張蘇双
妊娠が発覚して、周囲は一様に動くな食べろと言い出した。
本当は逆なのだが、どうもこの時代では『妊婦は良く食べ運動は控える』と言うのが当然らしい。
そうなると筋力は衰えて胎児は太り、出産が難しくなるのではないだろうか。真由香は初めての出産となるので本当にそうなのかは、はっきりと確かめてはいないのだけれども
一応、こちらでは医学的にも動いて適度な食事を取るのが良いと諭して、一日中座ったままだという状態は回避していたが、どうにも周囲はそれ以外にも真由香が転ぶということも案じているらしい。
臨月まで監視されるかのような心地であった。
……まあ、ちゃんと様子を見てくれていたからこそ、陣痛で倒れた時すぐに気が付いてくれたのだけれど。それはとてもありがたいのだけれど。
「うぅぅ……っ」
「真由香、しっかり!」
「ス、スイカが、スイカが鼻の穴から出てくる……!」
「何言ってるの!?」
関羽に付き添ってもらいながら、その時を待つ。
猫族と人間の間に出来た子供――――それはほぼ有り得ないことだった。
関羽も混血だという話だが、やはり彼女以外に混血を見たことは無いとのこと。
それが、今真由香の胎(はら)の中に在る。
混血だと忌まれることも無く、皆に祝辞を沢山貰った。それに、出産の心得なども教えてもらった。
如何せん初めての出産であるから、真由香も少々気が塞ぐことがあったが、それも蘇双が真由香以上に楽しみにしているから《少々》で済んだのだ。
周期的に起こる激痛に耐えつつ、真由香はそっと膨れ上がった腹を撫でた。
まだ見ぬ子に、語りかけるように――――。
‡‡‡
破水し、産気づいた真由香が家の奥に連れ込まれて、一刻は過ぎたと思う。
唸り声のような真由香の悲鳴が絶え間無く聞こえ、蘇双と真由香を案じて家に集まった張飛や世平達もそわそわと落ち着かない。
蘇双と趙雲だけは、どっしりと端座して沈黙し続けている。
「蘇双、お前心配じゃねぇの? 真由香が子供産むんだぜ?」
「絶対に産むからって約束したし。それに……張飛達が五月蠅すぎて逆に頭が冷めた」
「おま……っ」
自分の妻でもないのに、過剰に心配をする張飛達。
ありがたくない訳では決してないが、「あー」とか「うおっ」とか、「まだかーっ」とか……目の前で騒がれて苛立たない筈もない。
まあ、彼らがこんな様だから己もまだ平静でいられるのだと考えれば、これもこれで良かったのかもしれないけれども。
「取り敢えず、落ち着きなよ。ボクらがどうこうしたからと言って真由香が楽になる訳でもない。早く産まれる訳でもない。こういうのは完全に女性の領域なんだ。ただ無事に産まれることを祈るくらいしか出来ないだろ」
淡々とした声に、趙雲が微笑して同意した。
「ああ。そもそも、その為に俺達は来たんじゃなかったか?」
「まあな。……けど、真由香だから色々不安がなぁ……」
関定の言うこともあながち分からないことも無い。
真由香は初産(ういざん)だ。しかも一度村に入り込んできた狼に襲われて流産しかけたことがある。あれは運が良かっただけで、子供が流れてもおかしくはなかったと言う。
不安があるのも、無理はない。
しかし真由香ははっきりと言ったのだ。
必ず、元気な子供を産むのだと。
不安よりも何よりもまず、蘇双はその言葉を信じることにした。今の自分にはそうすることしか出来ないから。
男は女を守る。
けれども、女が命を懸けて子を産む時、何も出来ない。
苦痛を取り除くことも、お産を早めることも。
この場では男は完全に無力なのだった。
ただただ信じて、信じて――――待ち続ける。
「――――ぁ」
それは誰の声だったか。
自分の声だったかもしれないし、別の誰かのものだったかもしれない。
唐突に唸りが止み、聞こえてきた《幼い》泣き声に、全身から力が抜けた。
長々と吐息を漏らし、ふらりと立ち上がる。よろめいたのを趙雲に支えられた。己が思っていたよりも、力が入っていなかったらしい。
趙雲に礼を言って体勢を整えると、真っ白な布の包みを大事そうに抱えた関羽が部屋に現れ蘇双を呼んだ。
張飛達も寄ろうとするのを世平が止める。
「……真由香は?」
「初産で気が張っていたのでしょうね。産んで赤子の顔を見た途端気を失ってしまったわ。でも、母子共に健康だって」
関羽の言葉に心から安堵する。
彼女にも謝辞を述べると、「ちゃんと真由香にもそれを言ってあげてね」と首を傾けた。
曰く、呻く中で繰り返し蘇双の名前を呟いていたそうだ。
少しでも祈りが届いていたのだろうか?
