六万打企画作品 | ナノ

※下品な表現が多少含まれています。



「もーやら、耳切り落としてこんな村出てってやる!! 猫族なんからいっっきらい!! のられ死んら方が増しらんらーっ!!」

「○○! お願いだからそんなこと言わないで、落ち着いて……!」

「関羽も嫌いらーっ!」

「そ、そんな……っ!!」

「関羽落ち込んでる場合じゃないから! ちょっと○○本気で耳をもぎ取ろうとするなってば!!」


 暴れ回る少女を羽交い締めにしながら、蘇双は鬱屈とした気分で天井を見上げた。



‡‡‡




 猫族は、全体で夜宴を催すことが多い。
 女達に混じって私もあれこれと準備を手伝ったり酒を運んだりしているのだけれど……どうも私の存在が世平おじ様や蘇双、関羽以外に認識されていないような気がする。ここでも影は薄いのか私は。むしろこのどんちゃん騒ぎ、真っ黒な私は目立つと思うのだけれど。

 もう何か、あれだね。
 この酒の入った壷、中央の料理めがけて投げても良いですか。駄目ですか、そうですか。


「○○! そのお酒世平おじさんに持って行ってくれる?」

「うん、分かった」


 行き先が世平おじ様だと非常に有り難い。酔っぱらったおじ様の相手は面倒臭いが、他の男性よりもずっとましだ。だって私は人見知り。
 隣の人と飲み比べに夢中になっている世平おじ様の横にさり気なく酒を置いて、私に気付かず堂々と行き交う人達を避けながら、ふと蘇双の近くの料理が少なくなっているのに気が付いた。原因は隣の張飛だ。あいつが蘇双の料理を奪っている。

 蘇双もそれ程食べるって訳じゃないけど……補充しといた方が良いかな。張飛もまだ食べるだろうし。

 急ぎ足に厨房に戻って料理を持つ。
 人にぶつからないようにして蘇双のもとに行けば、こちらに気が付いた蘇双が口を薄く開いた。

 私は張飛と蘇双の間に膝をついて彼の前に料理を置いた。


「はい。無くなってたから一応」

「ありがとう。……まあ、結局張飛に盗られるけどね」

「だろうね。他に何か欲しい物があったら持ってくるけど、だいじょう――――」


 その時だ。


「おーい姉貴――!!」


 関羽を見かけたらしい張飛が勢い良く身体を捻った。

 はっとした時にはもう遅くて。
 顔面に、張飛の肘鉄を受けた。
 痛いなんてものじゃなかったし、衝撃も強かった。
 耐えきれなくて後ろに傾いで何かにぶつかる。

 それからは、異様にゆっくりとしたものだ。

 顔を上げれば自分に大量の《水》が迫っていた。
 避けられないと思ったまさにその時に全身に降りかかって、独特のキツい臭いが鼻腔を突く。くらくらと眩暈がした。身体が急激に熱くなっていって……見えない何かに意識を持って行かれそうだ。あれ、風邪引いてたっけかな。
 おまけにその《水》が入っていたらしい壷も私の太腿に落下して、鈍い痛みがそこに生じる。ただ、思っていたよりは酷い痛みじゃなくて、ぼんやりとしてる。

 ……あれ、ぼんやりしてるのは痛みと私と、どっちだ?


「○○!!」

「お前そこにいたのかよ!?」


 ……いたよ。



‡‡‡




 大量の酒を被った○○は黙りだ。

 突然の出来事に、周囲と同様言葉も出ないのか――――否、違う。
 彼女が違う意味合いで黙り込んでいることを、蘇双と世平は知っていた。そして、これ以後どうなるのかも粗方予想がついていた。
 知らぬ関羽や周囲は彼女に怪我が無いのか、或いはいつの間にそこにいたのかと、目を丸くして見入る。

 世平と蘇双は互いに目配せし合い、ほぼ同時に動いた。

 ○○も、ややあって立ち上がり、張飛を見下ろす。双子の妹とはあまり似ていないその顔は、まるで面のように無機質で、表情というものが無かった。
 張飛はこれに怖じ気付き、身体をじり、と引く。

