退けられたことに実感が沸かず、正直地面に足が着いている気がしないのだ」


 嘘だ。
 澪は即座に看破する。
 けれども表面上は納得してみせ、大怪我が無いならそれで良いのだと笑顔で労(ねぎら)いの言葉をかけた。

 その側にいる和泉にも同様の言葉をかけ、源信のもとへ駆け寄った。
 源信は和泉を一瞥し、何事も無かったように澪の頭を撫でた。


「では、帰りましょうか。漣は、」

「漣には用を言いつけました。用と言いましても些末なことですから、すぐに戻って参りますわ」

「そうですか。では明日の朝食は、多めに支度をしましょうね」

「お手伝いします」


 柔らかな声音のやりとりが、少しだけ擽(くすぐ)ったい。
 源信は仕事人達に丁寧に挨拶をし、一足先に大内裏を後にした。

 朱雀大路に出るなり、大仰に溜息をつく。


「何だか、沢山のことがありましたねぇ」

「そうですね」

「暫くはお休みをいただけると有り難いのですが……宮様は、そうもいかないでしょうね」


 澪は言葉を返さなかった。
 三種の神器が揃った以上和泉は皇位継承権を確実なものとした。
 もう、血の定めからは逃げられない。目を背けることも許されない。
 彼が帝となりし時には――――もう仕事寮も無くなっているだろう。自分や金波銀波も、この世にはいない。在るべき場所へ戻っている。

 黄泉を逃れてから、長くもなければ短くもない間源信達に世話になった。
 人間が嫌い、人間が憎い、人間が怖い――――ずっと妹と金波銀波だけで過去の記憶に苦しみながら過ごしていた澪にとって、ここは想像もしたことが無いくらいに暖かかった。
 ……いや、最初から想像なんて無理だった。
 家族の正しい形を、よく知らないのだから。

 ここはとても優しい人間ばかり。村とはまるで違う。
 でもそれでも浪太やその家族、羅城門の霊のように差別を受けて苦しんできた人間もいるのは事実。
 生きている人間に対してどのように接したら良いのか分からない。死者には、何の恐怖も嫌悪も無く、その生き様を敬えるのに。

 生きているのと、死んでいるのと。
 違いはそれだけだのに。


「澪」

「はい」

「貴女は、宮様を恨んでいますか?」


 躊躇いがちの、ほんの少しの不安が滲む質問。
 澪は源信を見上げ、首を左右に振った。


「昔のことなど、もう些末なことですから」


 それだけ言って、眦を下げて笑った。
 そう。全て昔のこと。
 自分が全て終わらせたこと。



 澪の罪に、和泉達今を生きる人間は関係無いのだ。



●○●

 夢主の正体が明かされつつある……と思います。
 これから先は多分彩雪と夢主で視点がころころ変わるかと思います。全く違う場所にいるので。
 夢主視点の方が多いとは思いますが、彩雪サイドにも夢主の大事な部分が出てきますから、ちょいちょい挟む感じで入れ込んでいくかと。



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