七万打企画小説 | ナノ
茜様




――――今日限りは、何もせずにゆっくりすること。
 朝一番、関羽は○○にそう言った。

 ○○が何故だと問い詰めても、彼女が明確な答えを返すことは無かった。笑顔ではぐらかし、部屋に押し込めてそのままだ。

 ……何もさせてもらえない関羽が繕い物をすると言っていたのに、○○は態度に現れるくらいに大いなる不安を覚えていた。

 落ち着かない○○を見かねて、関羽に呼ばれた蘇双が○○を連れ出した。
 村の中にいるとすぐに家に戻ってしまいそうだから、近くの森の中を散策することとした。今はその最中だ。

 本当に何もしないで良いのだろうか。
 彼女は何度も繰り返し独白した。
 自分の仕事を一切しないというのは、罪悪感も強いし、落ち着かないのだろう。○○は関羽に似て真面目だから、それも仕方がない。

 蘇双は歩いているさなかにも『気にしなくて良い』を繰り返した。
 けれども、○○は神妙にはならない。これはもう、長いこと繰り返して身体に染み着いた習慣。今更、たった一日何もしなくて良いと言われて、はいそうですか、嬉しいです、なんてことにはなれないのだった。

 いつまで経っても家事に後ろ髪を引かれている○○を戻さないよう、蘇双は彼女の手をしっかりと握って先導する。


「大丈夫かな……関羽。縫い物とかしてないと良いけど……」

「関羽が裁縫が駄目だって言うのは、本人が分かっているからしないと思うけど」

「……いいや、分かんないよ。関羽は真面目だから、変に考えて私の代わりにしようという気になる可能性は大いにある」


 本当に気が気でない。やっぱり戻ろうと蘇双に頼み込む。

 そこで、蘇双は溜息をこぼす。少し……いやかなり面倒臭い。


「……面倒なくらいに真面目なのは○○もじゃないか」

「面倒って、あのね蘇双」

「良いから。これは、関羽が言い出したことなんだ。だから、関羽の為にも気遣いを無下にするようなことはしないで欲しいんだ」


 これは姉を労(ねぎら)いたいという、関羽の日頃の感謝を形にした贈り物なのだ。
 妹の心遣いは受け止めてやれと、苛立ちを隠し穏やかに諭した。。
 だが……だが、だ。
 ○○はそれでも首を縦には振らなかった。


「でもね、落ち着かない一日を過ごしたって嬉しくとも何とも無いと、私は思うんだ。否応(いやおう)も無かったし。生活の営みの一部を奪われたと言っても間違いじゃないでしょ」


 蘇双は無言で○○の頭に手刀を落とした。


「関羽が泣くよ」

「でも、事実だし。むしろ家事くらいさせてくれたら少なくと有り難いとは思えたかもしれないよ」


 こんなの、まるで関羽に不要だと排除されたみたいだ。
 ぽつり。彼女は呟く。

 関羽に限ってそんなことなど有り得ないとは、双子の○○ならよく分かっているだろうに、そんな形の無い不安を口にする。
 それも、心に錆のようにこびりつく劣等感故なのだろう。


「……とにかく、私はせめてやることやらせた上で何かをしてもらうというのが一番嬉しい。これ、我が儘かな。今まで当たり前だったことを取り上げられれば誰だって反発してしまうよ」


 なので、本当に、張飛の言葉を借りるならマジで、家に帰って家事を済ませたいんです。はい。

 蘇双は頭を抱えたくなった。
 これでは姉思いの関羽が、非常に憐れだ。


「……関羽も、可哀想に」

「嘘、可哀想なのって的外れな気遣いでそわそわしっ放しの私じゃないの」

「……」

「止めて。その冷たい目止めて。私間違ったこと言ってない」

「今度はボクが関羽を労うよ」

「え、何でそうなるの」


 だから、私、間違ってない。
 ゆっくり、はっきり、口の動きを大きくして区切りながら言う○○に、今度は拳骨を落としてやった。

 ○○は殴られた頭を撫でながらじとりと蘇双を恨めしそうに睨んでくる。恨みたいのはこちらだ。


「何するのかな、蘇双君」

「……本人に自覚が無いから、関羽がこういう行動に出たんだっけ」

「はい?」

「良いよ。取り敢えず、ボクに付いて来れば良い」

「いや私は家に――――いいえ、是非ともお供します」


 短刀をちらつかせれば意思は簡単に翻る。
 「最近、蘇双が凶暴で困るね」なんて……誰の所為だと思っているんだか。
 ○○は吐息を一つこぼして大人しく蘇双に従った。今度はもう家に戻るなんて言い出す様子は見られない。