 嗚呼、ヤバい。
 張飛が目を付けられた。

 蘇双が○○を彼から離そうとした直前――――。


「野糞野郎があぁぁぁっ!!」


 ○○が思い切り踏みつけた。
――――張飛の股間を。

 悲鳴が上がったのは言うまでもない。……自業自得だけれども。

 蘇双は○○を後ろから羽交い締めにして、張飛から離そう力一杯引きずった。

 世平もこれに加勢するが、周囲は何が起こったのか理解出来ずに茫然としていた。無理もない。あの人見知りで大人しい、目立たぬ娘が男の急所を踏みつけたのだ。年頃の娘が口にしてはいけない下品な言葉を怒号に乗せて。


「『お前そこにいたのかよ』だぁ!? っざっけんじゃねぇぞケツの青いクソガキがぁ……っ!!」

「○○、落ち着け!」

「るっせぇテメェは酒と歳で耄碌(もうろく)してろ!」

「……」

「世平叔父!! いちいち落ち込まないでよ!!」


 これは酷い。
 以前よりも乱暴な言葉遣いに、蘇双は舌打ちした。

 ○○は酒に非常に弱い。
 たかだか一杯飲んだだけでも泣くわ怒るわ叫ぶわ笑うわ……一言で言い表せば、《壊れる》。
 それも溜まった鬱憤で酷さが変わってくるのだから厄介だ。だからこそ世平も蘇双も、宴の際は何が遭っても酒だけは彼女の口に入れぬように影ながら苦心していたのだった。

 初めて猫族全体の目に触れてしまった今回は、異常に酷かった。それだけ貯め込んでいたのかと思うと、悔しいやら申し訳ないやら――――いっそこのまま皆にぶつけさせれば良いんじゃないかと思えてしまう。原因は彼らにあるのだし。
 蘇双の思考を読んだのか、世平が険しい顔して首を横に振った。

 世平が口を塞ごうと手を伸ばせば彼女は容赦なく噛みついた。暫く離さずに歯を食い込ませた。解放された時にはうっすらと血が滲んでいた程だ。


「大っ体さぁ……そこの野糞、前に言いやがりましたよねぇ、私が関羽よりも力強いんじゃね? って」

「……野糞……」

「てめぇちっさいころ近くの森で鼬(いたち)にビビって失禁してたろうが!!」

「何でてめぇがそれ知ってんだよ!?」

「私は関羽どころか蘇双よか弱いだっつの!! そんなにキモいか! そんなに関羽と双子なのか不思議か! 猫族に要らないか私は! ああ!?」


 蹴り上げようとした足を世平が咄嗟に抑え込む。


「ああそうだ、どうせ私は関羽に何もかも劣ってるし髪の色以外全っ然似てないし地味だし影薄いし、関羽の双子の姉らしくないさ! だったらここで言ってあげようか? 私は関羽の双子じゃありません全くの別人ですはいこれが今日から本当だね良かったね!!」

「せ、世平、○○は――――」

「私が喋ってんらから外野は口らしすんじゃれぇぇ!!」

「……見ての通りだ」


 本格的に、酔いが回っている。
 さすがに彼女を気絶させた方が良いのかもしれない。
 このままでは精神的被害が尋常じゃない。酔っぱらった時の彼女の容赦の無さは自分達が一番知っているが、今回はその比じゃないと考えると――――。

 世平を呼ぼうとした蘇双はしかし、そこで突如沈静した○○にえっとなる。


「○○?」

「……う」

「う?」

「う……う……」


 ……まさか。


「うわああぁぁぁぁん!!」

「……ああ、もう」


 今度は泣き出した。
 滅茶苦茶だ。

 大音声を上げて口汚く猫族の人間を罵り、貯め込んだものを誰彼構わずぶつけだした○○に、周囲は宴どころではなくなった。
 文にも表せない言葉を思う存分吐き出して、終いには猫族を出て行くと耳を本気でもぎ取ろうとするわ関羽も大嫌いだと余計に泣き喚くわ……収拾がつかない。

