七万打企画小説 | ナノ
匿名様




 ……まあ、取り敢えず、だ。


「張飛死ねば良いのに」

「今度は何言われたんだよ」


 泉の畔、岩の上で胡座を掻いていると、背中合わせに座る関定が呆れた様子で返した。

 ○○は無表情に小石を泉の中へ投げつける。ぽちゃんと落ちたそれは波紋を広げ、棲息する魚を散らせた。

 ○○という関羽の双子の妹は、とかく表情の動きにくい娘であった。達観した目で常に物事を淡白に見、あらゆる部分、その細部に至るまで把握する。相手に心の内を読ませないが、相手の癖、弱点などをすぐに掴み味方に指示して誘導すること――――つまりは用兵術に非常に長けていた。
 世平に、関羽と○○、双子が揃えば小規模の戦いに勝利出来ると言わしめた程だ。

 関羽が武技に著しく秀でた分、○○は策謀に著しく長けた。

 凛々しく研ぎ澄まされた刃のような美しさと気高さを持つ姉と違い、愛くるしい童顔の裏に底の無い深い深い知略の海を湛える彼女に知識を借りる者も、決して少なくなかった。
 感情の起伏に乏しく毒舌傾向のある彼女ではあったが、嬉しいことは嬉しいと言うし、嫌なことははっきりと拒絶する。関羽に似て、気配りも欠かさない。その上折々に子供じみたことをするので、関羽は勿論のこと、誰からも過保護に育てられていた。

 その中で、関定とは○○自身が親友と言う程に非常に仲が良かった。彼とは、男女の仲に発展することも無く、丁度良い距離感でいられる。昔から、二人で馬鹿をやっては一緒に怒られてもいた。関羽が猫族に馴染むきっかけをくれたのは劉備で、○○は関定だった。

 その為、愚痴を語る時は関定が付き合うのが常だった。

 ○○は舌打ちした。滅多にしないそれは、余程の感情を臭わせた。


「……さっき言われた。『姉貴は○○と違って綺麗だよなー』って。前歯折ってやろうかと思った。肋骨折ってやろうかと思った。……股間取ってやろうかと思った」

「お前女の子な」

「知ってる」

「そりゃ良かった。で、それで一発ぶん殴ってやったんだろ?」

「近くにあった関羽の偃月刀の柄尻で脳天を容赦なくズガンと」

「それで殺す気が無かったって無表情に堂々と言えるお前を尊敬するよホント」


 ぽん、と頭を叩くように撫でられてちょっとだけ照れる。すぐに、皮肉だと後頭部に手刀を落とされた。そうか、皮肉だったのかと納得する。これが張飛だったら納得することも無く、ぶっ潰しているところだけど。それはもう、完膚無きまでに。


「関羽に言えば良いのにね。そうすれば喜ぶのに」

「いやー、無理だろ。関羽の張飛に対する扱い、完全に弟だもんよ。それに、あいつ関羽のことは尊敬してるってだけだろうし。本命は別だろー」

「浮気者は泣きを見るものさ」

「それって正直者じゃねえの?」

「私は全ての女性の味方。浮気者は排除。徹底排除。男である必要無し。関定は一歩手前だけど恋人が出来た時私が万が一が起こらないように不能にすれば、」

「だからお前女の子だって! そして極端な予防策を取るな!」

「それが恋人の女の子の為」

「お前どうして男女があるか分かってるか? 分かってるよな?」

「交尾によって子孫を残す為」

「……ああ、そうだ。オレ諦めたんだった。こいつに女性としての嗜みを教え込むの諦めて世平に辞退するって言ったんだった!」


 この娘は頭が良すぎて思考がおかしい。達観しさばさばしているようで、自分の独特すぎる世界に浸っているようで、物事をしっかりと見ていて――――小さな頃からさっぱりした本当に不可思議な娘だった。
 それが嫌と言う程に分かっている関定は頭を抱えて、何かを思い悩むように唸った。

 肩越しに振り返り、○○は不思議そうに首を傾ける。


「何か悩み事?」

「あー……まあな。友達のことで色々と胃が痛くてな」

「大変ね」

「ああ。お前のその無辺世界浮いてるような頭の所為でもっと大変だよ」

「あ、そう。じゃあ。諦めた方が良いね」

「ああ。もうとっくの昔に諦めてる。……で、一つ訊くけどさ」


 お前、張飛のことどう思ってる?
 ○○は緩く瞬きして、


「関羽の舎弟」


 関定は、大仰に嘆息した。



‡‡‡




 気が済んだ○○が家に帰ると、関定は後頭部を掻きながら後方を振り返った。
 大股に茂みに歩み寄って掻き分ける。するとそこには膝を抱えた少年が苔でも生えそうなくらいにじめりとした空気を伴って沈んでいた。


