拾参




 果たして、阿弖流為は戻った。
 けれども澪に達成感はなく、彼女の華奢な身体には、疲労感と無力感だけが残った。
 澪は和泉の横を素通りし、源信に支えられる銀波に歩み寄った。


「大丈夫ですか、銀波」

「超余裕ッスよ――――って言いたいところなんですけどね。正直キツいです」


 俺も、兄貴も。
 銀波はへらりと申し訳なさそうに笑い、銀波と同様、疲労困憊した風情で壱号に支えられた金波を振り返った。金波はもう、笑ってみせる余裕も無いようだ。青ざめ、生気の尽きかけた様子で、それでもなおこちらに近付いてこようとする。

 澪は源信に頭を下げ、金波に近付いた。壱号に頷いて見せ、彼を支えつつ地面に座らせる。


「私が、完全ではないからですね。無理をさせました。ごめんなさい」


 金波は囁くようにいえ、と。本当は笑いたいのだろうが、銀波よりもよく頭が働き後方支援専門である為体力の少ない彼は、よく戦ってくれた。
 金波銀波それぞれに労(ねぎら)いの言葉をかけた。

 と、


「晴明……」


 和泉が声を発する。
 澪ではなく、晴明に話しかけた。

 ライコウも、晴明にゆっくりと近付く。

 晴明は未だ人狐のまま。


「……どういうことか、説明してもらえるか」


 何処か責めるような響きのキツい問いかけに、晴明は涼しい顔で思案し、


「言ってなかったか?」


 さらりと宣(のたま)った。

 当然、ライコウは気色ばむ。
 大股に詰め寄るのを、弐号が止めた。皆疲れているのだ、彼らを押さえるのに無駄な労力は使いたくはない。


「セーメイ! たぶん、っていうか絶対、……それ言うてへんで?」

「ボクも、そう思う」


 壱号も金波の側に立ったまま、同意する。
 二人は晴明の式だ。それに、晴明に作られたばかりの彩雪とは違う。
 晴明の正体など、知っていた筈だ。


「……取り敢えず、説明して貰いたいかな」

「それは私のことだけか? それとも、澪のことも聞くつもりか?」

「そうだね。把握しておきたいから」


 ちらり、と和泉が肩越しに身を振り返る。感情を押し殺した目を受け、澪は無表情に見つめ返した。

 晴明もまた、澪を見ている。だが和泉と違って、嫌ならば断って良いと、気遣ってくれている優しい目をしていた。


「構いません。とは言え、現世の人間に話せることなど、多くはありませんが」


 晴明に頭を下げると、晴明は溜息をつき、顔にかかった髪を払った。


「この姿からわかる通り、私には妖狐の血が流れている」

「妖狐……だと?」

「母方の血筋でな。父は人間だ」


 晴明の言葉は、淡々としていた。
 本当なら、あまり人には話したくはない話。それでも話すのは、彼の中できっかけがあったのだろう。
 多分、彩雪も関わっている。


「……母は、私が人として生きることを願った。だから私は、人として世に身を置いてきた」


 彩雪は俯く。胸を押さえ痛みを堪えるように唇を引き結ぶ。


「じゃあ、なんで今、その姿に変じたんだい?」

「……守るべきものが、できたからだ」


――――それは、ほんの一瞬のこと。
 晴明は彩雪を見た。
 はっきり答えていないのに、あれでは誰を守りたいのか言っているようなものだ。
 澪は小さく笑った。

 すると、ぎろりと睨まれる。
 それでも笑みを消さないでいると、彼は舌打ちして和泉の目の前に手を差し出した。囁くように呪を唱える。

 途端掌の上に一つの光が生じる。
 それは徐々に形を為し――――それに応じるように、晴明の姿もまた、人のそれへと戻っていった。


「晴明……様……」


 ころり、と。
 晴明の掌を転がるのは勾玉だ。蒼く美しい、勾玉。


「安倍様、これは……!」

「神器の一つ、勾玉だ」


 八尺瓊勾玉、その《片割れ》。
 もう片方は別のところへ隠してある。
 一番、安全かもしれない場所に。

 皆が食い入るように見つめる中、晴明は言葉を続ける。


「妖狐の力は余りにも重い。時には暴走もする。だから我ら一族は、この勾玉を体内に埋め込むことで力の制御を行い、同時に勾玉を守ってきた。……だがそれも、時が来たようだ」


 蒼い勾玉が微動する。
 それはふわりと浮き上がると、緩慢な動きで和泉のもとへと移動していった。皇(すめらぎ)となる者のもとへ。

 手に収まった瞬間、草薙剣が、八咫鏡が、高い、澄んだ音を立てた。

 共鳴である。


「最後の……神器」


 和泉は勾玉を見下ろし、息を呑む。
 これで彼は、逃げられない。

 晴明は和泉の様子を見つめ、澪を見やった。


「澪は、黄泉の王に最も近い存在だ。それが、故あって黄泉を逃れ金波銀波と共にあの異界に隠れていた」

「……」

「……」

「……それだけ?」

「ああ。それだけだな。ああ、あとは双子の妹がいて、そちらはまだ黄泉に残っている。そうだったな」

「ええ」


 覚えていて下さったんですね。
 澪は微笑んで、晴明に頭を下げた。彼女の話が出たのは六道珍皇寺、しかも小野篁とのほんの一時の会話だけだった。
 兄のように慕う晴明に覚えられていたことが、とても嬉しかった。

 澪の様子に、和泉やライコウも複雑そうな顔だ。


「……澪達が黄泉を逃れなきゃいけなかった理由と、草薙剣のこと、それから悪路王の話のことは、教えられない?」

「澪自身記憶が曖昧では私にも分からん。あいつの話したことは、もう今の澪には関係ない話だ。第一、とうの昔に滅んだまつろわぬ民のことまでお前が気にする必要も無いだろう。それに――――話せば一番苦しいのは思い出す澪だぞ」


 晴明が言うのに、源信も和泉を呼んで首を左右に振ってみせる。源信は和泉のことを思ってのことでもある。
 まつろわぬ民への非道な仕打ち、それによって狂わされた澪の故郷……それは和泉を浪太達の時以上に苦しめる。
 澪は源信に頭を下げ、金波銀波を呼んだ。

 主の意図を組んだ二人は、すぐに融合して鵺の姿と変じる。


「これで、少しは楽になるでしょう」


 身体にすり寄ってくる漣(さざなみ)の頭を撫でてやる。
 そのまま帰ろうとすると源信に呼び止められた。


「さすがに、あなた達だけで帰すのは心配なので、わたくしと共に帰りましょう」

「……、……はい」


 澪は、眦を下げて微笑んだ。


 心の何処かで、ほっとしている自分がいた。



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