七万打企画小説 | ナノ
匿名様




 人見知りの○○が最近趙雲と親しいのは、蘇双としても良い兆候だと思えた。

 あの一件から彼女は猫族の中で浮いていた。それはもう哀れなくらいに浮いていた。
 誰もが○○の動向を注視する。関羽と間違えてしまわぬように、彼女の口に酒が入ってしまわぬように。
 後者にはほとほと呆れ果てた。宴で○○が酒を口にしてしまったのは全て張飛が悪いのだ。○○が酒を口にしないように蘇双達が目を光らせているし、それ以前に、昼間から酒を飲む若い娘が何処にいる。世平が止めるに決まっている。

 彼女は宴の夜のことなど全く覚えていなかった。それ故に、知らぬ間の周囲の変化に疑問と不安と恐怖を抱き始めていた。
 そんな中、新たに、まともに接してくれる相手が増えたことに、蘇双は安堵した。趙雲は関羽と○○を似ていると言う。それも大きかった。

――――が、それによって起きた問題も、ある訳で。

 趙雲は面倒見が良い好青年だ。関羽と○○をよくよく気にかけ、この双子を彼なりに助けようとする。
 そのお陰で○○も仕事が捗(はかど)って自由な時間が増える。その時間に蘇双のもとにやってくるのは嬉しいことだけれど。

 好きな女が別の男に助けられているという事実は、どうにも面白くなかった。

 趙雲があくまでも妹のように接していることは顔を見れば一目瞭然だ。彼が異性として見ているのは関羽だけだ。○○は放っておけない年下の友人。
 分かっている筈なのに、己の心の奥が納得してくれない。

 自分はこんなにも心の狭い男だっただろうか。独占欲の強い男だっただろうか。
 ○○のことが好き、それだけで何でも許される訳ではない。ましてやまだ恋人の関係でもない。想いを告げるのも、今はそんな状況ではないと自ら禁じている。
 だのに、だ。
 まるで○○を自分のもののように扱ってしまう自分に、それを抑制出来ない自分に、ただただ腹が立った。

 こんな自分を、○○が知ったら、怖がられてしまうだろう。


「……蘇双?」

「……。あ。ごめん。考えごと、してた」


 顔を覗き込まれて、蘇双は我に返る。ああそうだ。今は○○と話していた最中だったじゃないか。
 いつの間にか思案に没頭していた己を叱咤し、○○に笑いかける。

 不思議そうな○○は首を傾け、緩く瞬いた。


「どうかした?」

「いや、何でもないよ。ただ、いつまで人間達の世界で暮らせば良いんだろうって思ってさ」

「蘇双はこの蒼野が嫌い?」

「そういう訳じゃないよ。今までが今までだったから、どうしてもここの生活がいつまでも守られるとは思えない、ただそれだけ」


 どれだけ自分達猫族は人間達の勝手に振り回されただろう。
 あとどれだけ経てば、人間達と関わり無く暮らせるだろう。
 平穏が欲しい――――とは、猫族全体の願いだ。

 あの宴の日から暫く経って曹操が現れた時、○○も関羽の妹として連れ出された。けれども関羽に劣るとして期待外れだと勝手なことをほざかれた。あの怒りは今でも忘れられない。
 また彼女が戦に出されるようなことがあれば――――と気が気でない。

 ○○はそんな蘇双の心中を知らず、母音を伸ばして天を仰いだ。


「まあ、どうにかなるでしょ」

「楽観的だね。○○らしくない」

「まあね。でも実際そんな風に思わないとやってらんないよ」


 自分達は川に落ちた木の葉だ。
 今自分達が蒼野にいるのだって木の葉がただ岩に引っかかって止まっているだけのこと。風や別の木の葉にずらされずらされて、また流れ出すのだ。
 その先が滝壺なのか、泉なのか。
 そんなこと、木の葉には分からない。
 だったら考えるだけ無駄なのだ。

 今を今なりに生きていくことに専念すれば良い。


「っていうか、人生ってそんなもんだと思うよ」

「……」

「蘇双?」

「……あ、ごめん。○○が一瞬お婆ちゃんに見えた」

「何だとこの野郎」


 拳を挙げて、しかしくしゃりと笑う。

 蘇双もつられて口角を弛めた。

 ……確かに○○の言うことももっともだ。
 それに、どんな状況に遭ったって自分が○○を守れば良い。
 自分なら○○を関羽と間違えることは無いのだから。戦場の中でも、絶対に見つけ出せる。
 一人頷いていると、○○はそこで何かを思い出したように掌に拳を落とした。


「そうだ。趙雲さんに鍛錬に付き合ってもらうようにお願いしてたんだった」

「――――」


――――ぞわり。
 悪寒に似た、けれどもそれとは全く異質の、忌むべき衝動が胃の腑の辺りから這い上がる。どろどろとしたそれは確かな存在感で不快を誘発し、蘇双に囁きかける。行かせてはならないだろう、と。
 それは自分の勝手な独占欲が生み出すモノであると分かる理性が、何とか押し止めようと抑え込む。

 けれどそれは、蘇双に囁き続ける。
 このままで良いのか。
 このままでは趙雲に盗られてしまうぞ。
 このまま放置しておいて良いのか。
 このまま――――このまま○○を周囲の男達の目に晒しておいて良いのか。

 ぞわり。
 嫌な感覚だ。ともすれば意識を持って行かれそうになる。衝動に身を任せてしまいそうになる。

 こちらに背を向けた彼女の細い首に手が伸びてしまうのも、自分の意思ではなかった。


「――――あっ」


 触れるまであと少しと言うところで彼女はくるりと身を翻した。

 咄嗟に腕を引っ込めて何事も無かったように振る舞う。冷や汗が額から頬へと流れ落ちた。


「ど、どうしたの」

「蘇双。今日うちに来ない? この間思いついた料理、世平おじ様に美味しいって言われたから、蘇双にご馳走したいの」

「え?」

「駄目?」


 こてん、と首を傾けて問われる。

 蘇双は即座にかぶりを振って否とした。断る理由が無い。

 蘇双が了承の意思を見せれば彼女は安堵したように小さく笑う。少しばかりはにかんだ表情に、胸が別の温かいもので満たされていくのが、自分でもよく分かった。……単純だ、と心の中でえずく。
 さっきまでのどろどろしたモノは温かいものに併呑(へいどん)され淘汰(とうた)した。

 満足げに頷く○○は、今度こそ、趙雲との鍛錬へと向かった。

 離れ行く彼女の背に、秘めたる恋情に振り回される少年は、一人長々と嘆息する。


「本当に……単純な自分が嫌になるよ」



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