清浄な空気を感じて目を開けた澪は、自分が源信に抱き締められていると知った。前には庇うように金波銀波が得物を構えている。

 来る衝撃はいつまで経ってもこない。
 澪は彼を見上げ、あっと声を上げた。


――――蝶。


 美しい光をまき散らす幻想的な蝶が数羽。ひらりひらりとこの場に似つかわしくない悠々閑々とした様で彼の周りを舞っている。
 その優雅な蝶達が、縛るでもなく彼の動きを拘束しているではないか。

 その蝶が生き物ではなく、そして誰の放ったものか、考えるまでも無かった。

 近くにいたらしい和泉が駆け寄り、源信共々彼から離す。澪は逆らいはしなかった。


「みんな……っ!」


 先程澪が座った岩まで退がると、今までいなかった筈の少女の声が。
 源信達と揃って振り返った先には、彩雪と、晴明が。
 澪は知らずほうと吐息を漏らした。


「何しに来たんだよ、お前。足引っ張るから、引っ込んでろ!」


 炎を手に灯し、彼を注視した状態を保ちつつ壱号が彩雪に厳しい言葉をかける。
 それを横から弐号が茶化した。ぱたぱたと壱号の周りを飛び回る。


「おっ! 壱、参号が来たら急に元気になったなあ。寂しかったんか? ん?」

「うるさい、焼き落とすぞ弐号!」

「そこ、無駄口を叩くな! 集中しろ!」


 彩雪は仕事人達の様子を見、彼らの無事に安堵した。
 けれども彼女も分かっているだろうが、仕事人達の疲弊は相当なもの。

 無事ではあれど、ライコウすら負傷しているのだ。
 激甚(げきじん)の戦いに、傷を負っていない者などいないだろう。

 それでも、鶏冠の炎の勢いが弱い弐号は、励ますように軽口を叩き続ける。


「なんやライコウ、いっぱいいっぱいやんか。そんなんじゃ、女の子にもてへんで」

「……っ! そんな余裕などいらぬ!」

「ライコウ、キミは本当に固いねえ」


 それが、意識を改める為の故意的な揶揄だとは、澪にも分かって小さく笑った。

 しかし晴明が無表情で澪に近付き、扇ではなく拳骨を頭に落とす。


「いっ、痛い、です……!」

「……相当無理をしていたようだな、澪」

「それはもう、一人でよく頑張ってくれました」


 源信に頭を撫でられる。手付きは優しいけれど……これは多分怒っている、気がする。
 晴明はもう一度澪に拳骨を落とし、鼻を摘んだ。


「ふゅ……」

「お前の望みは叶えてやる。だから大人しくしていろ」


 澪は肩を縮め、されど頷きはしなかった。自分の役目を思うと、頷くことは出来なかった。
 晴明は嘆息して、額を指で弾く。容赦がない。

 彩雪が澪に駆け寄って「大丈夫?」と声をかけてくるのに苦笑で応じている側で、源信が頭を下げる。


「ありがとうございます。安倍様と参号さんのおかげで、皆に気合いが入り直りました」


 晴明は片手を挙げ、未だ動けずに忌々しげに仕事人達を睨めつける彼を見やった。


「……やはり、違うか」

「え?」

「澪。お前は分かっていたのか」

「はい」


 澪は首肯する。

 晴明は目を細め、声を張り上げた。


「弐号! 参号と澪の護衛に回れ!」

「はいはい〜っと」

「晴明様!? わたしは、」

「澪を見張っていろ。どうにもそいつはあれに思い入れが強すぎる」

「……」


 ……仰る通りです。
 取り繕うように笑って誤魔化そうとするも、晴明に口端をつり上げて嗜虐嗜好がありありと浮かんだ嫌な笑みを返されてはさしもの澪とて顔を背けてしまう。
 無理をした、その自覚はあった。されどそれは彼を待つ、彼を慕う者達の為。私は、彼を戻さなければならない。

 逸る気持ちが溢れ出そうになる胸を押さえて彼を見つめていると、晴明は呆れ顔で、


「お前の望みを叶えてやると言っただろう。参号の側で大人しくしていろ。分からぬお前ではあるまい」

「え……」


 含みのある言い方をする。
 澪はえっとなって彩雪を見やり、彼女をじっと見つめた。
 ……感じた。今まで彼女の中に無かった物を。
 けれどもそれはつまり――――澪は晴明を見やった。

 晴明は何も言うなと視線で命じる。


「お前は、参号と共に大人しく待っていろ」

「……はい。承知しました。……《兄様(あにさま)》」


 澪は目を細め、神妙に一礼した。
 兄様――――そう呼んだことに、源信も和泉も、彩雪もぎょっと彼女を見やる。

 晴明はばつが悪そうな顔をした。


「そのように呼ぶなと、言った筈だ」

「呼ばせて下さいましと、私も申した筈ですよ」


 揶揄するように返す。胸に潜む感情を隠す為に。
 晴明はそれを察してくれた。「勝手にしろ」と吐き捨て、源信と和泉を呼ぶ。


「ええ。では参号さん。澪のことをよろしく頼みます」

「二人揃って無茶はしないでね。守ってあげられるか、正直分からないから」


 彩雪は和泉や源信達を見、思案する。呻く彼を見やり表情をぐっと引き締めた。


「……じゃあ、わたしは澪と一緒に全体を見ます。それぐらいはさせて下さい」


 力強い口調で申し出る式神に、晴明は一瞬虚を突かれた。けれども彼女を顔を見ているうちに不敵な笑みを浮かべ、


「……お前が指示を出す、ということか。ふん、生意気なことを」



 だが――――中々に面白い。
 肯定する言葉に彩雪が嬉しそうに瞳を見開き輝かせた。


「ならば覚悟して見ろ。目を逸らすな。お前の指示一つで、戦況を覆せ!」


 彩雪は大きく頷いた。


「澪、補助を任せるぞ」

「……それくらいならさせていただけるのですね」

「どうも、お前は感情が抑制出来そうにないからな」


 そう素っ気なく言う晴明から視線を外し、源信や和泉が物言いたげに澪を見やった。今回大いに振り回してしまっている二人が何を言いたいのか考えなくても分かる。

 けれど澪は、二人の視線に敢えて気付かないフリをした。



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