趙雲
花があったとて真由香には見ることが叶わない。
ここにもし《画家さん》がいたとすれば、きっと彼女に分かりやすく教えてくれただろう。
彼がいたら、と甘い香りに包まれながら思った。
真由香が花から得られる物は柔らかな花弁の感触とこの甘い香りだけだ。
自己を主張する為に備わった鮮やかな色は彼女の目には未来永劫映らない。
それを悲観するつもりは彼女には無かった。
全盲であることはただの特徴に過ぎぬ。ただ他者にある物が無いだけのこと。劣等感を抱く必要も感じない。
それでも、色が分からぬことはどうしようも無く口惜しいものであった。
両手を広げて肺一杯に空気を吸い込み、真由香は目を開く。
映るのは黒。闇ばかり。
光を得られぬこの瞳は黒しか知らぬ。
正面に何があるのかと右手を差し出せば、その手を誰かに握られた。
「どうした、真由香」
優しく問いかける低い声は趙雲のものだ。
口角を弛めた真由香はその手を握った。
「いえ、何となく何か無いかなと思って。そしたら趙雲さんが手を握ってくれました」
へへ、と笑うと頭を撫でられる。
目を伏せて心地良い感覚に身を委ねると、不意に強く風が吹き荒んだ。結ばずに流したままの髪が顔を容赦なく打ち付けた。
「いてて」と慌てて髪を押さえた。
「今日は風が強いな。花弁や草が良く舞っている」
「髪の毛がびしびし当たってきます。たまに目に入りそうです……」
せめてヘアピンがあれば留められるのに……。
生憎と自宅の鞄の中だ。
溜息をついて髪を耳にかける。が、やはり風で戻って頬を打つ。
「結んでくれば良かった……」
「そうだな。その調子では目に入ってしまうかもしれん」
「ですよね……ヘアゴム持ってくるんだった……」
後頭部に手で髪を束ねる。だがすぐに放した。ばさばさ髪の暴れる音がした。
我慢するしか無いか――――そう思って歩き出そうとした真由香は、しかし趙雲に呼び止められた。
一言謝罪して背後に立った彼は真由香の髪を後ろで束ねる。頬を強かに打つ横髪も一緒に。
それから何かでキツく結ばれた。ヘアゴムは無いのに……あっ。
「もしかして趙雲さんの?」
「ああ。随分前に手に入れた紐だが、意外に丈夫でな。念の為にと持っていたから、これで我慢してくれ」
「でも良いんですか? 借りちゃって」
「ああ。髪が頬に当たって痛そうだしな」
これは助かる。
真由香は遠慮をせず、素直に謝辞を口にし厚意に甘んじた。これで髪に反乱されることも無い。
綺麗に結ばれた髪を触っておお……と感嘆の声を漏らしていると、趙雲が不意に呟いた。
「……真由香は、耳の後ろに黒子(ほくろ)があるんだな」
「え、そうなんですか? え、え、何処ですか?」
「ここだ」
つ、と触れた瞬間ぞわりと鳥肌が立つ。
意図せずにひきつった高い声を漏らしてしまった。
すると趙雲もえっとなって耳殻の後ろから慌てて指を離した。
「どうしたんだ? 真由香」
「いえ……良く分かんないんですけど何か今、ぞわっと来て……」
「耳の後ろが敏感なのか?」
「さあ……。でも自分で触っても何ともないです」
そっと触ってみてもあの感覚は来ない。
何だったんだろうか、今の。
こてんと首を傾げると、趙雲は暫し思案し、謝罪した。
「いきなり触ったのが悪かったのかもしれないな」
「ああ、なるほど。納得です」
自分は目が見えない。
それで良く触るでもない耳の後ろを突然触られれば驚いてしまったのだろう。
得心がいってうんうん頷く真由香に、何故か趙雲が吐息を漏らしたような気がした。風の唸るような音に混じっていた為に確証は無いけれど。
気の所為かもしれないので問わずにおくと、肩を叩かれた。
「真由香。少し歩くか?」
「あ、はい」
そっと手を握られ、握り返す。
引かれて足を踏み出せば、何処かで聞いたことも無い鳥の鳴き声がした。
「初めて聞く鳴き声ですけど、何の鳥でしょう」