「残念だったな。張飛。伝わってねぇし完全に脈無しだぞ」

「うぅぅ……」


 関定は張飛の頭をぽんと叩き、苦笑をこぼした。


「つーか、オレでも伝わらねえと思うぞ、あんなこと言ったって」

「……じゃあどう言えば良かったんだよ」


 顔を上げる張飛は縋るような眼差しを関定に向ける。彼にとって、関定はこの上無く心強い助っ人だった。


「素直に○○本人に可愛いって言えばそれで解決だろうが」

「本人に……って言えるかそんなん!!」

「そこが駄目なんだろ、どう考えても」


 ○○は、張飛が好きなのは姉だと思っている。なので、端から彼を恋愛対象として見ていない。

 だが実際は、張飛は○○にこそ想いを寄せているのだった。それは、周囲からも察知される程に露骨で、馬鹿馬鹿しい程に奥手だった。

 幼い頃、さっと吹いては何処かへ去っていく気まぐれな風のような○○がままに――――それこそ奇跡的に見せる笑顔に一目惚れしたとか言っているが、正直○○相手にもじもじしている張飛は気持ちが悪い。あの世平すら敬遠する程だ。

 だが一方で、全く○○に相手にされないどころか気付いてももらえない彼に同情を寄せる者も、少なくはなかった。

 ○○という娘が恋愛に興味を持たず、非常に厄介な感性であることは、関定が良く分かっている。
 そんな彼女には、直接言わなければ絶対に通じない訳で。
 そう何度も言っているのに張飛は言えないでいる。……この数年間、ずっと。


「マジで、単刀直入に、飾らない言葉で言わねえと」

「だ、だってさ……」

「照れるな気持ち悪ぃ。このままだと、○○の奴関羽とくっつけようとするんじゃねえの?」


 関定はさらりと嘘をつく。○○に限ってそんなことは有り得ない。
 だがこうでも言わないと、本当に、彼は何も出来ないままだ。


「影から見守ってやるから、今度こそ直に言ってこい」

「……どうしてもか?」

「どうしてもだ」


 ……この時、関定は後悔した。
 ここまで面倒だとは予想だにせず友人の恋に協力すると誓った、昔のことを。



‡‡‡




 ○○は自宅で一人端座していた。
 やることは全て済ませてある。夕食の下拵えも、今日やるつもりだった繕い物も、掃除も。
 いつも関羽が手伝うから残して良いと言うが、○○は効率が良くすぐに終わらせてしまうので、関羽が鍛錬から戻ってくる前には残すこと無く全て終わっていた。

 夕食は関羽が作るが、下拵えをすると関羽が比較的楽になるし、時間の短縮にもなる。
 長時間水に触れる洗濯は手が荒れる。逆剥けやひび割れで手が血塗れになっていたから、洗濯は率先して○○がやるようになった。手荒れに効く薬が作れるから。
 掃除はこの家のあらゆる物の所在を把握する○○にしか出来ない。世平も忘れてしまったような場所も余さずしっかりと覚えているので、定期的な整理、手入れも彼女が行っていた。

 することが無いからやっている、ただそれだけの感覚なので関羽達に謝られても、気遣われても、○○にはその意味を解することが無かった。


「○○。帰ってたのか」

「ん……」


 家に入ってきたのは世平だ。釣りに出かけていた筈だが、収穫は無かったようだ。けれどまあ、それも予想の範囲内ではある。
 「お帰り」と淡泊に迎え、立ち上がる。小走りに世平に駆け寄れば頭を撫でられた。


「洗うよ」

「いや、俺が洗って片付けておくさ。それよりも、張飛がお前に会いに来てるぞ?」

「私に?」


 こてんと首を傾げて玄関の方へと視線を向けると、張飛が嫌に緊張した面持ちで戸口に立っていた。視線は忙しなくあらぬ方向を行き来し、こちらを見ようとしない。

 ○○は張飛の前へと歩き、訝るように彼を見上げた。


「何?」

「……その、……えっと……」


 ○○と目が合うと、かあっと顔が真っ赤になる。それは、沈みかけた夕日の所為だけではないだろう。
 なにゆえか真っ赤な彼は暫く言い淀み、後頭部をがりがりと掻いて――――途中、爪で頭皮を抉ったらしく、表情が一瞬だけ強ばった――――ようやっと、ぎこちなく、その言葉を発した。


「か、可愛いから!! すっげー可愛いから!」

「……」

「……○○?」

「……うん。分かった」


 ○○が頷けば、途端に張飛の目に期待が宿る。

 ……が、相手は○○なのだ。

 張飛の脇を通り過ぎ、家を出た彼女は張飛を振り返って一言。


「私が代わりに関羽に言ってくれば良いのね?」

「……」


 一転。
 張飛は青ざめた。

 凄い顔色だなと思いつつ、鍛錬をしているだろう関羽のもとへと駆け出す。



 近くの家を通り過ぎる間際、誰かが大袈裟なくらいに嘆息したような、そんな気がした。


「せめて誰が可愛いのか言えよな馬鹿……」



後書き⇒


  
 back