七万打企画小説 | ナノ
藍様




 助けて下さいお願いします。
 張飛は誰にともなく、心の底から嘆願した。

 あれは誰だろうか。自分の友人の一人によくよく似ているような気がするが……いや、違う、絶対に違う筈だ。有り得ない。有り得なさすぎる。
 だって、だって――――。


――――オレの知ってる蘇双じゃねえだろー……!!


 心の中の叫びなど、どうして誰に届こうか。



‡‡‡




「あのさ……姉貴」

「何? 張飛」

「あれどうにかなんない!?」

「諦めた方が良いわ」


 すぱっと、まるで刃物で真っ二つにするかのように、澱み無く関羽は即答した。絶望に顔を青ざめる幼なじみを黙殺し、柵の上に腰掛けたまま偃月刀の手入れを続けた。
 さらりと受け流す関羽と違い、張飛は頭を抱えてその場にうずくまる。

 慣れてしまえば良いのだ。慣れて日常の景色と捉えてしまえば楽なのに。
 不器用過ぎる張飛は、いつまで経ってもそれが出来ないでいた。蘇双に先を越されたという劣等感が、慣れるのを阻んでいるのかもしれないが。

 関羽は恨めしげに前方を睨めつける張飛を見下ろし、細く吐息を漏らした。
 視線を彼から外して張飛と同じ方向へと向けると、そこには二人の若い男女が井戸の縁に腰掛けて談笑していた。
 張飛が嫌がっているのは、その男の方。

 張蘇双――――張飛の友人だ。

 女の方は○○。こちらは関羽の親友だ。武芸は不得手であるものの、男勝りで大変気が強く、歯に衣着せぬ物言いで猫族の男性達を涙目にしたことも数知れず。そういう意味では、関羽よりも強く厄介な武勇伝を持っている少女であった。

 張飛の気持ちも、分からないではなかった。
 戦えぬのに立ち居振る舞いが男よりも逞(たくま)しい○○がこうして誰かと恋仲になっていることが嬉しい関羽とて、最初こそ素直に祝福したが、蘇双の劇的な変化に消化不良めいたものに襲われたものだ。今ではもう慣れきって見過ごすという不要な技まで修得した。行使されるのは二人を見かけた時だけで本当に無駄だ。


「……そう言えば、この間一年になるからって、蘇双が花束を贈っていたわね。○○は凄く照れていたけれど、嬉しそうだったわ」

「それ見てたの?」

「ええ。わたしと談笑していた時に割り込んできたから。最近、わたしと一緒に野菜を洗っている時は必ず手が荒れるからって強引に連れて行くわよ」

「え、姉貴を放置して?」

「そうね。わたしが遠慮して言ってあげるのよ。あとはわたしがしておくわって」


 それももう慣れて事務的な感覚になってしまっている。○○も後からちゃんと謝ってくれるし、その埋め合わせもしてくれる。……それすら妨害されるのがほとんどだけれど。

 蘇双はとにかく○○を甘やかす。
 甘く愛を囁く蘇双らしからぬ顔の下では甘やかして甘やかして、自分に籠絡(ろうらく)されてしまえば良いと思っているようで。
 見ているこちらが咎めるのも面倒になるくらい、日常的に、会う度に甘やかす。

 彼はは存外嫉妬深いらしい。
 ああ、いや、いや。○○に男友達が多すぎるから不安なのだろう。○○は闊達(かったつ)で、体力が無いくせに男達とじゃれ合ったりしている。男達からも、気の許せる友人として遠慮の無い扱いを受けていた。それは偏(ひとえ)に彼女の人徳故のことであった。

 だが○○も好きになれば意外に一途なものだ。初恋は十の頃。相手は猫族の中でもなかなかの屈強な身体をした壮年の男性だった。生懸命に想いを告げようとしてはことごとく失敗を繰り返し、ようやっと告白出来たかと思えばやんわりと断られてしまった。それから二ヶ月くらいは引きずっていたと思う。
 ○○の好みは筋肉隆々な強い男性だったのだとその時に認識したのだが、どうも、そうではないらしい。
 彼女は見た目に大した拘(こだわ)りを持っていなかった。ただ話をするうちに段々と相手の中身が分かっていて、結果その《中身》で好きになってしまうらしい。関羽が観察する中で得た考察である。

 蘇双の方は一目惚れでずっと羅音に想いを寄せていたらしいが、意外に恋の多い○○が蘇双に確実に落ちる機を、頭が良いなりに見定めていたそうだ。本能が引き起こす一目惚れはとかく厄介なもので、蘇双はそれが顕著に出た事例と言える。甘やかすのも、その為。


「オレさ、○○と普通に挨拶するだけでもぶん殴られるんだけど」

「安心して良いわ。関定も同じだから。二人程酷くないけど、世平おじさんもね」


 簡単に言ってしまえば、蘇双は子供なのだ。
 ○○は一途だから蘇双の全てを受け入れる。それくらいの器量を彼女は持っている。
 けれども恋が多かったことを知っているからどうしても不安が先立ってしまって周囲にあれこれと攻撃的になってしまうのだった。見せつけるように、仲睦まじくするのもそれ故の、周囲への牽制の一つだった。

 そう。まだ子供。
 そんな風に思っていれば、まだ気が楽だ。

 ……少しは。

 ……。

 ……。


「……」

「あ、姉貴ぃぃ……」


 この世の終わりのような顔をする張飛に、関羽は深く溜息を漏らした。
 されども確かに、目の前で口付けを交わされては如何に関羽と言えども腹に来るモノがある訳で。さすがに、見過ごせない感情がある訳で。照れ屋で純真な○○のことを考えるともっと色んな感情が沸き上がる訳で。
 関羽は一つ深呼吸すると、張飛に偃月刀を押しつけた。


「張飛、少しだけこれを持っていてもらえない? それと、その後ろの鍬を取ってちょうだい」

「え? あ、うん。姉貴、畑行くの?」

「いえ。畑仕事はもう終わっているわ。張飛と劉備が手伝ってくれたじゃない」


 鍬を握り締めて柵から降りると、張飛が不思議そうに首を傾けた。


「じゃあ何で鍬? どっか開拓すんの」

「わたしが何処を開拓するって言うのよ。あのね――――」


 こう使うの。
 言って、鍬を振り上げて一気に降ろす。
 鍬の先……硬い土を抉る部分が、柵を形成する太い丸太に深々と突き刺さった。


「え……」

「《軽く》説教でもすれば、蘇双も少しは大人しくなってくれると思って」


 その時、張飛に戦慄が走った。

 ……違う。違うって。
 姉貴それは説教じゃない。

 説教じゃなくて、



 脅しって言うんだと思う。



 青ざめて何も言えなくなった張飛ににこりと笑いかけて、関羽は身を翻し、大股に尚もいちゃつく友人達のもとへと向かっていった。

 身体を反転させるその一瞬だけ、張飛は彼女の額に浮き上がった青筋を見た。



後書き⇒


  
 back