七万打企画小説 | ナノ
ちぃ様




 私は被害者だ。

 念願の、航海士として順風満帆な人生を送っていた筈なのに、どうしてこの騒動に私まで巻き込まれてしまわなくてはならなかったのか。
 副船長を担っていた兄の行方も分からない。生きているのか、今何処にいるのか――――たった一人の肉親の無事を願わない日は無かった。
 だが不安なのは、無事な兄を見つけたとして、彼がこちらに気付いてくれるのかどうかと言うことだ。

 もふもふ。
 ……そう、今の私はまさにそれだ。
 世の中の全ては、人間という小さな枠組みの中で作り上げられた常識の物差しでは計りきれないものなのだと、二十三歳になって、生まれて初めて知った。もう、幽霊とか、魔法とか、真っ向から非科学的だと存在否定が出来なくなってしまった。学校に通っていた頃、○○女史と呼ばれていた私が、そんな風になってしまうなんて、忙しさから疎遠になってしまった友人達はどう思うだろうか。

――――じゃない。そんなことはどうでも良い。
 問題なのはもふもふな身体だ。

 カニンヘンダックスフンド。
 カニヘン、或いはカニーヘン。
 ダックスフンドの三サイズの中で最も小さなダックスフンドである。生後十五ヶ月の状態で胸囲が三十センチ未満がカニンヘンと認められる。
 穴うさぎやテンを狩猟する目的で作られた猟犬である。

 それが、今の私の状態だ。なお、この情報は私が住む家主の犬図鑑で調べたものである。

 この際はっきりと言わせてもらおう。
 私を巻き込みやがった王子四人、元の姿に戻ったら覚悟しておけ。長年培った武道で男としての機能を失わせてや――――おっと失礼。つい若い頃の記憶が。

 とにもかくにも。
 私は完全に何の罪も無い善良な被害者なのである。



‡‡‡




「○○、○○ーっ!」

「ここですよー……」


 のそり、とソファの下から這い出ると、台所の方へ行こうとしていたらしい兎がこちらを振り返る。
 途端に笑顔になった彼に、私はげんなりとしながら腰を下ろした。

 ティアナと言う心優しい猛獣使いの女の子に引き取られてどれくらい経っただろうか。
 彼女のお陰もあって、この姿での生活にも何とか慣れ始めている。
 だが、代わりに精神に余裕が生まれると、渡航中の騒動で動物にされてしまった私達――――善良な一市民とファザーン王子四名の間もまあ、ある程度悪くはなくなった。けれど決して良いとも言えない微妙な関係だ。私もそれで良い。むしろこれ以上の距離感は絶対に嫌だ。触らぬ神に祟り無しという奴だ。

 けれども不如意なことが一つだけ。

 この兎――――ファザーン王国第四王子エリク殿下である。
 彼は私が航海士として兄と共に挨拶に伺った時から何かと私に接触してくる。巻き込まれた時だって、私は彼――――と第一王子に強引に誘われてお茶をしていたのだった。言うなれば一番の原因はエリク殿下なのである。いや、お茶と菓子は、私達庶民には絶対に手が出せないような高級な味で大変美味でしたけれども。

 嫌に懐かれている理由が私には皆目分からないが、他の王子達がやたらエリク殿下を私に押しつけてくるのでそれがウザったい。特に第一王子マティアス殿下がにやにやとエリク殿下と私を見比べてくるのが本当にウザったい。彼らの意図が分からないので気持ちも悪い。

 片目を眇めてエリク殿下を見上げると、彼はソファの下にいた所為で身体に付いたらしい小さな埃を払い退け、人間ならにこりと表せただろう笑みらしき表情を見せた。


「ティアナが今から買い物に行くんだって。だから一緒に行こうよ。もしかしたらお兄さんが見つかるかも」

「あー……」


 彼は良くティアナが買い物に行く際に同行を志願する。そして、私もそれに加える。
 偏(ひとえ)に私が兄を捜せるようにとの配慮らしいが、兄が無事だとして、ファザーン生まれファザーン育ちの兄がカトライアに来ることは有り得ない。私達が育った街もカトライアとは真逆だ。

 それでも――――エリク殿下の厚意を毎回拒まないのは、私自身何処かでそう言うことを望んでいるからなのだろう。
 私は、小さな頃から兄を親代わりにして苦労をかけながら育ってきた。兄も私を妹として、一人苦心しながら働いて育ててくれた。
 兄以外に身寄りが全くいなかったこと、そしてそのこともあって、私は多分ブラコンに育っているのだと思う。

 良い都市して恥ずかしいことだと自覚しているが、出来ることなら、今すぐに兄に抱きついて甘えたかった。


「じゃあ、行きます」

「うん。……ティアナ! ○○も行くって!」


 一足先に玄関へ行くエリク殿下の後を追いかけて、私もゆっくりと歩き出す。

 すでに支度を終えていたティアナは、エリク殿下を大きな鞄の中に入れ、私に気遣うように笑いかける。私の兄のことは、彼女も知っていた。だからエリク殿下の申し出を快く受けてくれるのだった。

 エリク殿下のように、鞄に入れてもらって顔だけを外に出す。カニンヘンダックスフンドは愛玩用としても人気が高いので、これで街を歩いているとたまに通行人に頭を撫でられたりする。少し前には、鞄ごと盗まれそうになって腕に噛みついて抵抗したこともあった。


「じゃあ二人共、落ちないように気を付けてね」

「ええ」

「はーい」


 ティアナに頭を撫でられる。
 彼女は猛獣使いであるなしに関わらず、比類無い動物好きだ。ままに私達は彼女に撫で回される。言葉通り、撫で回される。その時の顔と言ったら……正直、本気で私達を戻す気でいるのだろうかと不安になるくらい。あのとろけた顔を見れば、まさかこのままの姿でいさせるつもりじゃ……なんて疑うのも無理はないと思う。

 扉を開けて、外へ出る。
 甘い花の香りが、鼻腔を擽(くすぐ)った。



‡‡‡




 収穫が皆無だというのも、もう慣れたものだ。

 私はソファの上で丸くなって目を伏せていた。眠る訳でもなくただただじっとしている。

 好い加減、この街で兄を捜すのは止めた方が良い。いつもいつも、そう思う。
 彼は今頃ファザーンの家で安静にしているのかもしれない。
 そうしながら、私のことを案じているのかもしれない。
 来る可能性も低いカトライアで兄を捜すよりも、私が早く元に戻ってファザーンに帰った方が確実か……。

 兄が生きているとするならば、だけど。

 この街に着いてから幾度と無く繰り返した溜息を心の中で漏らすと、隣に何かが乗ったように、片方が沈んだ。
 片目を開けてそちらを見やると、エリク殿下が私の頭をそっと撫でてきた。


「きっとお兄さん見つかるよ。だから、諦めないで」


 優しく、励ましてくる。
 年上の私を。

 これも毎度のことだ。

 彼に何の応えも返さずに目を伏せると、それでも頭を撫でてくるのも、毎度のこと。
 呪文のように、「頑張ろう、頑張ろう」と繰り返してくる。

 ……多分、だけど。
 割り切れないのは彼のこの言葉の所為もあるんだろう。
 私は不快ではない穏やかな少年の声に、全身から力を抜いた。



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