関羽
「――――幽谷!!」
耐えかねたように関羽が裏返った声で呼んだ。
夏侯惇や武官達と兵站(へいたん)について話していただけに過ぎない幽谷は、それに酷く驚いて身体を跳ねさせた。反射的に身体ごとその方向を向いた直後に突進するように関羽が抱きついてくる。
「か、関羽様……?」
「……っ」
堅く口を引き結んで幽谷を睨め上げた彼女は腰に巻き付けた腕にぐっと力を込めてくる。みしっと腰骨が軋んだような音が微かに聞こえた。
夏侯惇が困惑した風情で幽谷を呼ぼうとしたのを即座に手で制し、関羽の背中を撫でる。
「……申し訳ありません、失礼致します」
関羽の耳元で彼女を呼び、優しく身体から引き離した後に肩を抱くようにして私室へと歩く。
――――関羽が、近頃頓(とみ)に情緒不安定になっている。
幽谷が性別問わず誰かと話しているだけでこうして発狂寸前にまでなる上、関羽が一緒に寝なければ夜もまともに眠ることが出来ない。
幽谷が四霊として曹操軍に受け入れられ、その能力を周囲から必要とされ始めたことが原因だろうとは関羽の様子を観察していた軍医の言だけれど、関羽は当初それを喜んでくれていた筈だ。何がきっかけだったのか未だ不明であった。
私室に入れば関羽はまた幽谷に抱きついてきた。
しかし、その時の衝撃には鋭利な痛みも伴っていて。
ゆっくり離れた関羽の手には――――いつの間に奪ったのだろう、幽谷の匕首が握られていた。真っ赤な血を垂らして、窓から入る光を僅かに反射する。
幽谷は片目を眇めて刺された脇腹を押さえながら寝台に座った。
関羽に斬りつけられることは、過去に何度かあった。
それ故に怪我を優先してはならないと彼女は分かっている。
深いが……彼女を落ち着かせるまでに手遅れになることは無い。
じりじりと後退して匕首を床に落とす関羽は大粒の涙を流していた。これも、毎回だ。
不安定すぎる彼女に笑いかけ、幽谷は両手を広げた。
すると、関羽は端が裂けんばかりに両目を見開き、顔を歪めてしまう。
床を蹴って飛び込むように幽谷に抱きついた。
傷に負担がかかり一瞬呻いた。が、幸い関羽には聞こえなかったようだ。
己が刺したにも関わらず脇腹をぎゅうっと締め付ける関羽の腕。
きっともう彼女の頭には自分が幽谷の腹を刺したという事実は失せてしまっているだろう。それだけ、彼女の思考もあやふやなのだった。
それもまた、関羽に生じた歪みの所為なのだろう。
痛みを表に出さず、幽谷は穏やかな笑顔を維持したまま関羽の頭を優しく撫でた。
「関羽、私はちゃんとあなたの傍にいるから。あなたから離れていくことは無いわ」
うん、うん、と何度も何度も頷く関羽は、啜り泣きながら徐々に徐々に身体から力が抜けていく。
暫くその状態のままでいると、腕もだらりと下に落ちた。
彼女が身動がなくなったのを見計らい、寝台に寝かせた。目尻に残る涙を指でそっと拭う。
暫く関羽の気を失ったような寝顔を眺め、幽谷は物音立てずに部屋を出た。
中庭の池に向かい、水をかけて傷を癒す。
すると、
「また斬られたのか」
「……夏侯惇殿」
彼がここに来ることに何ら不思議は無い。
夏侯惇は関羽が不安定故に幽谷を傷つけていることを知っている。こうして池の水で傷を癒すことも知っている。
彼は書簡を差し出し、血が広範囲に広がった傷を見下ろした。
「……今回は、一際深かったらしいな」
「ええ。匕首で深く刺されましたので。ですが、もう治りました」
書簡を受け取り拱手して脇を通り過ぎる幽谷に、夏侯惇は眉間に皺を寄せて口を開く。
「いつまで続けるつもりだ。このままでは取り返しの付かぬことになりかねんぞ」
幽谷は足を止めて暫し沈黙する。
「……気が済むまで、でしょうか」
関羽様は、私の主ですから。
単調な声を残し、彼女は早足に中庭を離れた。
背に、痛い程の夏侯惇の視線を感じながら――――。
‡‡‡
部屋に戻ると、関羽はまだ眠っていた。
そのことに安堵しつつ幽谷は静かに寝台に腰掛けた。
無防備な寝顔は昔と何ら変わらない。彼女はやはり関羽なのだ。
幽谷が忠誠を誓う主人。
だから、これで良いのだ。
頬を撫でると、瞼が震えて押し上げられた。
虚ろな黒曜が宙をさまよい幽谷を捉えた。
「……あら、幽谷?」
きょとんと愛らしく首を傾ける関羽に、幽谷は薄く笑った。
「お早う、関羽。……と言っても、もうすぐ日も傾くだろうけれど」
「え……もうそんな時間? いけない、鍛錬をしなければならなかったのに――――あら?」
わたし、朝はちゃんと起きていた筈だわ。
疑問を抱く関羽に、幽谷は穏やかに言い聞かせた。
「きっと、気付かぬうちに疲れが溜まっていたのだと思うわ。寝方が悪くて思うように疲労が取れなかったのかも。鍛錬はまた明日に回して」
「疲れ……わたし、疲れるようなことしていたかしら」
「無理に思い出さないで良いわ。それよりも、今は身体を休めなければ。近頃戦の気運が高まっているのだし、いつでも万全にしておくことも、武将に大切なことよ」
上体を起こそうとする関羽の肩を押して、幽谷は片手で目を覆ってやる。
すると、関羽は神妙に従い再び身体から力を抜くのだ。
健やかな寝息が聞こえるまで、さほど時間はかからなかった。
手を離した幽谷はそれを側頭部に移動させ――――微笑する。
「さあ……また《術をかけ直し》ましょうね、関羽様――――」
私から、離れてしまわないように。
○●○
桔梗様最後のリクエスト、関羽で相互依存の話です。
大本を言えば関羽が依存するように夢主が術を掛けました。狂うのは夢主の方が先です。
夏侯惇は漠然と気付いています。ただ確証が無い上、夢主達の雰囲気が少々おかしいことも当然分かっていますので、なかなか強く言えないでいます。若干夢主←夏侯惇という要素があるかも……。
初めまして、桔梗様!
この度は三つもリクエストしていただいてありがとうございました(^_^)
いつもいらして下さっている上に夢主も気に入っていただけているなんて恐縮です。
どれも狂愛ということで、それぞれどんな風に狂わせるか色々と考えたのですが、お気に召すものであれば幸いです。
今回企画に参加していただきまして、まことにありがとうございました。
これからも何卒、よろしくお願い致します\(^o^)/
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