 それに安堵し、蘇双は歩き続ける。
 小川に至ると足を止めた。せせらぐ小川には小魚がゆらゆらと屯(たむろ)し、陸上の生き物の気配を察すると一瞬で散り散りに逃げ出してしまう。その様はまるで花が散るかのようだ。

 蘇双は河原の手頃な岩――――とは言っても、人一人横になれるくらいには長い――――に腰掛けて不満そうな○○を隣に座らせた。


「目の下に隈出来てるって、気付いてる?」

「あ、うん。今朝水面に映ってた。けどそれが何?」

「……うん。面倒臭い」

「何が」

「○○の全てが」

「隈一つで?」

「隈にまつわる色んな要素が作用して」

「……隈ってそんなに奥が深い現象だったっけ」

「…………たまに○○が張飛以上の馬鹿なんじゃないかなって思う。いや、馬鹿だね。馬鹿なんだよね。本当は」

「張飛以下の知能とか立ち直れない。明日張飛の顔面を崩壊させるかも」

「ご自由に」

「君本当に張飛と仲良いの? 張飛泣くんじゃいない?」

「……○○がそれを言うんだ」

「え?」


――――て、無駄か。
 ○○はあの宴のことなんて、僅かにも覚えてない。あの日蘇双に何をしたのかも。

 何も心当たりが無いのだろう○○は、眉根を寄せて胡乱に見てくる。

 蘇双はまた、溜息をつく。

 そんな蘇双の態度に、さしもの○○も拳を握って胸の高さまで上げた。
 殴られる前にと、彼は○○に手を伸ばした。○○の頭を鷲掴みにして下へと押しやる。

 反射的に○○の身体に力が込もったが、それも虚しく――――。


 ○○の頭部は蘇双の膝に収まった。


「……、……はい?」


 ○○は弛く瞬きして間抜けな声を上げる。


「寝なよ」

「もう寝たよ。朝日浴びてぱっちり目覚めたよ」

「良かったね。また寝れるじゃないか」

「家事のことが気になって眠れません」

「寝ろ」

「え、嘘、命令された」


 そろりと頭を撫でれば○○の黒い瞳が困惑に揺れる。一体全体、何が起こったというのか。突然変な気遣いを見せた関羽もだし、蘇双も何だかおかしいぞ――――なんて、心の中で思っているのかもしれない。○○とはもう長い付き合いだ、当たっているとは思わないが、外れているとも思えなかった。

 真意を問うてくる○○に蘇双は嘯(うそぶ)く。何も言わない。無言で○○の頭を按撫(あんぶ)し続けた。



‡‡‡




 ……おかしいな。
 あれ……本当におかしい。
 何で、だろう。

 凄く……眠いんだ。

 ○○は睡魔に意識を吸引されているかのような感覚に襲われながらも、その僅かに残るそれを繋ぎ止めた。


「……ねえ、○○」


 何?
 返した言葉はちゃんと声に乗っていたのか分からない。判別が付かない。

 ……ああ、危ない。
 頭が、持っていかれそう。


「もし、真実猫族が安住出来る土地を見つけたら、その時は」


 伝えたいことがあるんだ。
 微睡みの中、蘇双の声は遠い。

 自分も何か言葉を返さなければと思いながらも、睡魔に引き寄せられた意識はその、心地好いかいなに抱かれて、そのまま闇へと引きずり込まれてしまった。

 その後に彼が何かを言ったようだけれど、分からなかった。



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