少しでも、彼女の助けとなっていただろうか。
ぶわりと噴き出した不安はしかし、次の瞬間には綺麗に拭い去られた。
「おめでとう、男の子よ。まだ抱かせてはあげられないけれど。あなただけに、顔だけでもって、気絶する前に真由香が言っていたから」
布をめくって良く見えるようにし、関羽は微笑む。
その弱々しくもしっかりとした命を見た瞬間、無性に泣きたくなった。
後ろで、誰かが「おめでとう」と言ったような気がするが、よく分からない。
‡‡‡
一定リズムの電子音。
それ以外に音などありはしない。
彼は一人、薬品の臭いに満ちたその部屋で、ベッドに横たわる老齢の女性を見下ろしていた。
酸素マスクが呼吸に合わせて曇る。それは未だ、彼女に命がある証拠である。
だがそれも、いつまで保つのだろう。
彼はスツールを引いて腰掛け、そっと語りかけた。
「院長、まだあいつが見つかってねーよ。まだ、早すぎるって」
わざとらしい明るい声に、締め切られたカーテンの向こうから鼻をすするような音がした。彼の嫁だ。まだ帰っていなかったのだ。あれ程、自分の我が儘に付き合わなくても良いと言っていたのに。
苦笑し、彼は女性の手を握った。……氷のように冷たい痩せ細った手が動くことは無い。
「本当、あいつ何処に行ったんだか……。院長にも俺達にも、両親にも心配をかけてさ」
けど、あいつは運が良いから、存外どっかで上手くやれてるのかもな。
あくまで明るさを保ち、眠り込む女性に話しかける。その目は、僅かに潤んでいる。
と――――不意に女性の手が動いた。
それだけではない。
女性の目が薄く開いたのではないか!
馬鹿な、もう意識が回復する見込みは無いと医者が言っていたというのに!
彼は身を乗り出して顔を近付けた。
「院長? 院長! 俺です、分かりますか?」
「……ぁ、ら」
女性の焦点が定まる。
すると、ゆっくりと目が見開かれ、目元が和む。
「あ、ら、あら。和真じゃない……今ね、真由香に会ってきたのよ」
彼は目を剥いた。
聞き間違いかと、一言断って酸素マスクを外す。紫色の唇が微かに笑んでいた。
「院長? それってどういう……」
「あの子ねぇ……元気な赤ちゃんを産んでいたの。とっても可愛かったのよ。真由香にとても良く似ていたわぁ」
「は? え? ちょ、話が分からないんだけど、あいつが何処で子供を産んだって?」
「さあ、何処なのかしら。……ああ、でもね。とっても可愛いのよ。皆、猫さんの耳を付けていてねぇ。風習なのかしらねぇ」
――――夢の話か。
彼は吐息を漏らして笑みを浮かべた。
「そっか。そりゃ良かった」
「そうそう、旦那さんが、私の夫そっくりだったの。だからきっと、とても優しい人だわ。あの人なら、真由香を幸せにしてくれるわね。ええ、絶対に。真由香は大丈夫ですって、田原さん達に伝えてもらえないかしら」
「院長……分かったよ。仕事の合間に会ってみる。お互い世界中回ってるからいつになるか分かんねーけど」
「ああ、ありがとう。真由香のことは皆心配していたものね。これで、安心するわ……」
目覚めたばかりの女性はいやに饒舌(じょうぜつ)だ。
それに嫌なモノを感じつつ、彼は気付かぬフリをして女性に同意した。
しかし――――。
「……ごめんなさい。少しだけ、眠たくなってきたわ。話したいことは沢山あるけれど、また起きてから、ね」
「え、院長……?」
目が、閉じていく。
待てよ、と声の無い言葉を漏らした直後。
冷酷な機械音が命の消失を告げた。
女性は安堵したような、穏やかな笑みを浮かべていた。
○●○
蒼依様リクエストラストは空蒼で蘇双の出産でした。
完全なハッピーエンドでないのは、夢主が向こうでも周囲から愛された子であるが故のことです。
トリップして元いた世界を取らずに残るということは、やはり完全なハッピーエンドにはなり得ないかなと。愛されて育ったとするなら、尚更です。
ハッピーエンドを期待された方々には大変申し訳ないですが、番外編で、もしもの話であっても、その辺りは無視したくありませんでした。
ちなみに二人の間に子が出来たのは結婚してから数年後です。生まれることが無いと言われているようなので、やはり時間がかかってしまうのではないかと。
元いた世界でも、同じ程の時間が経過しているとお考え下さいませ。
さて……子供はどちらに似て育つんでしょうね。しっかりか、うっかりか(^_^)
こんばんは、蒼依様。
この度は、お祝い並びに三連作リクエストで企画に参加していただきまして本当にありがとうございました(´∀`)
気に入ってくだされば幸いです。
サイトを始めた頃からお付き合いいただいていたとは……むしろ私の方が感謝してもしきれません。蒼依様のような優しい方々のお陰で、もっともっと頑張れそうです\(^o^)/
感謝の気持ちが、作品を通して少しでも蒼依様に伝わればと思います。
本当に、本当にありがとうごさいました!
これからもよろしくお付き合い願えればと思います。
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