趙雲




 洛陽の町に住むその青年は、目の前に立つ女性に文を差し出し頭を深々と下げた。

 女性は、隻眼をしばたたかせて困惑しており、文を一向に受け取ろうとしない。
 青年はそれでも彼女が取ってくれるまで、辛抱強く待った。彼は断固たる決意を持って彼女の前に立ったのだ。ここで渡さずに変える訳には行かなかった。後ろは崖だ、そのように思わなければ気の小さい自分はこんな大それたことは出来ない。


「あの……これは、一体……?」

「あ、お……オレの気持ちです!!」

「気持ち、ですか?」


 怪訝そうな声には警戒が滲んでいた。
 怪しい人間だと思われてしまったのだろうか――――いや、それはマズい。非常にマズい。ここであっさり嫌われたらきっと立ち直れないだろう。

 青年は顔を上げて口を開いた。


「オレ、あの、この町に住んでるんですけど!」

「そうですか」


 女性の返しは淡泊だ。
 彼女は青年を、僅かに皺を眉間に寄せて見据えてくる。
 その赤い隻眼の眼光に射抜かれた青年は、彼女を初めて見た時のようにくらりと眩暈がした。全身を燃やすような熱が、また激しさを増したように思う。

 一目惚れとは厄介なものである。
 ほとんど本能が決めるようなものだから、理性ではどうしようとも諦めがつかない。

 気付けば青年は衝動に任せて女性の手に文を渡してその手を両手で握り締めた。

 女性が更に困惑したのが分かる。

 青年はあっと声を漏らして慌てて手を放して距離を取った。


「す、すみません!」

「いえ……それより、用事がございますので。よろしいでしょうか」

「う、え……あ、いや……そ、そのっ、その前に! しょ、食事に、行きませんか!? その、い、いいいつか、いつかで良いんです! オレ、いつでも大丈夫ですから!」

「は、はあ……」


 青年は必死である。
 それもその筈。
 彼には自分と同様彼女に想いを寄せる恋敵がいるのだ。

 恋敵が来る前に、何とか先手を取っておきたかった。


――――の、だが。


「幽谷!」


 途端に舌打ち。青年のものではない。女性から放たれたものだ。
 彼女は後方を振り返り、外套の下に手をやる。そこから色んな凶器が出てくるとは青年も知っている。最初こそ驚いたが、今や戦乱の世の中だ。何が起こるか分からない。洛陽に住み着いているのでない女性が自己防衛の為に武器を隠し持っていたちとて何ら不思議ではなかった。

 現れたのは長い髪を高く結い上げた、自分と同じ年程の青年である。彼は女性――――幽谷と向き合うように立つとこちらを見て一瞬だけ目を細めた。

 武将然としたキツい眼差しだが、青年も負けじと睨み返す。肝の小さい男ではあるが、こればかりは譲れるものではなかったのだ。


「……何ですか、趙雲殿」

「姿を見かけたのでな。今日は、関羽は一緒ではないのか」

「陣屋におられます。では」


 幽谷はこの男、趙雲が苦手なようだ。
 滅多に動かないかんばせが歪む様は、優越感を抱くと同時に、自分には見せてもらえない表情だと悔しくなる。


「すまない、少し彼女を借りるぞ」

「は? ちょ――――」


 青年が呼び止める暇も無かった。

 幽谷の手を掴んだ趙雲は、そのまま逃げるように青年から遠ざかった。

 青年が咄嗟に伸ばした手は、誰にも届くことが無く、すぐにだらりと垂れた。
 かと思えば、額を片手で覆い、長々吐息を吐き出した。


「またあいつに邪魔された……!!」


 何度目だよ、と嘆くも誰もその答えを知る筈もない。



‡‡‡




 幽谷はいい加減苛立ちが爆発しそうだった。
 手首をがっちりと掴んで放さない趙雲は、そのまま雑踏の中を大股に進んでいく。一言も発さずに、ただただ進むのみだ。

 一体何が何なのか分からない。

 よく分からない輩に絡まれて何やら文を渡されるし――――しかも育ちの良さ誇示張するような上質な紙だ――――手も握られるし、果ては趙雲にまで遭遇してしまうし……。
 最近の自分は何かしらに憑かれているのではないのかと思えてならなかった。

