夏侯惇




 いつからだろう。
 会うだけでは物足りなくなったのは。
 言葉を交わすのも駄目。
 触れるのも駄目。

 口付けだけでも身体を重ねても――――それだけでは足りないのだ。

 自分でも分かる。
 己の中で何かが……人として大切な何かが壊れていくのが。
 がらりがらりと音は微かで、しかし確実に彼の中から壊れ零れていく。

 それはもう拾われることも無い。
 彼自身も、拾うことをしない。
 拾えばこの自我は満足させられないから。物足りないまま毎日を過ごすことに、うんざりとしていたから。

 理性?
 常識?
――――良識?


『そんなもの、捨ててしまえば良いのだ』


 頭の片隅で、誰かが優しく囁いた。



‡‡‡




「……はい?」


 幽谷は怪訝に眉根を寄せた。

 寝台に倒れた彼女の上には夏侯惇がのし掛かっている。
 この状況は、別に構わない。今は夜だし、身体を重ねるような関係ではあるのだから、二人きりの部屋でこうなることは至極当然の流れとも言える。

 問題はつい先程彼の口から発せられた言葉だ。


『一緒に暮らさないか』


 彼は、そう言った。
 この城に住めと言うことだろうかとも考えて訊ねたところ、この部屋で、共に寝泊まりをしろ、と――――。

 ……。

 ……。


「気は確かですか」

「ああ」


 左の脇腹を服の上から撫でられ、びくりと震えた。

 欲情した彼の目は獣のように鋭く、幽谷を射抜く。
 けれども、今日に限ってその奥に僅かな黒いモノを感じる。
 どうしたことだろう。

 夏侯惇を黙して見上げると、彼は顔をぐっと近付けてくる。


「それで、良いのか、悪いのか」

「……そればかりは、関羽様にお伺いしないと、分からないわ」


 ぐぐっと眉間に皺が寄る。


「関羽、か……」

「……夏侯惇殿?」


 夏侯惇は、少々変だ。

 元々嫉妬の類はあった。
 だがそれも笑って済ませられる程度のことで、曹操に絶対な忠義を捧げる夏侯惇も関羽を主と仰ぐ幽谷に理解を示してくれていた。
 それが、どうして突然こんなことを言い出したのか……。


「どうかしたの? いきなり、一緒の部屋で暮らそうだなんて」

「……お前と、離れたくないのだ」

「ん……っ」


 脇腹の次は、太腿。服の下に入って付け根を撫でる。
 僅かに足が上がると両足の間に入り込んで深々と口付けてくる。舌が荒々しく口内を蹂躙する。長く、息苦しさを覚える程に長く。

 幽谷は夏侯惇の肩の服を握り、それに応える。
 しかし、離れると手に力を込めて押し退けた。
 互いに荒い息を繰り返しつつ見つめ合うけれど、幽谷がその先に進ませない。


「離れたくないって……いつもここに来ているじゃない」

「……足りん」

「は……?」


 足りない?
 何が?
 行為を強引に進めてこようとする夏侯惇を必死に押して留め、彼の真意を測ろうとする。


「足りないとは何が足りないの。あなたは、これ以上何を求めるのです?」


 行為に入る前にしっかりと訊いておきたい。いや、訊いておかないといけない気がする。
 夏侯惇の瞳に潜む、その黒いモノを知っておかなければ……。

 夏侯惇をじっと見据えて促せば、彼は緩く瞬きして幽谷の首元に顔を埋めた。


「俺は、お前の何もかもが欲しい。足りない……もう、現状では足りないんだ。会うだけでは足りない。話すだけでは足りない。こうしてお前を抱くだけでは足りない」


 だから、常に傍に在りたい、と。


「それに……俺の知らないところで関羽や他の男に会っているのも我慢ならない」


 幽谷は沈黙して夏侯惇を見下ろした。
 彼の本心の吐露に言葉も出ない。

 存外であった。
 まさか、彼がこうなるとは……彼がこんな風に歪むとは思わなかった。
 それも、幽谷を愛するが故のことであろうが、どうにも複雑だ。

 幽谷は夏侯惇の両の頬を手でそっと包み込んで上げさせた。目が合うと、ふっと表情を弛めた。


「大丈夫。そうしなくても、私の心はあなたの傍に在るから」


 真実、そう。
 関羽への忠義とは違う、女としての深い愛情を抱くのは夏侯惇のみだ。きっとこれからもそう。未来永劫変わらない。
 それでは駄目なのだろうか。

 そっと唇に己のそれを当て、首に腕を巻き付ける。

 すると背中にも彼の腕が回って、キツく、キツく抱き締められた。
 幽谷、と縋るように名前を繰り返し呼ばれる。

 どうして彼はこんなになってしまったのだろうか。主君の為、ひたに武の頂を目指していた夏侯惇が、こんな。
 自分に対する情が、彼の中でどのように作用してしまったのか。

――――このままにしておいて、良いのだろうか?
 そんな疑問が幽谷の中で取り巻いた。


「幽谷……」

「ぅぐっ」


 唐突に首筋に噛みつかれ、小さく呻く。
 かと思えばすぐに離れて歯形をなぞるように舌がゆっくりと這って、更に強く吸いついた。

 服を脱がされ始め、困惑する。

 夏侯惇を呼ぶが、彼は無言で行為を進めていく。
 真っ白な肌に舌を這わせ、赤く小さな花を幾つも咲かせた。


「あ……」

「このままで満足しろと? そんなの無理に決まっている」

「……っ」

「もう俺は、後戻りはしない。……いいや、出来ない」


 幽谷の肌から顔を上げた夏侯惇は、彼女の顎を掬い上げる。
 ひゅっと息を吸って固まった。


「な、ん……」


――――自分の言葉は逆効果だったのだろうか。



 夏侯惇の黒いモノは更に大きさを増して、何もをかもを凌駕してはっきりと瞳に映し出されていたのである。



○●○

 彼女の運命や如何に!

 さくら様リクエストで、はらからの夏侯惇狂愛です。

 夏侯惇の狂ったバージョンはどんな感じなのだろうかと考えながら、こんな風になりました。どうも、監禁とかに行くようなイメージが無いんだよなぁ……。何か、最終的に夢主に丸め込まれそうな気もします。



 さくら様、この度は温かい言葉と共に、リクエスト下さいまして本当にありがとうございます。
 気に入って下されば幸いです。

 本当にありがとうございました\(^o^)/



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