夏侯淵




 夏侯淵は女性にモテるし、町民からの信頼が篤い。
 その為、情報収集で城下に降りることも屡々(しばしば)だ。
 気を利かせて真由香も同行させられるけれど、夏侯淵に想いを寄せる女性達によって夏侯淵から引き離されてしまうのは常だった。

 その時に決まって恋しくなるのは猫族の仲間達。
 あの優しい皆のもとに戻りたいと、そう思うようになっていた。

 そも、何故真由香が猫族でなく曹操のもとにいるのか。

――――猫族に引き取られて数ヶ月経った頃に曹操は突如として村に現れた。
 当然見慣れない真由香について、報告をしなかったことを詰問された。その時の空気の剣呑さと言ったらなかった。張飛達と夏侯惇達はまさに一触即発だったし、真由香自身も傷つけられるかもしれなかったと、後に聞かされた。

 そこでは劉備が気を利かせ曖昧にして事情を話したが、結局納得するには至らず、一時的に曹操の城で監視されることになってしまったのだ。

 最初こそは怪しまれもしたが、夏侯淵などは何かと全盲の真由香の世話を焼いてくれる。気の抜けるような発言などを素で言うし、何かと転ぶので怪しむ必要が無いと早々に判断されたらしい。

 誰よりも面倒を見つつも、一人で出来ることは一人でしたいという真由香の意思をしっかりと尊重してくれる彼に、真由香が惹かれるのも有り得ないことではなかった。

 遠くで女性と談笑している夏侯淵に遠慮して、離れた飯店の世話になっている真由香は、店主の気遣いで出された茶を飲みながらほうと吐息を漏らした。

 夏侯淵が真由香を一人にすると、いつも町の人間が一人では危険だからと店や家に招いてくれる。お陰で、夏侯淵からはぐれて迷うことも無い。彼が人々から聞いて迎えに来てくれるのだ。

 けれど、自分が夏侯淵について来ることに何の意味があるというのだろうかと、最近になって思うようになった。
 だって結局は町の人に世話になるだけで町を回れた試しが一度も無いのだ。
 今度こそ城下を案内すると言いつつ、こんなことになる。自分を慕ってくれる女性達を邪険に扱うことをしないのは彼らしいが、真由香が彼の邪魔になっているような気がしてならないのだ。

 ……こうなったら、一人で町を回ってみよう。一人でも大丈夫になったら夏侯淵に迷惑をかけることが無い。その上、城下で友人を作れる……かもしれない。
 そう思い至って、真由香は持参した杖を片手に立ち上がった。


「おじさん! お茶美味しかったです! 私、町を回ってきます!」


 何処にいるかも分からない店主に謝辞を述べると、彼は狼狽えた。


「ええっ? そんな、止した方が良い。目が見えないのに、慣れないうちに一人で回れば迷ってしまうよ!」

「大丈夫です。それに可愛くない子にも旅をさせろ、です! 少々デンジャラスな方が覚えると思います! ……多分!!」


 頭を下げると机に額をぶつけてしまった。
 それを見た店主はいよいよ強く止めるように言い聞かせてくるが、使命感に似た衝動に駆られた彼女はもう止まらない。

 勇んで店を飛び出した真由香は、気合いも十分に、未開の密林に飛び込むような心境で雑踏の中に紛れ込んだのだった。



‡‡‡




「――――して、誤って城下を出てしまったと」

「すみません。本当にすみません」


 呆れた風情の曹操を前に、真由香は正座して平謝りをしていた。
 あの後、最初こそ調子良く町を回っていたのだが、いつしか町の外へ至ってしまったらしく、出た瞬間慌てて兵士達に呼び止められて事無きを得た。

 それから兵士の厚意で町の中を案内してもらったのだが、夏侯淵への言伝を別の兵士に頼んで城に帰ったところ、曹操に報告されるや否や何故か説教が始まってしまった。
 兵士の話だと、真由香を付けていた賊もいたらしい。恐らく、捕まれば売られていただろう。
 それも含め、一人で不慣れな城下を歩いたことをキツく、キツく咎められた。

 二時間以上――――真由香の感覚なので信用性は無い――――も続いた説教を終えた彼女は、痺れる足でふらふらと廊下を歩いて何とか部屋に辿り着いた。部屋を出た直後に付き添いの兵士が背負おうかと言ってくれたが、すかさず曹操が罰だと禁じた。


