エリク
目が覚めたら腹の中に途方もない闇が広がっていそうな眉目秀麗な少年が間近に迫っていたらあなたはどうしますか。
心の中で、有間は誰にともなく問いかけた。勿論答えなんて期待していない。自分で知るかと切り捨てた。
「お早う、アリマ」
「……お早うさん、エリク」
「取り敢えず退け」と肩に手を当てて力を込めると、彼は至極残念そうに有間の額に口を付けながら立ち上がった。
もう額にキスくらいで慌てることは無い。《こちらの》エリクが挨拶でしてくるので、もう慣れきっていたのだ。それに、よしや恥ずかしくともそれを彼の前に出すのは癪に障る。
エリクは本性を有間に知られてから、平然と受け入れた所為か、こうしてままに表に出ては有間にちょっかいをかけてくる。迫ったり、過剰なスキンシップをはかってきたり……非常に面倒であった。
有間は後頭部を掻きながらリビングの中を見渡した。
誰もいない。
というか、まだ暗い。
……目覚めたのは気配がしたからか。
有間は欠伸を一つして再び丸まった。
「お休み」
「襲って良いなら」
「お早うござんす」
低い声に即座に身体を起こした。襲うって何だよ、襲うって何だよ。
はあと吐息を漏らしてくすくすと笑うエリクを軽く睨む。
「あのねぇ……仕事があるんだから休ませてよ」
「ごめんね。でも、どうしても君に見て欲しい物があったから。この時間でしか見られないんだ」
優雅な所作で有間の手を取った彼は、まるでエスコートをするみたいに彼女を外へ誘った。
アルフレート達にバレたら怒られるのではないかと言ったのだけれど、ちょっと特殊な睡眠薬を多めに盛ってあるから爆睡してるよ、なんて良い笑顔で言われて少し引いた。特殊な睡眠薬とか、腹違いだけど一応兄弟だろとか、いつからそっちに戻ってたんだとか……ツッコみたいことはあるが敢えて何も言わずにおいた。
純粋なエリクの方がまだ楽かも、と無人の街中を歩きながら心の中で呟いた。
エリクは、カトライアの街を出てキンバールトの森へと入った。街を出る前に、さすがにと有間が気を利かせて術で炎の蝶を生み出し辺りを照らしているので、道を間違えるということは無かった。
濃密な闇に覆われた森に、梟の鳴き声が不気味に響き渡っていた。と、遠くで狼が遠吠え。
一応念の為に馬上筒は懐にあるけれど、こんな危険な場所に一体何を見に来たというのか。狼の群れに教われでもしたら、非常に面倒臭い。
「入るの? 森」
「ううん、見せたいのはこっち」
手を引かれて欠伸を噛み殺しつつ歩く。
森には入らず、森の輪郭を辿るように歩を進める彼は、ふと森から流れ出した小川の手前で立ち止まった。
有間を手頃な岩に座らせて、一人小川に近付く。
そうして袖を捲り上げると躊躇いも無く水に手を入れて何かを引き抜いた。……僅かな光を放っているようにも見えるが、ここからは何なのか見えない。
しかし、光る藻の類の話は聞いたことが無いのだけれど……。
エリクの背中を見つめながら、有間は首を傾けた。
エリクは立ち上がると有間を肩越しに振り返って微笑んだ。
身体を反転させ、手に持った物を胸の辺りまで持ち上げて見せる。
それは、花だった。
薄桃色の光を放つ小柄な花が寄り集まったそれをエリクは大事そうに持って有間の前まで戻ってくる。
「綺麗な水の中に生えて、夜、一定の温度の空気に触れると発光する珍種なんだよ。少し前に蕾を付けていたのを見つけたんだ」
「へえ……」
差し出された花に、有間はつかの間見とれた。
そっと、精巧な飴細工にでも触るかのように慎重に受け取った彼女は、淡い光を放つ花を興味深そうに見下ろす。
「こんな花があったとは、知らなかったな……」
「その花は二十年に一度しか花が咲かないんだ。そして、種を作るとすぐに枯れてしまう」
