漆
少年らはほぼ同時に頭を下げた。
彩雪は、二人の姿をまじまじと見比べる。
弓を背負っている方が金髪、大剣を背負っている方が銀髪。それ以外は全く同じだ。
髪は肩まででざっくばらんに切り、その襟足からも伸びているようだ。愛くるしい丸い瞳は血のような赤。中性的な幼い少年の面立ちで、彩雪よりも少し高いくらいの身長の彼らは、彩雪の外見年齢よりも一つ二つ年下のように見えた。
ざっと見渡してみるが、漣の姿は見当たらない。
戸惑っているのは、彩雪だけではない。
仕事人達は一様に渋面を作って晴明を見ていた。彼だけが、唯一涼しい顔で森の奥を見つめている。
澪に引き続き、彼が何かを知っているとは明らかだった。
「せ、晴明様……」
「鏡から力を貰ったのは澪だけではなかったのか。二つに分かれてしまっては、もう漣とは呼べぬな」
彩雪はいよいよ困惑した。
『漣とは呼べぬな』――――彼はそう言った。ということは、この少年達が漣だ……ということなのだが。
……二人、いるんだけど。
「晴明。さすがに、どういうことなのか説明してもらって良いかな? 漣って、一匹だったよね?」
「いや、最初から漣は二つの意識があった。尻尾も動いていただろう」
「ああ、あれか。なるほどなるほど……って、それだけかい?」
「生憎と私もこれに関してはそれしか知らぬ」
晴明はさらりと答えて、元は漣だった少年二人に目配せした。
彼らは無機質な眼差しを和泉に向け、まず金髪少年から口を開いた。
「私は金波(きんぱ)」
「私は銀波(ぎんぱ)」
「「これよりは我らが貴殿らをご案内仕(つかまつ)る」」
「……え、ええと……」
和泉は困り顔である。
「……もう少し、砕けてもらった方が有り難いな。ほら、同じ仕事寮の仲間なんだし」
「「決してはぐれられぬよう」」
「……ああ、はい」
完全無視である。
和泉は晴明に視線で何かを訴えるが、晴明は面倒そうに扇で歩き出した二人について行くように指示した。
「和泉、早く行け」
「晴明まで……」
だが、和泉の気持ちも、分からないでもない。
あの金波と銀波……本当に漣だったのか疑問に思うくらいに厳かだ。漣の時は、あんなに茶目っ気があったって言うのに。
「……弐号君、漣ってあんな感じだったの?」
「おう。いっつもあんな感じやったで。それをわいが分かりやすーく通訳しとったんや」
「……へえ」
いや、違う。
漣はもっと可愛げがあった。あんなライコウさん以上に堅くなかった。
渋面を作って唸った、直後である。
「うおっ!?」
「あっ」
銀波が木の根に足を取られて転倒した。潰れたヒキガエルのような悲鳴が上がり、彩雪は面食らってしまう。
「……つつ……っ」
「……」
沈黙。
金波が呆れた風情で嘆息するのに、突如銀波は両手に拳を握って天に突き上げ怒声を上げた。
「だあぁぁ!! 兄貴、俺こんなの向いてない!! 俺の柄じゃない!!」
「……」
「おいゴラ無視すんなクソ兄貴っ!!」
……。
……。
……ええ、と。
彩雪は源信の袖を引いた。
「……あの、源信さん」
「……無理矢理、厳かに振る舞っておられたようですね。銀波さんは」
「ですよね……」
お互いぎこちない苦笑を浮かべ合う。
無理、しなくて良いのに……。
銀波に視線を戻した直後、金波が銀波の頭に勢い良く拳骨を落とした。
ああ、また悲鳴。
「ちょ、いた、何すんだよ!?」
「五月蠅い。殺さないだけましだと思え。というか今すぐ自害しろ私の為に」
「嫌だよ何が悲しくて自害しなきゃなんない訳!? 俺何もしてないのに!」
「五月蠅い。そして脳筋」
「死ぬ程の理由じゃないし!! ってか脳筋言うな!」
「分かった、では飾り気無く言わせて貰う。お前は馬鹿だ。途方も無く救いようの無い馬鹿だ」
「馬鹿じゃねえから!! 俺馬鹿じゃねえから!!」
「自覚が無いとはますます哀れだな、この史上最悪の馬鹿」
