七万打企画小説 | ナノ
悠璃様




 昔、山賊に襲われ壊滅せしめられた村にて、唯一生き残った少女がいた。

 当時十を過ぎたばかりのその幼い少女は、身を挺して少女を守ろうとした両親を目の前で無惨に殺され、我を忘れて鍬(くわ)でその山賊を撲殺した。柄が燃えていた為に両手は肘まで火に巻かれ、治らぬ大火傷を負いながらも、両親の仇が死してなおその姿を掻き消そうとするかのように鍬で殴り、抉り続けた。

 それを救援に駆けつけた軍が保護すると、我に返って大音声で泣き喚いた。
 何とか宥め賺して寝かせても、悪夢を見ては飛び上がって腕の痛みも相俟(あいま)って泣き出してしまう。

 幽州を治める公孫賛の温情で右北平に住まわせた少女は元女官長の老女のもとで育てられることとなった。

 それから、数年。
 少女は、少年のように振る舞い、老女の頭を悩ませていた。




‡‡‡




「○○、好い加減におしよ」


 本日何度目だろうか、その溜息は。
 趙雲は出された茶を飲みつつ、長らく世話になった老女と、その目の前に正座させられてうなだれている少年めいた少女を交互に見比べた。この光景も、もはや見慣れたものだ。

 ○○と呼ばれた少女は唇を尖らせて、そっぽを向いた。


「何度目……いや何十何度目だよ、婆ちゃん。別に良いじゃん、『僕』って言ったってさー。結婚する気とか全然無いし」

「馬鹿をお言いでないよ。あんたももう十八だ。いつ嫁いだって良い年だと言うのに……胸を晒しで潰すなんて形が悪くなってしまうじゃないか。あんたにはね、良い男を見つけてちゃあんと幸せになってもらいたいのさ」

「こんな腕の女を嫁に貰いたいとか頭おかしくね?」

「○○!」


 老女が怒鳴れば両の耳に人差し指を突っ込んで五月蠅いと言外に告げる。
 するとすかさず拳骨を頭頂に落とされた。
 抗議するももう一度落とされてしまう。これももう何度も目にした光景だ。日常茶飯事と言っても良い。

 趙雲は苦笑をこぼして○○を呼んだ。
 途端に主人に呼ばれた犬のように表情を輝かせて顔をぱっと上げる。


「何すか師匠! 稽古付けてくれるんですか?」

「……いや、だから師匠になった覚えは無いんだがな」


 この○○、趙雲に酷く懐いている。『師匠』と呼んでは趙雲に否定されそれでもそう呼び続ける。更には何かに感動しては『大好き!』を連発したりもする。
 彼女が男のように振る舞うのも、趙雲を師匠と呼ぶことに関連があった。
 ○○は趙雲のような武人になりたいのだ。そして、旅をしながらこの世の悪という悪を殲滅したいと、少し前に近くの丘で胸を張って趙雲に語ってみせた。

 それが彼女に務まるとは到底思えなかった。
 何故なら、○○の両の肘から指先まで、永久に癒えぬ大火傷が広がっているから。重い物を掴むだけでもかなりの激痛を伴うし、汗で濡らすことすら厳禁だ。
 しかも包帯は毎晩毎晩交換しなければならない。患部に付ける薬も必要だ。旅をするにはあまりにも金がかかる。


「良いじゃん、いつかは剣を学ぶんだし」

「お前が学ぶ必要は無いだろう? この町にいれば良い」

「だーから、それじゃ駄目なんすよ〜」


 立ち上がって、机に座る。行儀が悪いと窘(たしな)められたが、気に留める様子は無い。
 老女も、疲れたような怒ったような、色んな感情が綯(な)い交ぜになった複雑な顔で、諦念の入り交じった嘆息を漏らして家の奥へと姿を消した。そもそも彼女は○○の様子を見に趙雲が訪れたのを、家事を中断して出迎えてくれたのだ。

 実の祖母のように○○にあれこれと口五月蠅く言う老女を見送り、趙雲は○○を呼んだ。


「彼女はお前のことを真剣に考えてくれているんだ、少しは聞いてやっても良いんじゃないか?」

「やだ」


 にべも無い。
 笑みを消していじけてしまった○○をもう一度呼ぶと、舌打ちが聞こえた。


「だって、無駄に期待させて本当に駄目でしたーって、仇で返すことになっちゃうじゃん。だったら最初から駄目だって断るべきじゃんか。……そりゃ、ちょっとは赤子は欲しいって思うけど、この両手じゃ満足に抱いてやれないし」