「や、やっと着いた……!」

「良く頑張ったな。偉いぞ」


 自身の部屋に辿り着く頃には、足の痺れも治まっていた。
 壁に手をついてほうと吐息を漏らした。

 真由香と同じ年の娘がいるらしいその兵士は、真由香の頭を撫でると足早に職務へと戻っていった。城下の案内から部屋への送り届けまで、本当に有り難く、心から申し訳なく思う。


「うう……今日は失敗か……」


 また今度再チャレンジしようと、全く懲りていない彼女は吐息を漏らして部屋に入った。
 が、扉を開けた瞬間誰かの気配を感じてすぐに閉めた。腕組みして首を傾げる。


「……あれ、部屋間違えた?」


 いや、そんなことは無い。違っていたら兵士が気付く筈だ。
 不思議に思いながら再び扉に手をかけると、何故か独りでに開いた。
 え、自動? 幽霊さん? ポルターガイスト?
 物が飛んでくるのではないかと身構えると、飛んできたのは実体の無い声だ。


「真由香!」

「――――あ、夏侯淵さんだったんですね。びっくりしました。てっきり幽霊さんが開けて下さったのかと」

「……それ、本気で言ってるのか」

「はい。幽霊さんだったらどうお礼を言おうかと」


 大仰に嘆息された。
 ……冗談だったのでツッコんで欲しかったのだけれど、と心の中で肩を落とす。

 ややあって、「あ!」と声を張り上げる。


「な、何だ?」

「夏侯淵さん部屋を間違えたんですね!」

「お前と一緒にするな!」

「私生まれてこの方自分の部屋を間違えたこと……、……な、無いです!!」

「あるんだな」


 たはは、と後頭部を掻く。
 それから夏侯淵に誘われて座椅子に腰掛けた真由香は、帰るどころか話す気配も見せない彼を訝った。


「夏侯淵さん?」

「……す、すまなかった」


 唐突に、謝罪。

 真由香は緩く瞬いて、納得したように頷いた。


「あ、昼のことですか? あれはいつものことですから大丈夫ですよ」

「そう、だな……いつも、いつもほったらかしだったな……」

「ですから、今度から私、一人で城下に行けるようにと頑張ろうと思うんです。夏侯淵さんに頼らなくても、自由に城下を歩けるように!」


 目標は村に戻るまで、です。
 関羽達に土産を買う為だと言えば、夏侯淵はまた沈黙する。何となく、雰囲気が落ち込んだような気がする。

 何か悪いことでも言っただろうかと夏侯淵を呼ぶと、不意に双肩を掴まれた。


「わっ」

「あ、明日! 明日こそ城下を案内してやるから!!」

「へ? あ、……へ? いやでも、あの、やっぱり邪魔になりますから――――」

「邪魔じゃない!! むしろ――――」


 間。


「夏侯淵さん?」

「……っ、と、とにかく、明日こそ、絶対に城下を案内してやるから、一人で行こうとするな。分かったな!?」

「はっ、はい! 肝に銘じておきます!!」


 早口に、まるで叱られているみたいに言い聞かせられて気圧された。
 こくこくと何度も頷けば、夏侯淵ははあぁと深く溜息をつくのだ。


「良かった……!」

「え、あの……何で、そんな必死なんですか?」


 怖々と問いかければ、彼はまた沈黙してしまう。

 何なのだろう、これは。
 双肩を掴まれたまま、真由香はたらりと冷や汗を流した。

 けれども。


「オ、オレは仕事があるから!」

「は? あ、ちょっと――――」


――――逃げられた。
 慌ただしく部屋を飛び出した夏侯淵に、真由香は一瞬だけそんな風に思った。

 何故逃げたまでは分からない。
 だが、真由香の問いには答えたくなかったようだ。
 もしかして同情で世話をしているから、言えないとか?
 だとすれば、彼はどれだけ優しいのだろう。


「迷惑になるんだったら、村に帰った方が良いのかなぁ」


 真由香は虚空を見つめながら、ぽつりと呟いた。



●○●

 梗弥様リクエストその2です。

 空蒼夢主を書いてると、基本的にギャグが入るような気がします。

 梗弥様リクエストはもう一つありますので、次はギャグが入らないように頑張ってみようと思います。
 甘さも忘れないように……したいな(・_・;)


 ちなみに女性達は夏侯淵が行ってしまわないよう、沢山の情報をどんなものでも集めて夏侯淵に寄ってきてます。
 なので邪険に出来ないのです。

 でも内容は大概似たり寄ったり。



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