「……何の鳥だろうな。今の鳴き声は、俺も聞いたことが無い」
この世界は自然は間近だ。
劉備がままに無邪気な時に虎に懐かれて一緒に戻ってきたことがあった。張飛が襲われていたっけ。関羽の言うことには以前にも村を離れて虎と戯れていたことがあるのだそうだ。猫だから、同じ猫科に懐かれたのかもしれない。
ちなみに、この時真由香も虎にじゃれつかれて――――と本人は疑わない――――衣服を食われた。
……話が逸れてしまったが、とにかく真由香はこの世界に来て自然と密に触れ合うようになった。雀の声とも、烏の声とも違う――――それこそテレビでしか聞けないような野生の鳥だけでなく、動物園でしか出会えないような動物達もこの世界にはいるのだ。
声から姿を想像して一人楽しむのも最近の趣味になっている。
「季節も変わりつつある。遠くの鳥がこちらに移動してきたのかもしれないな」
「おお、旅ですね。盗んだバイクで走り出す、みたいな」
「ばいく……? 盗んだとは、それは悪いことではないのか?」
「はい。捕まります。でも気にしなくて良いですよ。歌ですから」
「……そうか。真由香の世界は不思議なんだな」
ぽふ、と頭を撫でられた。
そのまま叩くように撫でられていると、
「おーい!」
遠くから張飛の声が聞こえた。
村にいた筈なのだが、何かあったのだろうか。
趙雲と一緒に耳を澄ませるとこの強風の中でも彼の大きな濁声はしっかり届いた。
「姉貴がお菓子作って来たってー! 一緒に食おうぜー!!」
「おー、お菓子……!」
「行くか?」
「行きましょう」
こちらの世界のお菓子にも興味を持つようになった真由香は途端に目を輝かせる。
趙雲に手を握られて歩き出すも、堪えきれなくなってついには走り出してしまった。趙雲が危ないからと止めても彼女は「大丈夫です!」と言って聞かない。それだけ関羽の菓子が――――いや、この世界の物が好きなのだった。
趙雲が微笑ましそうに自分を見ていることにも気付かずに、真由香は張飛に向かって走った。
彼の手を、しっかりと握って放さぬままに――――。
「――――って、そっちオレいねぇし!!」
「あれっ!?」
「やはりこうなったな」
「ちょ、笑わないで下さいよ趙雲さんっ! ……のわぁ!?」
「真由香ー!!」
「これもやはりか……」
○●○
紫葵様リクエスト、空蒼趙雲でした。
甘く、ちょっとズレた感じののほほん、な風になってれば嬉しいです。
夢主の頭を撫でる回数が一番多いのは趙雲だと思います。次が世平、かな……。
『盗んだ〜』の下りは、たまたま書いた時の私の頭の中でそのフレーズだけがずっと流れてたのが影響してます。聞いた訳でもなく、何故かずっと流れてたんです。そこだけ。
……いや、それ以前にこの歌詞をご存じの方はいらっしゃるんでしょうか。
紫葵様、二度もリクエストを下さって本当にありがとうございました!
はらから、空蒼と趙雲で書かせていただきましたが、如何だったでしょうか。
空蒼の夢主はあんな性格なので、趙雲だと本当にのんびりと言うか、一際平和な雰囲気ですね。時の流れも幾分ゆっくりなんだろうなと、書きながら思っていました。
加えて、夢主の前では、武将としての趙雲はあんまり出ないんじゃないかと。
夢主は非常に危なっかしいので常に皆に見守ってもらっている幸福者です。それに、はらから夢主同様紫葵様や色んな方々にも好かれているようですし。私としましても、とても嬉しいです。
兄弟の域を出ないうちの二人を書かせていただきましたが、お気に召していただければ幸いです。
紫葵様のお言葉、本当に励みになります。
感謝の気持ちが、少しでも紫葵様に伝わればと願うばかりです。
この度は企画に参加していただきまして、本当にありがとうございました。
これからもお付き合い願えればと思います。
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