 ○○の気迫と暴言に、幼い子供達も、劉備も泣き出して宴の場はいよいよ混乱を極めていく。

 今までの苦労は一体何だったのか――――彼女の暴走は全てを台無しにしてしまった。
 貯め込まなければこんな風にはならないのだけれど、蘇双以外に心中を吐露することも出来なくて、蘇双が聞くだけでは足りなくなって、結局は○○の中に蓄積される。
 簡単な話、関羽贔屓を止めれば良いのだ。それだけで、蓄積されるものは極端に減る。

 今度は蘇双に抱きついてしゃくり上げながら詛(のろ)い言をぶつぶつと呟く○○の頭を按撫(あんぶ)してやりながら、鼻白んだ猫族の大人達を見渡した。良い歳した男まで○○の気迫に気圧されて青ざめている姿は、さすがに哀れだ。


「……まあ、ボクに言わせてみれば自業自得な気もするけど」

「蘇双。取り敢えず、家に連れて帰るぞ。これ以上刺激したら、何をしでかすか分からん。悪いが蘇双、今日は一日、○○についていてやってくれ」

「言われなくても分かってるよ。○○がいないなら、宴に出る意味も無いし。○○……」

「……やら」

「は?」

「やら……私、要らなくないもん、私ここにちゃんといるもん……私は私らもん……っ」


 うー、とまた涙を流し出す。
 溜まった鬱憤はある程度は吐き出せたのか、激情を爆発させる危うい気配は見られない。最後の最後で、訴えているだけのようだ。
 蘇双は彼女を宥めつつ、家に帰ろうと宴の席から外れた。

 広間から出る直前、「言っておくけど」彼は皆を振り返る。


「○○、明日になったらこのこと全っ然、覚えてないから」


 そう言って、少々乱暴に引き戸を閉めた。



‡‡‡




 酔っぱらって落ち着いた後、彼女は必ず蘇双にくっついてくる。
 以前も、静まった○○を介抱したのは蘇双だった。
 自分だけを頼る姿を見ると、満足感と優越感に胸が熱くなる。満たされる。

 ○○を寝台に寝かせ、蘇双は長々と嘆息した。
 これで、朝起きた時にはすでに記憶には残っていない。
 明日から彼女への対応はがらりと変わってしまうだろうけれど、その理由を覚えていない○○にとって辛いことにならないか不安なところである。

 寝台に腰掛けて赤らんだ寝顔を見下ろした蘇双は、何とはなしに額をそろりと撫でた。

 すると――――○○の瞼が震えて徐(おもむろ)に持ち上がる。
 真っ黒な瞳が虚ろながらに蘇双を捉える。ほんの少しだけ潤んだそれに、蘇双は一瞬目を逸らした。

 ○○はのっそりと上体を起こすと、腫れた目を擦りながら舌足らずに蘇双を呼んだ。


「何?」

「……何処かに行くの?」

「行かないよ。酔っぱらい残したらどうなるか分かったものじゃない」


 頭を撫でると気持ちよさそうに、とろけるような笑みを浮かべる。さながら飼い主に甘える猫だ。
 ○○は確かに関羽に比べれば月並みの面立ちである。だが、昔から蘇双にとっては関羽よりも愛らしいと思う。惚れた弱味という奴だ。

 心細そうな彼女は蘇双に身を寄せ袖をぎゅっと握ってきた。


「どうかしたの」

「……」


 唸るような微かな声。
 まさかまた泣くのかと身構えると、彼女はばっと顔を上げて一気に顔を近付けた。

 避ける暇も無かった。
 唇に触れたその感触と仄かな酒気にくらりと眩暈。
 目を剥くと彼女はくたりと崩れ、すぐに健やかな寝息が聞こえてきた。

 蘇双は口を押さえ、眉を顰めて○○を見下ろす。


「……ちょっと、」


 何さ今の。
 口にした文句は彼女の意識に届くことは無く。
 蘇双は真っ赤な頬をひきつらせ、○○の鼻を摘んでやった。


「明日だけ、口利いてやんない。助けてもやんないから」


 ○○は苦しそうに、身動いだ。



→後書き