下ろされた澪は、仕事寮の到着により緊張が解けてしまった。地面に立った瞬間崩れ落ちた。
 浪費した力は自分が思うよりもずっと多かったらしい。心臓が絞め付けられるような苦しみを、今更自覚した。
 金波の腕と弓を抱き締めて深呼吸を繰り返していると、ライコウが抱き寄せて仰向かせてくれた。


「無茶を……」

「……っ」


 謝ろうとしたけれど、口が思うように動かない。ようやっと出来たのは金波に腕を返すことだけ。
 金波は平然とした顔で切断面を合わせ、何事も無かったかのように一瞬で繋がってしまった腕を振って確かめ、弓も澪から取り上げた。
 ほっとした、安堵の微笑を澪へと向ける。


「仕事寮の方々が到着されたのですから、もう構いませんね。死にかけているのですから、お休み下さい」

「……」


 今、『死にかけている』という言葉をいやに強調した。
 ライコウがぎょっとするのに澪は嘆息を漏らした。
 確かに今の状態は危険ではあるけれど……死にかけという程ではない。ただ、思うように動けないだけで。
 というか、死ぬと言う言葉は自分には相応しくない。
 抗議しようにも口が動かないのでどうしようも無かった。
 ライコウの勘違いを正したくても無理。
 慌てふためくライコウにまた抱き上げられ、金波や銀波からの援護を受けながら相手を牽制していた壱号や弐号の脇を通過し、源信と、その背に庇われる和泉のもとへと戻ってしまう。

 彼らは当然澪の状態に眉根を寄せ、ライコウの説明に血相を変えた。だから、本当に金波の言う程でもないのに。言いたいのに言えない。

 源信に側に岩に座らされ、脈を計られる。呼吸はもう落ち着いているから脈はそれ程乱れてはいるまい。
 そう思ったのだが。


「脈が不安定ですね。感覚がバラバラです」


 予想外の結果だった。
 ライコウは和泉と源信に頭を下げ、壱号達の助勢に向かう。
 だが、澪にはそれだけでは足りないと、はっきりと分かる。
 彼は強大だ。力も、憎しみも。
 生半可な攻撃では倒れない。


「……宮様、わたくしも。金波と銀波の助勢に向かいます。澪のこと、よろしくお願いします」


 和泉は神妙に頷き、小太刀を取り出した。抜刀する。


「ああ。……気を付けるんだよ」

「はい。どうか、宮様も。澪。決して無理をしないように」


 源信は澪にキツく釘を刺して、身を翻した。
 金波達の方へ、真っ直ぐに駆けて行く。

 彩雪さん達は……まだなのですね。
 ……せめて、体調だけでも元に戻しておかなければ。

 澪は異常に重い手を伸ばして和泉の服を摘んで引っ張った。


「何? 澪」


 声を発しようとするが、掠れた声だけが、息と共に出てくる。
 それでも何度も繰り返していると、和泉は澪が何を求めているのか分かったらしい。懐から八咫鏡を取り出した。
 有り難く受け取り胸に抱き寄せる。

 ややあって、鏡が発光を始めた。
 光は鏡から胸へと浸透していく。

 ……満たされていく。

 目を伏せ暖かな真綿にくるまれるような感覚に身を委ねた澪は、満腹感に似た心地になってようやっと目を開けた。光は、もう収まっている。


「……ありがとうございます。和泉様」


 鏡を返却して立ち上がると、和泉は何も言わずに澪の双肩を掴んで強引に座らせる。
 見上げればにっこりと笑われて、


「頑張っていたみたいだから、君は、休憩」

「……でも、」

「大丈夫だよ。晴明達も。必ず来る」


 頭を撫で、宥められる。
 澪は瞳を揺らして、それでもせめて立っておこうとした。だがそれすらも許されない。にこやかな和泉が、しかし怒っているのだとは何とはなしに分かったから、強くは逆らえない。


「晴明と参号が来るまで、待機。これは俺からの命令」

「……はい」


 悄然(しょうぜん)と頷くと、和泉は「良い子」と肩を軽く叩いた。

 にこやかだった彼も、ライコウ達に視線やった刹那に引き締まる。難敵を見据え、眉根を寄せる。



‡‡‡




 彼は澪を執拗に狙った。
 当然だ。鳴弦を繰り返すうちに思い出したのだ。

 澪の正体を。

 だからこそ、この場で最も邪魔な澪を消そうと躍起になっている。
 澪が誰だか分かっているのなら、説得も出来るだろうかと、隙を見て彼のもとへ向かおうとしてみたが、和泉は背中に目でもついているというのか、何度やっても出し抜くことは出来なかった。

 両手に拳を握り、膝の上に載せる。
 肩を縮めて溜息をついた直後、和泉が澪を振り返って腕を掴んだ。引き上げ抱き寄せてすぐ左へ飛び込む。和泉が下敷きになった為、痛みは無かった。

 身を起こして振り返れば岩が無くなっている。地面も一直線状に抉られている。


「「澪様!!」」

「宮!」


 和泉は澪の身体を抱き寄せつつ、ライコウ達に片手を挙げて見せた。

 彼のもとへ行ってしまわないようにと拘束する和泉の腕の中から彼を見ると、姿ははっきりとは見えないが憎らしげに澪を睨んでいるように思えた。


「澪。俺達が来る前にだいぶ怒らせてるみたいだね」

「……いえ、恐らくあの方は《あちら》に戻るまいと、私を消そうとなさっているのです」

「……あちら?」


 澪は和泉の腕を少し乱暴に解き、彼に駆け寄ろうとした。
 が、それに気付いた源信と壱号が前に立って阻む。


「馬鹿! 弱いくせに何近付こうとしているんだよ!」

「澪。あなたは宮様のお側に」

「……しかし、あの方は私が、」


 私が、戻さなければならない。
 彼を慕い付き従った皆様のもとへ。
 二人を押し退けて進もうとするが、壱号に押し戻されて和泉に押しつけられた。

 直後、一閃が二人を襲う。危なげに避けた。

 生じた突風が髪を、服をはためかせる。
 和泉はその場を急いで離れた。
 嗚呼、また離れていく。
 あの方が。
 皆様が、ずっと待っているのに。
 彼だけが、ここにいる。

 手を伸ばすも、和泉に叱咤され下ろさざるを得なかった。



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