曹操軍




「曹操さん、ここのお料理は辛いと思うんですが」


 肩透かしを食らったような心地だった。
 曹操は無言で書簡を手に取り、視線を落とす。

 すると、反応が無いことに正面の少女は首を傾けた。
 この田原真由香という少女は全盲である。その為、曹操が仕事に戻ったことが分からない。
 しかし、分からない為にしつこく呼んで、果ては焦ったように立ち上がって扉に走っていこうとする。


「ここにいる」

「え、あれっ!? 神隠しは!」

「……お前の思考が解せぬ」


 曹操は暗鬱と嘆息し、書簡から視線を上げた。

 この少女は、つい最近猫族の村に唐突に現れたという。猫族のもとで暮らしていたところを、曹操がこの城に連れて帰ったのだ。彼女が危うい人物だとは思えないが――――むしろ無力で奇妙な言動の目立つ変な感覚の彼女が、よく今まで生きていられたとは思った。

 曹操は異様に安堵する彼女を見、片目を眇めた。

 そも、何故曹操の部屋に真由香がいるのか。忙しい今、人が来ても部屋に入れることは無い。
 しかし彼女がいつに無く思い詰めた表情をしていたので、何事かと招き入れたのだ。
 それが――――ただ単純に料理への苦情などと誰が予想し得ただろうか。


「仕事の邪魔だ」

「曹操さんは辛くないんですか!」

「お前の舌がおかしいだけだ」

「おかしくないです……絶対!」


 曹操は溜息をつき、「用が済んだのだ、出て行け」と素っ気無く言う。

 真由香はがくんと肩を落としてそのまま帰ろうとし――――転んだ。


「うぅ……」

「はあ……」


 散乱した調度品を見やり、曹操は嘆息した。



‡‡‡




 見えないなりに何とか倒した調度品を片付けた後、真由香は肩を押さえながら廊下を歩いていた。
 曹操は鬼畜だ。
 片付けを全て真由香一人にさせたのだ。

 曹操さんの鬼畜ーなどと繰り返してげんなりと歩く彼女を、遠目に兵士達が不思議そうに見つめていた。

 遠目なのは、彼女が猫族のもとにいた為に、話しかけることを躊躇っているからだ。それに盲目なので扱いが分からない。

 真由香と話そうとする人物は、基本曹操や夏侯淵、夏侯惇……それに加えて、食事を作っている下仕えの老人くらいではないだろうか。
 ここへは強引に連れてこられた真由香であったが、ここで世話になる以上、波風が立った時に不利にならぬよう、この城の人間とはなるべく仲良くしておこうとしていた。そういう風に、劉備に言われていたから。
 しかし、比較的話すことが多い夏侯惇達も真由香のことは苦手なようだ。会話が続かないし、会話の途中で良く急な用事を思い出して何処かへ走り去ってしまう。

 まだまだ道程は長そうである。
 前途多難に思いながらどうしようかと唸っていると、不意に足先が何かに当たってしまった。
 身体が前のめりに倒れる。


「のあっ!!」


 運良く顔面を強打するとまでは行かなかったが、膝を強か打ち付けてしまった。不幸中の幸い――――いや、この場合は幸い中の不幸?
 立ち上がって膝を撫でていると、嗄れた声が聞こえた。


「真由香様!」

「わっ」


 この声は……ああ、いつも世話になっている下仕えの老人だ。
 盲目ではあるが、声のした方向を確かめようと、きょろきょろと周囲を見渡す素振りを見せると、ぎゅっとかさついた手に両手を握られた。


「目の前だよ」


 優しい声に正面を向く。
 真由香は「おじいちゃん!」と声を弾ませた。

 以前名前を訊いたのだが、真由香はあくまで曹操の客人だから下仕えに過ぎない自分の名を呼ばせる訳にはいかないと教えてくれなかった。
 その為、真由香は彼のことを親しみを込めておじいちゃんと呼んでいる。

 本来この老人は城の中を自由に歩いてはならない。
 けれども真由香が一番懐いているので、真由香に会う時だけ城の奥まで歩くことを曹操が許可したのだった。


「今ので怪我は無いようだけれど、肘に痣があるじゃないか。また何処かで転んできたのだね」

「曹操さんのお部屋で一回やっちゃいました」


 たはは、と笑って強か打ち付けた肘を撫でる。
 老人は彼女の頭をそっと撫でて、「もっと気を付けなくてはいけないよ」と優しく叱った。

 こくりと頷けば、手に何か包みを載せられる。


「これは何ですか?」

「食材の残りで作ったお菓子だよ。良かったら、食べておくれ。儂は、また仕事に戻らねばならないからお茶を淹れてはやれないのだが……」

「あ、お茶なら女官さんに頼めば大丈夫だと思います。お菓子、有り難うございました!」


 がばりと頭を下げるとその頭をぽんぽんと撫でられた。
 忙しい中来てくれた老人は、そのまま足早に持ち場へと戻っていった。いつもだけれど、自分の為に時間を割いてくれる彼に申し訳ない。
 いつか町に出て、何か買ってプレゼントしよう。……いつになるのか、分からないけれど。