 ○○は、両腕の火傷に女としての負い目を感じている。少年のように振る舞うのも、武人になろうとしているのも、根底にあるのはその劣等感だ。
 趙雲が公孫賛に命じられて、○○の様子を見にこの家を訪れるようになった頃は、彼女は頑なに包帯に何重にも巻かれた両腕を隠して、少ない口数で会話を無理矢理に中断し逃げ出していた。

 本来は彼女を助けた武将がこの役を担っていたのだが、老いて退役し故郷に戻った為に年の近い趙雲が任されたのだった。

 彼女に懐かれるまで、ざっと一年はかかったように思う。

 ○○は親しくない相手にはとんと無愛想だが、懐けばそれが嘘のように快活に、天真爛漫な姿を晒す。後者が本来の彼女の姿だとは言うまでもない。

 ただ、趙雲に他以上に懐いているのは、正直いただけなかった。
 彼女は大変見目が良いし、少しでも頬を赤らめれば扇情的な乙女の姿に様変わりする。
 十五までは幼い純真無垢な好意だと平然としていられたものだが……十八になれば女として見られる程に成長している。
 そんな○○がその状態で好意を口にすれば、男はいやが上にも勘違いしてしまうだろう。見目だけでも異性を惹き付けるというのに。

 それで、今――――自分はこの年下の娘を異性として見ている訳で。

 だが、悲しきかな。彼女は自分に対して兄のように慕っていると言う意味で『大好き』を連発しているに過ぎないのだ。
 勿論、このまま何もしない訳ではないけれど――――。


「趙雲さんも思うだろ? 僕は女としては生きられない。こんな手じゃ水仕事も針仕事も出来ない、料理だって無理。こんなんが嫁いだって何にも出来やしないじゃんか」

「じゃあ、剣も持てないだろう」

「僕には根性がある。だから剣は持てる」


 根性で剣が持てるなら家事もこなせるだろうに。
 呆れつつ、趙雲は○○の拗ねた子供のような後ろ姿に目を細めた。

――――いつだったか、老女がぼやいていたことがある。
 ○○は決して女性としての生き方に夢も何も抱いていない訳ではない。
 ただ、彼女の腕は剰(あま)りに重すぎる。鎖でもないくせに、重いだけで彼女を制限してしまう。
 誰かその重さごと愛してくれる素敵な男性はいないだろうか。この町の近所の男じゃ駄目だ。

 ここにいる、と言いたかったが、言える筈もなかった。
 ○○にとって趙雲は兄でしかない。そんな存在がいきなり異性として好意を見せてみろ、驚かせて最悪拒絶されるに違いない。
 ○○は内外に傷を負う娘だ、傷つけるような真似はしたくない。

 だから。


「○○。俺はお前が好きだとよく言うな」


 何とはなしに確認すると、○○は肩越しに趙雲を振り返る。きょとんと、何を今更と言いたげな顔で頷いた。


「ん? うん。でも好きじゃなくて大好きだけどね」

「――――ああ、俺もだ」


 暫くは、この関係でいた方が余程心地良い。

――――が。


「……」

「……」


 ぼ。


「……」

「……○○?」


 ぼぼぼ。
 固まった○○の顔が見る見る赤く熟れ上がっていく。

 趙雲はえっとなってその様子を思わず凝視した。何事だ、これは。


「……○○?」

「……っ、いいいいいや! 違う! さっきの違うから!!」


 裏返った声で怒鳴るように否定される。ますます訳が分からない。


「今のあれは、ほら、兄貴だから! 趙雲さん僕の兄貴だきゃ――――だから!」


 噛んだ。今、噛んだ。
 まじまじと○○を探るように見つめると、○○は汗を流し、「ああ!!」と唐突に大音声を上げた。


「だから! 今のはそういうのじゃないから、勘違いしないで良いから、いやマジで!! あと急用出来たから行ってきます!!」


 ……まるで嵐が過ぎ去るように、一人騒々しい娘は家を飛び出していった。

 追いかけるべきだろうか――――いや、まず状況を、状況を整理しよう。
 残された趙雲は開けっ放しにされた扉を呆けたように見つめ、彼なりに先程の会話について考えてみる。

 されど、とんと呆れ果てた頭である。
 どう足掻いても、自分に都合の良いように考え、自分に都合の良い結論を出してしまうようで。

 ……。

 ……。

 …………取り敢えず、だ。


「これは……脈が少なからずあると取って良いのだろう、か……?」


 残念ながら、その答えを返す者はその場にいなかった。



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