「頭でっかち!! 味音痴!! 偏執狂!! 盲信!!」
「黙れ海鼠(なまこ)頭」
「おい待て今どっから海鼠来た!? 何が何処を通って海鼠に行き着いた!?」
俄(にわか)に殺気立つ二人からは、先程の厳かな姿の面影がすっかり失せてしまっていた。幼稚な言い合いが、緊張感を容赦なく弛めていく。
一瞬にして壊れてしまった引き締まった態度は、元々彼らの性格ではなかったらしい。何か思うところがあって、背伸びしたのかもしれない。……いや、銀波は無理矢理背伸びさせられたのか。
ぎゃいぎゃいと口論する二人に、源信がそっと歩み寄った。二人の顔の間に片手を入れ勢いを殺ぐ。
「はい。そこまでです。申し訳ありませんが、案内をお願いしてもよろしいでしょうか」
「「うぐ……っ」」
源信の優しいお咎めに金波銀波はばつが悪そうに視線を逸らす。それから、声を揃えて謝罪した。仲は悪いくせに、ふとした時に息が合う。
「兄貴の所為で怒られたじゃん」
「いや確実にお前の所為だ」
「いやいや兄貴の所為だっつの!」
「いいやお前の所為だ」
「ほらほら、また喧嘩しないで下さい。あまり進まないと、澪が寝てしまいますよ」
子供の仲裁に慣れた源信が二人を宥める。
……何だろう。色々ツッコみたいけど色んな理由でツッコめないし、このままだとここに来た目的を忘れそう。
打って変わった緊張感の無い空気に、苦笑を禁じ得なかった。
「……本当に、無理しなくて良いからね。金波、銀波。あとそろそろ、」
「ほらー! こいつもそう言ってんじゃん!! ふっつーに案内すれば良いんだって」
仲間を得たとばかりに銀波は和泉を指差し金波に胸を張ってみせる。言葉を遮られた和泉は頬を掻いて目を伏せた。
銀波の態度を、ライコウがキツく咎めた。
「銀波、と言ったか。宮に向かって無礼だぞ」
「はあ? 別に良いじゃん。帝とか貴族とか、所詮人間の決めた階級だろ? 俺達には関係ねえもん。だって俺達はもごぁっ!」
「黙れ死ね超弩級馬鹿」
金波が後ろから口を塞ぎつつ、尻に膝蹴り。謝罪は無いがずりずりと引きずって銀波を和泉から離す。そうして、拳骨を一発落として強引に案内を始めた。
互いに小突き合いながら前を歩く二人は、もう背伸びするのを止めたようだ。自然な態度で先へ進む。たまに喧嘩を始めてしまうが、源信が仲裁に入ればすぐに収まった。漣の時は、蛇も猿も、喧嘩はしてなかったのに。
漣とはまるで繋げられない二人に晴明以外が戸惑う中、澪はと言えば――――さほど驚いた様子も無かった。最初から彼らが漣だと分かっていたかのように平然と、当然のように彼らの隣に並ぶ。
彼女が「きせー」とはしゃいだ声で言うと、金波は穏やかに、銀波は快活に笑って頷いた。
……何だか流れるように進んでいるけれど、本当に深くツッコまなくて良いのかな。
このまま緊張感が殺がれたまま進んでしまって良いんだろうか。
神木を通過し、どんどん奥へと入っていく金波銀波に、彩雪はライコウに対するものとは違うもやもやを感じ、唇を歪めた。そうっと晴明に歩み寄る。
「あの、晴明様……良いんですか、何も訊かなくて」
「……あの幼稚な口喧嘩がまた聞きたいのか?」
「……、……いいえ」
至極面倒そうな、苛々した顔で言われてしまえば、彩雪も引き下がるしか無い。
たまたま目が合った和泉に、彩雪は両手を挙げて見せた。
和泉も、苦笑混じりに首を傾ける。
昨日の今日で、また困惑させられることになろうとは、きっと誰も予想し得なかったことだろう。
すっかり調子を乱され、彩雪は唸るような声を上げた。
わたし達、草薙剣を取りに来たんだよね。異界に行かなきゃいけないんだよね。
……この空気のまま進んで、本当に良いのかなあ。
思った側から、また金波銀波の下らない口喧嘩が始まる――――……。
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