趙雲




 どうしても踏み込めない一線が、自分にとってはとんでもなく深い溝のように思えて仕方がない。
 一歩、たった一歩で越えられる線なのだから深さがどうであれ関係が無い。でも、けれど……一歩を差し出した瞬間その溝は幅が広がって自分はたちまちのうちに闇に落下していくのではないか、踏み越えた瞬間溝から真っ黒な手が伸びてきて足を掴み引きずり込まれてしまうのではないか――――考え出せば切りが無い。

 とどのつまり、臆病な自分はその線を越える一瞬の勇気が無いのだ。

 その先にある未来(もの)が怖い。見たいと思う以上に、見たくないと震える小心者(じぶん)を守ろうとする。
 このままで良い。
 このままが良い。
 そうすれば、傷つきもしない。
 丁度良い距離感で傍にいれる。

 ずっと、ずっと、想いを自覚してから彼女は自分自身に何度も言い聞かせる。
 踏み越えようとして結局怖じ気付き引き返す自分を咎めるように、洗脳するように、頭の中で繰り返す。

 世界が違うとか、そんな問題は些末だ。残ろうと思えば残れる。彼女はそれだけ入れ込んでいるのだ。
 けれども疎く、そして臆病な彼女は壊れることを恐れてこの一線だけは越えまいとする。誰よりも近い、今の距離感を守ろうとする。そうやって、愚かな自我を満足させようとする。

 その行為に、実質何の意味も無いことを知りながら。

 結局、彼女は毎日のようにそれを繰り返す。



‡‡‡




 遠い昔、院長に良く本を読んでもらいました。
 ファンタジーのそれは、私もお気に入りで、何度も読んでもらった記憶があります。


 あるところに、王子様がいました。
 王子様は、病弱なからだでありましたが、王国でいちばんの剣士でありました。だれも、王子様にはかないません。
 そんな王子様がいちずなおもいをよせるのは、となりの国のお姫様です。おさないころからいっしょにあそんでおりましたので、おたがいが大好きで、けっこんもとうぜんだとおもっていました。
 しかし、とつぜん王国が東の国にせめられてしまいます。
 だいじな国民を守るため、王子様は東の国にたちむかいました。
 王子様がお城をしゅっぱつする前、お姫様はお城をおとずれて王子様にこう言いました。
『私は、あなたを愛しています。このお返事は、またここで聞かせてください。どうか、生きて戻ってきてください。私はいつまでも、待っています』
 お姫様は泣いておりました。
 王子様はなぐさめるため、お姫様の頬にキスをしました。
『必ず、あなたのもとへ戻り、ぼくの気持ちをお伝えしましょう。それまでどうか、ぼくを信じて待っていてください』
 かたい約束をして、王子様は白馬をはしらせました。


 しかし、王子様は戦いのあいだに、病気になってしんでしまったのです。


 お姫様はとても悲しみました。
 信じたくなくて、ずっと、ずっと、毎日のようにお城で待っておりました。
 病気になって、しんでしまうその時まで、お姫様はずっとお城で王子様を待っておりました――――。


 お姫様にとって王子様が初恋の相手でした。

 初恋は実らない、よくある話です。
 それは、多分私にも言えることなんだと思います。

 ただ――――。




‡‡‡




 初恋は、実らない。
 真由香は一人ぼそりと呟いた。

 里親はどちらも初恋だ。それで、あんなにもラブラブ。

 けれど、初恋が実らないって言われるのも今なら分かる。
 初めてだから、何をして良いのか分からないのだ。相手に少しでも近付きたいけれど、何をどうすれば近付けるのか分からないし、何よりも、快適な距離を壊さなければならない恋自体が怖い。
 こうやって人は、或(ある)いは奪われ、或いは恐怖のあまりに閉じ込めて、初恋を過去にしていくのだろう。

 少なくとも、真由香はそう思う。

 こんな気持ち、知らなければ良かったのかもしれない。
 これはあまりに息苦しくて痛い。
 初めての感覚が、たまらなく辛い。

 恋なんて、なんと厄介なものだろう。
 あの友人達も、こんな気持ちになったりしたのだろうか?

 良く、耐えられたものだ。
 初恋じゃないからか?
 初恋が終わったら、もっと楽に恋が出来るのだろうか?