 ほうと重く吐息を漏らすと、唐突に趙雲が立ち止まる。
 それから手を離したかと思いきやくるりときびすを返して双肩を掴んできた。咄嗟に咽元に匕首を突きつけてしまったのは仕方がない。自分に非は無い。

 町中であることを考慮して一旦匕首を下げると、彼は真摯な顔して馬鹿げたことをのたまった。


「あの男の告白を受けたのか?」

「とうとう頭がおかしくなったのですね、金輪際近付かないで下さいまし」


 馬鹿だ、この男。
 何が告白だ、何が。
 思い切り顔を歪めて手を振り払った幽谷は、そのまま身体を反転させて陣屋に帰ろうとする。あの青年に言った用事とは、彼から逃れる為の出任せだった。

 されど、幽谷の腕を趙雲が再び掴み強く引かれた。
 振り払うと、ぱしんと乾いた音が立った。

 けれどもその手を掴まれてしまう。


「……何でしょうか」

「頼む、これだけは答えてくれ」

「告白をされた覚えがありませんが一体何を答えろと?」


 声を低くして殺気を孕ませるが、彼にはあまり効果が無いらしい。つくづく、腹が立つ。
 告白だの何だのと、一体何が何だか分からない。
 真剣なのは彼だけだ。しかも異様な程に。
 ……早く解放されたい。

 趙雲は周囲の視線が集まっていることに全く気が付いていないようだ。好奇の目に晒されるこちらの身にもなって欲しいところだ。四凶であることを隠している自分が、こうも目立つのには問題がある。


「では、告白は了承していないんだな」

「身に覚えが無いと何度言ったら分かるのです。いい加減、首を切りますよ」


 鬱陶しそうに言うと、趙雲ははあと吐息を漏らして幽谷の手から文を取り上げた。


「……そうか。なら良いんだ。ではこれは、俺があの青年に返しておこう」

「はあ……」

「ああ、そうだ。良ければ今度食事に行こう」

「お断りしま……」


 何を安堵しているというのか、趙雲はにこりと幽谷に笑いかけると、彼女の返答も待たずにそのまま文を持って駆け出した。

 ……残された幽谷は何がどう言うことなのか全く分からないままだ。おまけに何故か勝手に約束を押し付けられた。
 苛立ちを何処かに当てることも出来ず、舌打ちをして拳を握り締めた。


「……今度会った時殺す」


――――物騒な言葉を口にして。



○●○



 紫葵様リクエストで、はらから夢主と趙雲です。やっぱり甘……くないですね。あうぅ。

 まだ一番絡めてた洛陽のお話です。……この辺りが一番絡ませやすいんです、はい。

 良いとこの青年が夢主に恋文渡す話です。何気にこういう話は好きなんです。
 そして安定の夢主。趙雲に対して辛辣ですね! 書いていて楽しいです。本編が暗いので特に。

 あと、趙雲は割りと頻繁に青年の恋慕(ほぼ毎日のように物陰からこっそり見てます)邪魔をしてます。水面下。なので夢主が知ってる筈もなく。



 お久し振りです紫葵様!
 勿論覚えておりますとも! 忘れる筈がありません!!\(^o^)/

 ありがたいお言葉を沢山いただきまして、ただ今胸がはち切れんばかりです。
 紫葵様が拙宅で楽しんでいただけたのであればそれだけでもう十分です! これ以上無い幸せです(´∀`)

 こちらも、最近はまた十三支に関して更に熱くなってきてまして、本編の最後をどうするか改めてあれこれ考えています。

 今回もリクエストして下さってありがとうございます。
 しかも今回は、二つも!
 どちらも精魂込めて書かせていただく所存です。

 残る一つ、気長にお待ちいただけると嬉しいです(^-^)



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