拾弐




 阿弖流為は恨めしそうに、胡乱げに晴明を睨め上げた。


「救ウ……? 我ヲ救ウダト?」


 澪を地面に座らせ、前に立つ。圧力に抗いながらも毅然(きぜん)と立つ。
 ゆっくりと、右手を己の胸に押し当てた。


「澪。貰うなら今のうちだ」


 そう、囁くように言って。
 瞬間彼が何をするつもりなのか分かった。
 両手を地面につき、前のめりになって晴明を見上げる。

 空気が、キン、と張り詰めた。かと思えば波紋のように揺れ、彼から蒼い光が溢れ出す。

 澪は立ち上がって両手を広げた。晴明の言葉に従い、彼から溢れ出したその《力》を身に取り込む。
 晴明から溢れた光は、星以上に、月以上に、夜の闇を明るく照らす。浄化するように、闇を浸食していく。
 急速に蒼は濃くなり、身に受ける澪の中で力が溢れていく。
 振り返れば和泉の懐に入れてあった八咫鏡と草薙剣が光を放っている。
 彩雪は晴明の姿を見つめながら《胸》を押さえている。
 ……共鳴、だ。
 澪は晴明を見やり、足を踏み出した。

 強い光に目を細めながらも、歩く。

 晴明様、と彩雪の声が聞こえた。


「兄様」

「……」


 立ち止まって呼びかけると同時に光が収束していく。
 澪の隣にいるのは、晴明だ。

 ただ、その様相は打って変わっていた。

 眩い銀髪の中から突き出した獣の耳、尾骨の辺りからはふさふさとした尾が飛び出している。
 その身から放たれるのは――――妖気。


 彼は、人ではなくなっていた。


「……この姿も久しいな」


 晴明は澪を一瞥し、阿弖流為に向けて手を翳(かざ)した。


「……黄泉へ帰れ」


 それは玉響のことだった。
 大気が大規模に爆発し、空間を大きく震わせる。

 阿弖流為の悲鳴が鼓膜を殴る。
 彼は爆発で右半身がごっそりと抉れていた。
 べしゃっと地面に崩れ、状況を把握出来ずにいる。

 ようやっと理解出来たのかと思えば、執念深く左手だけで晴明へと這い寄って来た。


「グォオオオ! 陰陽師、貴様ァアアアア!」


 澪は抉られた箇所の筋肉が不気味に痙攣を始めたのに、手を薙いだ。

 阿弖流為の身体が大きく震える。
 筋肉の痙攣は収まり、今度は澪が阿弖流為に睨まれた。


「ほぅ、あれほどの損傷を受け、それでもなお、元の肉体を取り戻せるとはな。……澪にいともあっさり阻まれたようだが」

「狐如キガ……黄泉ノ欠片ニ過ギヌの小娘ガ……!!」

「なればこそ、私はあなたにお戻りいただきたいのです」


 晴明を見上げ、澪は頷く。
 晴明は肩をすくめ、また阿弖流為へと手を翳した。また爆発。今度は左腕が損失した。澪の力によって再生は不可能。

 澪は阿弖流為の前に座り込んだ。


「戻りましょう……阿弖流為様」

「オノレ……オノレ……オノレェェェ……」


 何故だ。
 何故我らはまつろわぬ民であるからと、排他されねばならぬ。
 野を駆け、熊神を敬い、たまに打ち上げられる鯨に歓喜して、皆で歌い踊って。
 そんな生活を送っていただけだのに、何故、無理矢理に従わせ、拒めば殺そうとする。
 我らは我らの神を守ろうとした。我らの家を守ろうとした。我らの幸せを守ろうとした。
 ただ、それだけだのに。
 恨み事に、次第に涙が混じっていく。

 澪は阿弖流為の頭を撫でた。目を半眼に据わらせて、淡く笑う。


「……そう。都人はとても傲慢。……帝を敬え、敬わなければ人とは認めない……だから、私達は見捨てられ、不当な仕打ちの果て飢えた。飢えて飢えて飢えて飢えて飢えて、全てが狂っていった。私達はただ昔からの習わしに従って生きてきただけ。それをいきなり、崇める相手を変えろと言われ、拒めば貶め、非情な仕打ち。どうせ帝を敬ったって……誰も、何もしてくれないのに」


 後ろに和泉がいるにも構わず、澪は阿弖流為に語りかける。


「さあ、戻りましょう。《あちら》では、もう恨む必要もありません。こんなにも苦しむことなんて、ありません。ここで苦しむよりも、《あちら》で皆様をお導き下さい」


 澪は立ち上がり、両手を広げた。
 刹那、温かな光が阿弖流為の身体から放たれた。周囲を照らし、景色を白一色に塗り替えていく。

 ややあって、阿弖流為の、はっきりとした声が響いた。


「……、こ、れは……これはウポポか……嗚呼、アチャがウポポを歌っているのか! カムイノミか――――いいや、アチャのシノッチャか! 相も変わらずアチャのシノッチャは下手くそだ! ……おお、ウンマ。俺のウンマではないか! 今まで何処に行っていたのだ! 去年のバウェンには世話になったからな、今年はお前に良い飯を食わせてやろうぞ! ウンマ、お前はウンマだがお前もウポポを歌おう。皆を集めてウポポを歌って騒ごう! ハポの美味い飯が食えるぞ……っと、ウンマは草しか食わないか。良いマッネも見つかるかもしれんぞ」


 さあ行こう、行こう。
 この白い世界、阿弖流為は故郷の幻覚を見る。そう、澪がかけた。
 これで、戻ってくれることを願って――――。

 澪は、右足を上げ、地面に落とした。
 阿弖流為は、ウンマ――――馬と喋っている。きっと澪を襲った馬だろう。

 その声が、ふとした時から遠退き始めた。呵々大笑(かかたいしょう)は徐々に小さくなり、やがて聞こえなくなる。
 故郷に想いを馳せたまま……否、故郷にいると錯覚したまま、阿弖流為は白の中で黄泉へと還っていく。
 苦々しい感覚だ。救えた気になんてなれない。阿弖流為を諭して戻したかったのに。結局は幻覚で錯乱させて強引に戻している。
 澪は目を伏せ、きびすを返した。

 けれど、


「大丈夫か」


 晴明から声をかけられた。珍しく、案じられている。

 澪は足を止め、


「阿弖流為様との戦いを見ていた所為でしょうか、少し、四肢の付け根が痛むような気がします」


 そう、返した。



○●○

ウポポ=座り歌、輪唱歌
アチャ=父
カムイノミ=祈り・神への祈り・お祭り
シノッチャ=即興の歌
ウンマ=馬
バウェン=飢饉の年
ハポ=母
マッネ=雌


 アイヌ語です。
 阿弖流為=アイヌは確証が無いらしいのですが、ここではアイヌ語を使わせていただきました。
 アイヌ語の文法にも則ろうと思ったのですが、日本語とほぼ同じ単語の並び以外はちんぷんかんぷんでした……。


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