 ……嗚呼、自分が考えたとて分かる訳がない。


「――――真由香?」

「ひゃあっ!?」


 嘆息をした直後、肩に何かが載せられて真由香は文字通り飛び上がった。

 相手も驚いたらしく、小さく声が上がる。


「すまない。驚かせてしまったか」

「あ、ちょ、趙雲さん……いいえ! ただちょっとびっくりして……あれ?」

「……驚いたんだな」


 くすりと笑われて顔が熱くなる。上気しているのを隠したくて俯くと、ぽふっと頭を軽く叩くように撫でられた。それにすら、心臓はいつも以上に活発になってしまうのだ。昔は、安らぐだけだったのに。


「すみません。少し、考え事してたので……」

「考え事?」

「ちょ、ちょっと……夕飯が何かな、と」


 苦笑して適当な嘘をつくと、趙雲は黙り込む。

 ややあって、


「……俺の気の所為であれば良いんだが」

「? はい」

「ここのところ、俺を避けていないか?」

「え……」


 図星である。
 真由香は即座にふるふるとかぶりを振った。


「そんな、滅相も無いです! ただ、最近会わないなーとは思っていましたけど!」


 思い切り避けていました、ごめんなさい。
――――とは、内心の声である。

 必死な真由香の言葉を、しかし趙雲は疑わなかった。


「そうか……では、本当に俺の気の所為だな。妙なことを訊いてすまなかった」

「いいえ! 平気です!」

「ずっと一緒にいるからだろうな。偶然に会わない日が続くと、お前に嫌われたのではないかと不安に思ってしまう。お前に嫌われていないのなら良いんだ」


 苦笑混じりだが裏に微かな安堵を帯びたその口調に、全身が火照る。けれど同時に、ずきりと胸が痛んだ。
 それは、きっと《兄として》の言葉なんだろう。

 されども、彼のごつごつとした大きな手で頬を優しく撫でられると、頭を優しく撫でられると、真由香の心は一時的にだが満たされていく。暖かな真綿にくるまれたような心地になる。心地良いその感覚にずっと酔いしれていたい。
 よしや、離れた直後にもっとと求めてしまいそうになっても

 嗚呼、やはり自分はこの人が一番好きなのだと実感する。

――――もし。
 もしこの場で言ってしまったら彼はどんな反応を示すだろうか。自分の望むような未来(さき)があるのだろうか。

 ……いいや、自分には到底無理な話だ。
 怖いから言えない。

 兄弟の線を越えられない私が、口に出来る訳がないんだ。


 たった一言、《好きです》なんて。


 私は、幼い頃に良く読んでいたお話のお姫様よりも意気地無しだ。
 私にはあのお姫様みたいに、好きな人に好きだって言えないんだもの。

 自分で動かずに距離を保って忍び続ける自分と、再会の約束として王子様に想いを告げたお姫様。

 叶わない初恋でも、お姫様と自分は天と地程の差があった。

 好きな気持ちは、誰にも負けないと思うのに……。


 本当に、情けない――――……。


○●○

 梗弥様リクエストの最後は空蒼で趙雲です!

 切ない甘い切ない甘いと念じながら書いていたんですが、途中でまたギャグが入りかけました。気を付けていたのに、何故だ……。

 今回は梗弥様リクエストの夏侯淵よりも分かりにくいですが、両片想いです。夢主の方が完全に怖じ気づいてる感じです。
 初恋ってことで、前向きな彼女が隠れてしまってますね。

 ちなみに趙雲の方は夢主が告白してきたら彼女の予想とは裏腹に喜ぶんでしょうね。きっと夢主の杞憂。



 初めまして、梗弥様。
 この度は企画参加、本当にありがとうございました!

 空蒼のみならず前企画の作品も気に入っていただけたこと、本当に嬉しいです。(´∀`)

 図々しいだなんてとんでもない! むしろどんと来いです、いただいたリクエストは全て気合いを入れて書かせていただきました!

 切甘ということでしたが、如何だったでしょうか? 切なさの過剰摂取だったりしないでしょうか……?(・_・;)
 何かあれば仰って下さいませ。

 では、この度はありがたいお言葉と共に、リクエストして下さいまして、ありがとうございました!!\(^o^)/
 梗弥様のお言葉、私の励みにさせていただきますね!



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