「……さて。これからどうしようかな……」


 包みを確かめると、食材の残りと言っていた割にはかなりの量がある。これを一人で処理することは難しいだろう。
 かといってこの冷蔵庫も無い世界。すぐに消費しなければ悪くなってしまうだろう。

 一人首を捻って考え込んでいると、後ろに気配を感じた。


「真由香、ここで何をしているんだ?」

「あ、夏侯淵さん」


 振り返ろうとし、止められる。足音が右から前へ。


「何だ? その包み」

「おじいちゃんから貰ったんです。お菓子なんですけど、私一人じゃとても消化しきれそうになくて」


 そこでふと、思いつく。


「夏侯淵さん。よろしければ一緒に食べてもらえませんか?」

「オレが?」


 あ、今ちょっと嫌そうだった。
 やっぱり駄目か……。
 真由香はしょんぼりと肩を落として夏侯淵に謝罪する。


「じゃあ、別の人に頼んでみます。すみません、お忙しい中……」

「い、いや……別に――――」

「それじゃあ私、誰か捜してきます!」


 口ごもった夏侯淵の言葉を遮って真由香はくるりときびすを返した。
 呼ぶなら女官さんだろうか――――いいや、彼女達は老人を良い目では見ていない。きっと彼から貰ったお菓子だと言えば食べてもらえない。それどころか、捨てろと行って来るかもしれない。

 じゃあこの間部屋まで送り届けてくれた兵士達か。
 あ、名前訊いてなかった。これじゃ分からない。
 うーん、とまた歩きながら首を捻ると、夏侯淵に呼び止められた、


「真由香!」

「あ、はい」


 足を止め、身体を反転させる。
 夏侯淵も駆け寄ってきた。何やら慌てた風情である。


「何でしょう」

「あー、その……」


 夏侯淵は言いにくそうに言葉を詰まらせた。
 何を言うつもりなのだろうかと待っていると、彼は辿々しく、


「す、少しだけなら、構わない」

「え――――マジですか!?」

「うわっ」


 まさかの申し出だった。
 真由香は途端に顔を晴れやかにして夏侯淵と距離を詰める。その時の夏侯淵が鼻白んでいたことなど、真由香は気付かなかった。


「良いんですか、本当に!」

「あ、ああ……少しだけ、だからな」


 ……あ、これって、仲良くなるチャンスかもしれない、
 そう思い至った真由香は、笑みを更に輝かせた。


「やった、じゃあ、じゃあ夏侯惇さんも呼びましょう! そしたら夏侯淵さんも居心地悪くないですよね!」

「は? ちょ――――」

「夏侯惇さん! すいません! 夏侯惇さん何処ですかーっ!」

「や、止めろ真由香! 兄者はお前が苦手なんだ! それとお前は転びたいのか!?」


 駆け出した真由香を追いかけ、夏侯淵は言うんじゃなかったと後悔した。



――――このすぐ後に、厩にて真由香が転んで夏侯惇と衝突し、また一騒動を起こすのである。
 逃げ腰になりつつあった夏侯惇に必死に謝罪する姿と、その後に曹操に説教される姿を様々な兵士が目撃している。



●○●

 月華様リクエスト、空蒼で曹操軍ほのぼのです。
 曹操軍でありながら夏侯惇との絡みが無いという……すみませんっ。(>_<)長くなってしまって文字数が大変なことになったのでぐだくだだった最後の部分を切ったら無くなってしまったんです。

 厩で何があったのかここでご説明しますと、
 あれから夏侯淵に捕まって軽くお小言。
 その後厩に行くと、夢主からほぼ反射的に逃げようとした夏侯惇の目の前で見事なまでに荷物に蹴躓(けつまず)いて咄嗟に助けようとした夏侯惇を押し倒すように転んでしまいます。
 その物音と悲鳴に驚いた馬が騒ぎ出し暴れ出し厩を破壊されそうになるわ兵士達が騒動を聞き付けて駆け付けるわ夢主の膝から大量の血が出ているわでもうてんやわんやとなる訳です。
 そして最終的にそこへさすがにキレかけの曹操が現れて説教した後一週間軟禁状態になります。


 ちなみにここでは夏侯惇と夏侯淵は夢主の言動が不可解すぎて苦手意識持ってます。夏侯惇の方が強い。慣れるまでまだちょっとだけ時間がかかります。

 そして夢主がある意味問題児になってます。でも本人に悪気は全くありません。一生懸命生きてるだけなので邪険に出来ません。だけど扱いが分からない。加えて彼女と会話をする勇気が無い。
 この話ではそんな感じになってます。



.

[ 15/21 ]

|