二十年……と言うことはカトライアの悲劇も、この花は体験していたのかもしれない。
手折って良かったのだろうかと思ったその直後である。
「あっ」
花の光が急激に弱くなってしまったのだ。
慌ててエリクを見上げると、彼はそっと人差し指を当てて目を細めた。
ややあって、甘い香りと共に小さな音が花から発せられたのだ。
まるで、ヒノモトの三線(さんしん)の音色だ。
「これ、ファザーンじゃ天女草とも言われてるんだよ。ちゃんとした名前もあるけど、天女草っていうのが有名かな」
天女草。
ヒノモトの花かと思ったが、有間には全く聞き覚えが無い。
問うような視線を向ければ、彼は花持つ有間の手を両手で優しく包み込んだ。
「ヒノモトに、愛した人間の男への弔いに三線を弾いた天女の昔話があったよね。その三線の音色に似た音甘い香りと一緒に出すから、この花はうファザーンで死者への弔いに用いられるんだ。だから天女草。珍しいから、滅多に手に入らないんだけどね」
「へぇ……ヒノモトの昔話が元なのか」
「ヒノモトって、悲恋で綺麗な話が多いよね。ハッピーエンドでも良いと思うのに」
「そう言えば……そうだね。うちが知ってるのもほとんど悲恋物ばっかりだ。――――で、君はいつまでうちの手を握ってるのさ」
無事な方の手でべりっとエリクの手を剥がすと、彼は肩をすくめた。
「残念。もっと触っていたかったのに」
「現在進行形で頬を撫でてる奴が何を言うんですか」
手が駄目なら頬だってか。
呆れつつ、その手すらも剥がす。
それからくるりと身を翻した。
「もう帰るんだ?」
「うん。仕事があるし」
歩き出した彼女は、肩越しにエリクを振り返ってふっと微笑む。ティアナに見せるような、柔らかな微笑みであった。
「貴重な経験をさせてもらえて嬉しかったよ。天女草、おおきに。押し花にして栞にさせてもらうよ」
光を失い音も香りも消えながらも、尚も愛らしい花を口許に寄せ、彼女は目を細める。
中性的なかんばせの彼女も、この時は愛くるしい少女に見えた。
エリクはそんな彼女に目を奪われた。
‡‡‡
……分かってはいるのだ。
彼女は自分に振り向きはしない。
彼女のベクトルはある方角に向きかけている。その先にいるのは自分ではない。
けれども、エリクは彼女に惹かれていく。
――――胸を熱くさせる程の存在になったのはいつ頃だったのか。
自覚したのはごく最近のことだった。
勝ち目が無いと分かっているのに。
彼女を見ると胸は高鳴り、ただ彼女の視界に入るだけでは飽き足らなくなった。
この想いを受け止めて欲しい。
そして自分を――――。
そんな、叶わぬ願いに胸は容赦無く締め付けられる。
嗚呼、なんて自分は不運なのだろう。
《あいつ》よりも先に出会っていたら、変わっていたかも知れないのに。
過去を呪ったとて、詮無いことである。
●○●
ちぃ様リクエスト、平和一番番外編黒エリクでした。
黒エリクって初めて書きました……キャラが合ってるか分かりません。
夢主、分かりづらいかもしれませんが結構喜んでます。ほら、笑ってましたし。……あ、普段でも笑ってるか。いやでもここでのあれはレアな笑顔です――――と言い張ってみる。
ちぃ様、この度は企画に参加して下さり、本当にありがとうございます!
毎日来て下さっているとは、光栄です。
正直言いますと、平和一番のリクエストが来るとは思ってなくて、ちぃ様からメールをいただいた時、本当に驚いて、そしてとっても嬉しかったです(^-^)
張り切って書かせていただきましたが、どうでしょうか。お気に召していただければ幸いです。
今回、平和一番の番外編を書かせていただいて、本当にありがとうございました!
.
[ 4/21 ]*|#