夏侯惇




 幽谷――――否、犀華を気味悪がる兵士も女官もいる。
 彼らは関羽の前であろうとなかろうと、そこに夏侯惇がいようとも平然とその陰口を叩いた。

 気持ちが悪い。
 化け物はやはり化け物。
 赤子の時に死んでしまえば良かったのだ。

 昔の自分ならばきっとそれに心から同意しただろう。
 しかし、今の自分にはその憎悪の詛(のろ)い言こそ胃の腑を掻き乱す。

 そんな風に変えたのは砂嵐という娘であろう。彼女以外に心当たりは無い。

 夏侯淵に彼女が四凶であったのだと教えられた時、さして嫌悪は抱かなかった。ああそうか、と自分でも不思議に思う程極普通に受け入れた。

 夏侯惇の記憶に残る砂嵐は、人間の娘と全く変わらない。
 彼女が以前――――あの《砂嵐》になる前に泉沈に連れられていたのも、四凶であったからなのだろう。別れた理由までは分からないが、泉沈が幽谷に非常に懐いていたからやもしれぬ。泉沈は何を考えているのか全く分からない為、そんな単純な理由である可能性も高い。

 砂嵐の器に幽谷の魂も一時的に使用されていたことから、ままに幽谷の所作に砂嵐の面影がよぎることがある。
 彼女への嫌悪感が失せてしまっているのも、きっとそれの影響だ。

 幽谷という四霊の長所も認められるようになった。
 彼女の関羽への忠誠心は、自分にも通じるものがある。
 そして、ままに女性らしい仕種も見受けられるし、人間臭い。
 彼女もまた、砂嵐と同様仕種も感情も、現れの鈍さを覗けば人間と何ら変わりは無かった。

 昔の己とはまるで思考が違う。
 よもや、自分が幽谷を化け物と見ない日が来ようとは思いも寄らなかった。
 いや、それ以前に砂嵐という『四凶』に心が惹かれてしまうこと自体有り得なかった。

 けれども――――それは決して不快ではないのだった。


「……その頬は何だ」


 とある日。
 夜中庭に向かえば左の頬を赤くした幽谷が立っていた。

 夏侯惇が指摘すれば、「ああ。これですか」と淡泊な反応を返した。


「やられました。昼頃女官の方に、出会い頭汚らわしいと」


 避けなかったのかと問おうとし、止めた。
 犀華であったのならば避けられなかったのも頷ける。犀煉の妹だそうだが、周囲への怯え方からとても暗殺をしてきたとは思えなかった。


「冷やさなかったのか」

「犀華殿の時には恒浪牙に冷やしていただきましたが、朝起きれば消えるでしょうし」

「……」


 いや、やはりこういうところは人間らしくないかもしれない。
 夏侯惇は溜息を漏らして幽谷をじとりと見やった。

 幽谷は不思議そうに首を傾けた。
 されど夏侯惇が言葉を発するよりも早く彼女はその手に握られている物に気が付いた。


「……それは?」

「? ああ、これか」


 夏侯惇が手にしていたのは可憐な花だ。
 これは彼が野外での訓練から帰る際城下で幼女に貰ったのだ。彼女なりに自分達へ感謝の労いをかけたかったのだろうが、正直扱いに困っていた。だが、幼い民の厚意を無碍にも出来ず。
 部屋に飾ろうとも考えたが、どうも、自分の柄ではない。

 なので、と。
 仮にも女性でもある幽谷に渡そうと思ったのだった。


「貴様にやる」

「私に、ですか?」


 差し出しながらけんもほろろに言えば、青と赤の双眸が丸く見開かれる。
 逡巡した後にそっと割れ物に触るかのように慎重にその一輪を手に取った。

 その花を見つめて、懐かしそうに微笑む。


「……劉備様がよく、私めに贈って下さった花に少し似ていますね」


 その呟くは本当に嬉しげで。一瞬だけ砂嵐がちらついた。

 ざわり、と胸がざわめいた。
 彼女は砂嵐ではないのにまるで砂嵐が劉備に想いを馳せているかのような錯覚に襲われてしまう。必死でそれを振り払いつつ、幽谷の様子を眺める。

 幽谷は関羽や猫族以外の前ではほとんど笑わない。
 劉備との記憶ではなく、自分の与えた花が彼女を笑わせたのであれば――――。


「夏侯惇殿」

「! な、何だ」


 唐突に呼ばれて声が上擦ってしまった。

 幽谷はそこで頭を下げて、謝辞を口にした。


「ありがとうございます」

「……別に、」


 未だ微笑んだままの幽谷が顔を上げた途端に顔を背ける。何故か、直視出来ない。さっきは見れていたではないか。


「どうかなされましたか」

「何でもない! 俺は戻る」

「左様でございますか。では」


 再びこうべを垂れた幽谷に、彼女が顔を上げる前に立ち去らねばなるまいと妙な脅迫観念に駆られて足早にその場を離れた。

 何故そんな脅迫観念が生まれたのか、本人ですら皆目見当も付かなかった。



‡‡‡




「――――で、結局あたしが世話することになるんじゃない」


 辟易したように犀華は不平を漏らした。
 犀華の私室に、彼女以外の人影は無い。けれども犀華は誰かに話しかけるように言葉を続けた。


「大体、花瓶に挿した時点で凄く弱っていたじゃないの、この花。あたしがさっき蘇生させたから良かったものの、あのままじゃ明後日くらいには枯れ始めてたんじゃないの? まったく……あんたら二人、花の身にもなりなさいよね」


 ぶつぶつと漏らしつつ、ざわりと騒いだ胸に舌打ちする。


「あ、の、ねぇ……! だからさっき蘇生させたって言ったでしょう! この子はもう大丈夫だからそんな不安がらないでよ、鬱陶しい!」


 ばしんと己の胸を叩いて、寝台に腰掛ける。花瓶に挿された花を見つめすっと目を細めた。


「……ところで、あれ菊の花なんだけれど、普通は友人に贈る花なのよ」


 まあ、あの人がそれ分かってるのかは知らないけれど。
 ぼやいて――――ふっとにやりと笑う。揶揄するように幽谷を呼んだ。


「これが長春花だったら良かったのにー」


 直後、胸がひりつくのに笑声を立てた。
 そっちは、知っていたのか。



●○●

 葉月様リクエスト、はらからで夏侯惇ほのぼのです。


 この話は、夢主がつかの間の安らぎを得られたらなーと思いつつ書いています。リクエスト内容にも、夢主から肩の力が抜けるようなとありましたので。
 時期的にも肩の力を抜くならということで、犀華と意思疏通が図れ出した頃にしています。

 ただほのぼのと言うよりは夏侯惇のどぎまぎ話になっているような気がします。

 ちなみに長春花(コウシンバラ)は、永遠の熱い愛情を祈るという意味だそうです。

 そして犀華がやたら面倒見が良い……下手したらオカンになりそうな気がします。



 葉月様、初めまして\(^o^)/
 リクエスト本当にありがとうございました!

 本編がシリアスばかりで、私としましても一度立ち止まって休憩するという感覚で書かせていただきました。
 葉月様には感謝です(>_<)

 温かなお言葉、恐縮です。
 葉月様のご期待に添えた作品であればとても嬉しく思います。

 これからも頑張って参りますので、どうかよろしくお付き合い下さいませ。

 この度は企画に参加していただきまして、まことにありがとうございました!!



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