趙雲
たまに、優越感を覚えることがある。
真由香は趙雲を兄として慕う。恐らくは、一番信頼されているのではなかろうか。
彼女の信がこの村の男立ち寄りも抜きんでているからと、嬉しく思うのだ。
されど《兄》という立場は、それ以上になることは無い。
趙雲の望むように、男としてではなく家族としてしか見られない。
二人きりでいる時ですら、意識されないのだ。
誰よりも近い場所であるのに、優越感を感じられるというのに、それではこの感情は満たされない。この立場に甘んじる限り、永久に真由香を女として抱き締めることが出来ない。
そもそも自分が妹だの何だの言ったからこの関係が出来上がったのだ。それなのに今、真由香を女として見、欲しいと思うのは筋違い。
けれどそんな罪悪感も潰されてしまう程に、彼女への想いは強かった。
二人きりで意識するのはむしろ自分。ともすれば彼女の所作に惹き付けられて、いつ疚(やま)しい真似をしてしまうのか気が気でなかったりする。やはり、自分も男の性(さが)を持っているのだった。
手を出しそうになると、決まって真由香の純朴な表情に罪悪感が芽生える。汚せない、汚したくない。彼女の前では気の置けない兄でいたいと頭の片隅でもう一人の自分が叫ぶ。
それでも、彼の欲は収まらない。
自分でも思う以上に、真由香に魅せられていたのだった。
「――――真由香」
「あ、趙雲さん!」
鍛錬を終えて真由香のもとを訪ねると、彼女は部屋の真ん中に座っていた。振り返ったかんばせは、珍しく化粧を施している。衣服も、普段よりもずっと豪華だ。
一瞬だけうっとたじろいだ彼は目を伏せてかぶりを振り、平静を取り戻した。
「どうしたんだ、真由香。その格好は……」
「春蝉さんが新しい服を作ってくれたんです。化粧は何故かいきなり関羽にされました」
「髪の毛がキツキツしてます」と苦笑混じりに言って、頭を触る。
解こうとしているのだと思った趙雲は、咄嗟に手を伸ばして彼女の手を頭から剥がした。少し、力が強かったかもしれない。
驚いたように目を丸くする真由香に、趙雲は慌てたように謝罪した。
「……すまない。だが、滅多にしないのだし、すぐに解いてしまうのは勿体ないんじゃないか?」
「そうですか? 私には見えないのでよく分からないんですけど……変じゃありません? 私なんて、キツいし、服がばさばさして、いつもと違う感じなので変な感じしっ放しですけど」
「いいや、良く似合ってるよ」
本心から言うと、真由香は二度程瞬きして、ふっとはにかんだ。純粋に喜んでくれたようで、心の底で安堵する。
へへ、と小さく笑った真由香は、「じゃあもう暫くこのままでいます」とほんのりと頬を赤らめて目を細めた。
そこで、改めて真由香の姿を眺めてみた。
花簪を差して髪を結い上げ、口に紅もさし、艶めかしさと大人びた雰囲気を醸すかんばせを際だたせるのは、繊細な刺繍の施された真っ赤な衣だ。恐らくは春蝉も今までで一番手を込めたのだろう。蓮と瑞獣を模した白の刺繍は非常に流麗で美しく、粛々(しゅくしゅく)とした神々しさも加味させる。
まるで何処かに嫁ぐかのような姿に、いつもの真由香はいない。
黙っていると、似た顔の別人ではないかと、そんな錯覚に襲われる。
趙雲は真由香の横に腰を下ろし、髪型を崩さないように頭を撫でた。
「春蝉殿も、随分と気合いを入れたようだな。こんなに細かい意匠は、この村の外でもなかなか無いんじゃないか?」
「春蝉さんが嫁ぐ時に着ていた服を使ったんだそうです。先々月から暇を見つけて縫っておられたようで。ここぞって時に着なさいって言われました。『ここぞ』ってのがいまいち分からないですけど」
……多分祝儀だろうな。
心中で、そう返す。
だが、真由香はこの世界の住人ではない。
春蝉だってそれは十分承知している。それでもこの服を贈ったと言うことは、祝儀の備えよりも、真由香が自分達の身内だという一種の意思表示なのだろう。
元の世界に戻ったとしても、それは変わらない。
真由香はいつか帰ってしまう。
ここで誰かと結ばれることなど、有り得ない。
――――ずきり。
胸が痛んだ。
「……真由香も、いつか」
「はい?」
「――――いや、何でもない」
『……ああでも、そう言うの無くても張飛達は張飛達の魅力あるって分かってるよ。そのうち、好きになってくれる人が来るよ、絶対』
『なあ真由香、もしこの三人の中で恋人が出るとしたら誰?』
『え、普通に無理だと思うよ』 先日真由香の家に集まってお茶をしていた時の会話が脳裏に反響する。
真由香にとって、この世界の男性は恋愛対象ではないのだろう。元の世界に戻らなければならないのだから。
それでも自分は彼女を求めて止まない。
『身近にいる人を、気付けば好きになってるかもしれないし……』 彼女の言葉に、小さな希望を見出して縋ろうとする。
年下の少女に、ここまで乱されるとは思いもしなかったことだ。
そして、こんなにも右往左往する自分も。
「でも勿体ないですよね。凄い綺麗な服なのに、見えないんですもん」
「……そうだな。では、代わりに俺が堪能することにしよう」
「うわー……意地悪だ」
言いつつも、彼女は笑顔だ。
趙雲も笑って、ふと目を細めた。
床に手をついて真由香に悟られぬように接近し、側頭部に唇を押しつけた。
真由香は驚いて身体を跳ねさせたが、何をされたのか分からずに不思議そうな顔をする。
「何ですか?」
「いや、芥(ごみ)が付いていただけだ」
「あ、それはありがとうございます」
まったき純粋な感謝が胸に痛い。
趙雲は眦を下げて、己の口を付けた彼女の側頭部をそっと撫でた。
自分の為に女として、真由香が欲しい。
彼女の為に兄として、この関係を守りたい。
……嗚呼、まだまだ葛藤しそうだ。
「茶を淹れよう」
「あ、私が淹れますよ」
「折角の服を汚してしまったら大変だ。お前はそのまま座っていてくれ」
兄として、男として。
自分はどちらで真由香と接して良いのか。
まだまだ、決断が出来そうにない――――……。
●○●
悠璃様リクエストで、関羽との恋愛談義その後です。詳細は省略。
……趙雲の場合、避けては通れない問題ですよねーってことで、葛藤してもらってます。夢主にアピールするとこまで行けてなくてほんとすいません……!
でもアピールする前に手ならぬ口を出してます。ちゃっかりキスしちゃってます。
ついでに言いますと、これ君すぐ決断しちゃうだろ……と最後の一文を書きながら思ってもいました。
そして何となく思ったんですが、夢主って不意打ちでキスされた時、よく分からないかもしれませんね。目が見えないこともありますが、性格的に。
「あれ、今何か口に当てましたか?」的な。
さすがにマシュマロには間違えないとは思いますけど(^^;
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