拾壱




 澪は愕然とした。
 目の前には黄色。黄色が視覚を邪魔して阿弖流為の姿は見えぬ。

 何故、彼が、ここに?
 何故、彼が、私を?
 茫然と見上げ、澪は口を軽く動かした。


「どう、して……あなたが……」


 和泉様。
 彼は細身の刀で阿弖流為の剛撃を受け、気丈にもしっかりと立っていた。


 澪を庇って。


 阿弖流為が舌打ちする。
 力を込めて押し潰そうとして、銀波が足下に潜り込んだのを鬱陶しげに回避。澪達から離れ金波銀波の連携を受け止めた。

 その間に彩雪が弐号を伴って駆け寄ってくる。


「澪、和泉! 大丈夫!?」

「私は……でも、彼が、」

「俺もまだ大丈夫、かな。さすがに、あれで力込められたらマズかったけど」


 澪の腕を掴んで立たせ、彩雪の方へそっと押しやる。

 澪は困惑を隠せない。
 あの阿弖流為の話を聞いた上での行動に、戸惑う。
 けれども彩雪は澪の意識を戻すように引き、和泉と別の方向へ、同時に駆け出す。

 その際阿弖流為の姿を注視していた彼女は、彼の身体に違和感を覚えたようだ。
 十分に離れたところで目を凝らす。


「澪、弐号くん。あれ……何かな」


 彩雪は眉間に皺を寄せて阿弖流為の身体を指差した。
 《継ぎ接ぎだらけ》のその身体を。
 首にも、四肢の付け根にも、くっきりとその線は走っている。阿弖流為が覇気を放てば放つ度にその線から仄かに光が漏れ、はっきりと見て取れる。


「……繋ぎ合わせた、痕?」


 呟いて、彼女ははっとする。
 ごくりと咽を鳴らし唇を引き結ぶ。視線をつかの間さまよわせ、弐号を見やった。


「弐号くん!」

「な、なんや!?」


 弐号の足をひっつかみ、強引に顔の高さまでおろす。唐突な乱暴に弐号は驚いていた。
 彩雪は構わず、思いついたことを耳打ちする。

 耳を傾けていた弐号は、ふんふん、と感じ入ったように頷く。


「あの繋ぎ目なあ……。参号、なかなかええとこに気付いたんちゃうんか?」


 ばさりと羽ばたき、


「よっしゃ、セーメイに伝えてくるから、ちょいと待っとってな!」


 矢の如し。
 寸陰で晴明のもとへ急行した彼は、熾烈な攻撃をかわしながら意志疎通を図る。それを認めた金波が二人を援護し余裕を作り出す。

 ややあって、晴明が彩雪を見、口角をつり上げた。
 彩雪が、ほっと胸を撫で下ろす。


「源信!」


 晴明の声が夜陰を裂く。
 近くにいた源信は視線を一瞬交わし、頷いて見せた。和泉へと錫杖を鳴らす。

 更に、和泉からライコウへ目配せ。

 ライコウも、金波銀波を呼んだ。金波が壱号を見やって浅く頭を下げる。


「はあああっ!」


 ライコウへ向けて放たれた壱号の連弾が、始まりの合図。
 ライコウは身体を回転させ炎の塊を避ける。通過するそれらを睨むように見据え、太刀を構える。

 阿弖流為は危なげ無く、右に避けた。
 が、そこには回り込んだ源信と金波。源信が錫杖で足を払い、胴を倒れる方向へ弓で殴る。驚く程に、丈夫な弓だ。

 阿弖流為は驚愕の声を上げる。
 そこへ晴明の幻雷蝶。無数の蝶が身体に張り付き電撃を流す。
 阿弖流為は叫び動きを止めた。

 玉響(たまゆら)。
 和泉とライコウが同じ右の付け根を狙った。連続して切り込みを深く入れ、最後に銀波が大剣で斬り落とす。
 切断面から飛び出した赤黒い液体を避けてそれぞれ跳び退った。

 阿弖流為の身体が、倒れる。


「やった!」


 歓喜故だろう、彩雪が澪の手を睨む。
 しかし澪は阿弖流為を凝視した。彼らのもとへ戻すよう諭せる機会を窺った。


「よく気付いたな。お前にしては上出来だ」


 晴明が歩み寄って彩雪の声をかける。
 澪の頭を軽く撫で、彩雪に不敵に笑いかける。


「不完全な体――――。攻める価値はありそうだ」


 彩雪は笑顔で頷いた。


「澪。暫く時間がかかるかもしれん」

「……」

「勝手な真似はしてくれるなよ」


 澪は晴明の言葉に応(いら)えを返さなかった。

 彼らは完全に勝てる気だ。
 けれども――――阿弖流為の恨みは、まだ衰えていない。


「……フザケルナ、虫ケラアアアアア!!」


 ああ、ほら。
 空気が爆ぜるような音を聞いた瞬間、彩雪と晴明が澪の側から失せた。

 ……否。
 地面に伏したのだ。
 闇がまた浸食を始め、強大な圧力を以て生者を押し潰さんとする。

 澪だけが、無事だった。
 それは意図的なもの。
 狙って、澪以外を圧迫したのだ。

 澪は背筋を伸ばし、凛然と阿弖流為を見据える。


「お戻り下さい。阿弖流為様」

「……懲リヌ娘ダ」

「それだけ、皆様の想いが強いのです。……私は、あなたと共に人間を滅ぼそうなんて、思いませんよ」


 ニタァ、と嗤(わら)った。
 小馬鹿にする笑みだ。
 ……ああ、違うのね。
 私を誘いたい訳ではなく――――やはり、どうしたって、殺したいのね。

 阿弖流為は澪の方へずりずりと這い寄ってくる。
 澪は彩雪達の安全を考え、自らも阿弖流為へと近付いた。

 源信が、金波銀波が、澪を呼んで止めようとする。
 当然、無視である。


「……ウポポを、幾つか教えていただきました。でも、私、その時まで歌を歌ったことが無くて、あなたにも母礼様にも笑われてしまいました。お爺さん達は、それなりに歌えれば、後は、楽しめば良いのだと仰っておられました。今、共にウポポを歌って欲しいと願っておられます。あなたがいなければ、楽しいものも楽しめないと。お戻り下さいまし」

「黙レ!!」


 阿弖流為は手を伸ばし澪の頭を鷲掴みにする。そのまま右に叩きつけ、頭蓋を割らんと圧迫する。
 その手に両手を置き、澪は同じ言葉を繰り返す。


「憎悪を捨てお戻り下さい。皆様のもとへ。北の民の、誇り高き王よ」

「都人ニ籠絡サレタカ! 貴様ノ恨ミハソレマデノモノダッタノカ!?」

「恨みはもう晴らしました」


 あの世界の全てを殺しましたから。
 口角を歪め、澪は目を伏せる。さてどうやって戻ってもらおうかと、努めて冷静に打開策を考えようとして――――。



――――ふと、雷撃が視界を走り阿弖流為の力が弛んだ。
 えっと思う間も無く腕を捕まれ引き起こされる。
 抱き寄せられ、目を剥いた。

 目に入ったのは、長い緑の黒髪。


「お兄様(にいさま)……?」


 ……。

 ……。

 違う。


「あ、兄様(あにさま)……」


 この人は、安倍晴明だ。本当の兄ではない。
 本当の兄にそっくりな人。
 彼は澪の頭を撫でると、阿弖流為を見下した。


「澪に感謝しろ。救ってやるのだからな」


 汗ばんだ顔で、口角を歪める――――。



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