漆
戦いは熾烈を極めた。
強大なる彼は執拗に澪を狙いながらも攻撃を仕掛ける仕事人達を薙打(なぎう)ちにした。隙を突いたと思っても無駄。彼は素早く避け反撃する。
冷たい風が、生温く感じられるのは壱号や弐号の炎で一時的に場の温度が上昇しているからだ。焦げた臭いも鼻腔に入り込んでくる。
闇が、強まっていく。
このままでは、鳴弦で殺いだ意味が無い。
八咫鏡で更なる力を貰おうかと考えても、それだけの余裕が無い。一瞬気を抜けば彼は即座に澪に攻撃を仕掛けてくる。
ただ斬られるだけなら問題は無い。けれど彼は分かっているから、澪の身体その物を潰そうとしてきている。
何も出来ない――――焦燥感に、澪は奥歯を噛み締める。
何の為に、ここにいるのか。
あの人達が待っているのに……!
彼の名を呼ぼうとした刹那、拒むように彼が咆哮する。空気を、地面を揺るがすそれに、鼓膜だけでなく頭も痛んだ。
なんておぞましい憎悪だろう。
彼の深い悲しみと憎しみに呼応するように周囲から呻吟(しんぎん)の如き声が複数上がる。
和泉が「マズい……」焦燥の滲んだ声で呟いた。
「アヤカシが集まってきてる……こっちに」
澪は小さく頷いた。
狙いはやはり澪だ。
けれどもアヤカシ達は澪を殺そうとしているのではなかった。
助けを求めているのだと、澪には分かる。
彼のどす黒い憎悪に耐えかねたアヤカシ達は、解放を求めて澪に集っているのだ。
アヤカシ達もまた澪が何者なのかが分かっている。
澪はアヤカシの群を見据えて和泉に抱きついた。
「澪!?」
そのまま懐に手を入れて八咫鏡を盗る。和泉に捕まる前に素早く離れた。
「澪!!」
怒鳴るような声に心中で謝罪し、澪はアヤカシ達に目を向けた。全てのアヤカシと目が合うよう広く見渡す。
アヤカシ達は途端に活気づいた。
和泉にはもう目もくれず澪へ一斉に追い縋った。
当然、彼も一人移動する澪に注目する。
仕事人達の、部下の咎める呼びかけには後で謝ろう。
でも今は、アヤカシ達だけでもどうにかしなければ――――皆危険だ。
澪は鏡を撫でた。
無言の求めに応えて淡い光が放たれ澪へと向かう。
すぐに、彼女は自らの影を広げた。
十分に近付いてはいないけれども広範囲に広げ、大半のアヤカシを収める。
影を踏んだ途端アヤカシは大人しくなった。
影から伸びる腕に抱かれ、ゆっくりと沈んでいく。
その緩慢な動作にも焦燥は煽られた。
急いで逃げなければ。逃げて、またアヤカシ達を全て還らせなければ。
今こうしている間にも、彼は私を狙っている。
最後の一匹が完全に呑み込まれたところで澪は己の影を戻し駆け出した。
直後、見えぬ力が地面を一直線に抉る。
ぎりぎり。紙一重。
ひやりと冷たいモノを背中に感じながら、引き戻そうと寄ってきた壱号を避けてまた残ったアヤカシ達のもとへ向かう。今いるアヤカシ達が還れば、暫くは他のアヤカシ達が集うこともあるまい。
落ち着けと、焦るなと、自分に言い聞かせる。
そのうち、銀波が隣に並ぶ。
「本当にもう……! 澪様に何か遭ったらオレ達が怒られるんですからね! 勝手な行動する前にまずオレ達に相談して下さいって!」
「ごめんなさい。でも、今はそんな余裕は無いでしょう」
「そりゃそうですけどね!」
銀波が立ち止まり、大剣を大きく振るう。
迫っていた彼を薙ぎ払う。
源信やライコウもそれに加わり、澪はその間に彼から離れた。
そして、同様にアヤカシ達を影の中に引き込む。
影を伸ばし、ゆっくりと――――。
「――――これで負担は減る筈……」
逃げないと。
鏡を抱き締め澪は駆け出す。
が、
「あ!?」
ぐん、と強い力で頭巾の下に付けられた穴から流れた髪を引っ張られたのだ。
……大きな馬だ。
大きくて、太い足は短い。力強い体躯をしていたのだろう骨格だけとなった馬が、澪の髪を噛んでいた。
どうして、ここに――――どうして彼の故郷の馬が、ここに。
思わぬ事態だった。
骨馬は低い憎悪のこもった唸りを上げながら髪を引っ張ってくる。
澪は歯噛みし、髪を引っ張る。ぶちぶちと千切れる音がするが構わない。力一杯引いて髪を口から抜いた。
逃げられる――――そう思ったのも一瞬。
目の前には巨大な闇の塊。
数歩後退する。
「……!」
「澪!」
源信が駆けつけてくれるが、骨馬に襲いかかられて澪から離される。
澪達が駆けつけた時よりも、闇は勢いを増している。嗚呼、私達のしたことは無駄になってしまったのか。脱力感に吐息が漏れた。
けれど、気圧されている場合ではない。
「……おもどり、ください」
皆様がお待ちです。
そう、震える声を絞り出す。
「これ以上、人の子に利用されますな。早く私と共にお戻り下さい。貴方様をお慕いなさる方々のもとへ」
『ヨ、ミ……ヨミノ、ヒトカケラ……』
「ええ、そうです。私は貴方をご案内させていただいた者です。どうか私の言葉をお聞き下さいませ」
彼はヨミノヒトカケラ、と繰り返す。
聞いてくれているのだろうか、聞いてくれれば良い。
そして、従ってくれたなら――――。
――――しかし。
「!」
『ア……ォ、アアアアアァァァァ!!』
怒りの雄叫びを上げ刀を振り上げた。
澪が目を剥いた瞬間身体に横から衝撃が襲う――――。
キィン、と耳障りな音が聞こえた。
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