ニコ様






 武官に茶化された。
 あなたの幼なじみは十三支と浮気をしておられるようで――――。


「○○?」

「……いえ。申し訳ございません、公孫賛様」


 公孫賛様に呼ばれて我に返った。
 そうだ、今は仕事中だ。

 武官に言われた言葉が、今日だけはいやに離れてくれない。女官としてちゃんとこなさなきゃいけないのに。
 いつもだったら気にはしない筈の、下らない戯れ言。

 あたしは公孫賛様に謝罪して部屋を辞した。
 廊下を歩きながら、自分を咎めるように、両の頬をぱんと強く叩いた。

――――あたしと趙雲と言う男は、親の縁で何かと接触が多かった。
 一応、今でも接することはあるけれど、地位ではあたしの方が下。いつも頭を下げて、敬語で、遜(へりくだ)る。

 女なんて、結局はそんなもの。
 何を想っても報われやしない。

 何もかも無駄に終わるのだ。

 特に、《今》のあたしは。


「○○殿、○○殿」


 廊下を歩いていると文官に呼び止められる。

 あたしは足を止めて相手に拱手(きょうしゅ)した。良いと言われるまで頭は下げたまま。
 視界に入るように差し出されたのは文だ。
 ああまたかと吐息がこぼれた。


「趙雲殿に文をお渡ししたいのだが」

「承知致しました」


 文を手に取り懐に収めた。
 再び文官に拱手して足早にその場を離れる。

 文の内容なんて考えなくても予想はついた。
 見合いだ、見合い。
 いつもあたしが文を渡す役目。幼なじみだから受け取ってもらえると分かってのことだろうし、あたしへの牽制(けんせい)の意味合いもある。

 一体何処から漏れたのか、あたしが趙雲に懸想(けそう)しているなんて噂が密やかに出回っている。
 それは事実だけど、あたしは同僚にだって話したことが無い。誰も知っている筈がないのに何処から湧いたのか……。

 けれども、そんな心配なんて必要無いのだ。

 もはやあたしは後ろ盾も無い一介(いっかい)の女官。
 両親が亡くなった今、あたしは公孫賛様のご厚意でやっていけているだけなのだ。
 今のあたしに《家柄》は無い。

 彼とあたしは釣り合わない。



‡‡‡




 厩番の話では、彼は蒼野にいるらしい。

 あたしは仕方なく厩で借りた馬を走らせた。

 誰でも良い、猫族に会ったら文を渡してもらえるよう頼んでそのまま帰ろう。女官長に事情を話しているとは言え、仕事はまだ山程残っているのだ。
 蒼野に到着し、あたしは馬を村近くの木に括り付けて村に入った。周囲をきょろきょろと見渡していると、近くの家屋から声をかけられた。

 くすんだ銀の髪をした少年だ。

 彼に怪しまれる前にと、あたしは先に用件を伝えた。


「こちらに趙雲様がおいでだと聞き、参りました。急ぎあの方に文をお届けしなければならぬのですが」

「……ってことは、公孫賛様のとこの? 趙雲なら少し前関羽達と花を摘みに行っちまったぜ」


 ざわ。
 途端に胸がざわめく。

 関羽と言うのは、猫族の中でも飛び抜けた武を持った猫族の娘だ。
 公孫賛様が嬉しそうに話して下さったのを覚えている。
 公孫賛様は、猫族に偏見は持っていない。

 趙雲もそうだ。
 彼は猫族に対しても優しいのだろう。

 そして、多分関羽という娘に――――。

 ああ、考えなくて良い。
 考えるな馬鹿。そんな感情、持ったってどうにもならないってば。


「左様でございましたか。では、趙雲様にこの文をお渡し願えないでしょうか」

「え? そろそろ戻ってくると思うけど、待った方が……」

「わたくしにはまだ仕事がございます故に。ご迷惑をおかけしてしまいますが、何卒(なにとぞ)よろしくお願い致しします」


 関羽と親しげな彼の姿なんて見たくも――――ああもう、だから考えちゃ駄目だってば。

 少年に頭を下げてあたしは足早に馬のもとへと戻る。
 これで面倒事は終わった。早く戻って仕事を片付けなくては、


「○○!」

「……げ」


 聞こえない。
 あたしは何にも聞こえない。
 気付いていないフリしてさっさと帰、


「待ってくれ、○○!」


 れませんでした。
 あたしは掴まれた腕を振り払って《彼》――――異様に晴れやかな笑顔の趙雲に向き直り、拱手した。


「来ていたのなら、待っていてくれれば、」

「猫族の方に、文を預けております。大事な文と仰せでしたので、何卒早急に目をお通し下さいますよう。わたくしはこれにて失礼致します」


 言葉を遮って早口に捲(まく)し立てる。
 態度から早く帰りたいと訴えてみるけれど、彼が何かを言う前に、


「趙雲!」


 とても愛らしい声が趙雲を呼んだのだ。

 今日は厄日。
 絶対に厄日だ。



‡‡‡




 彼女が関羽だとは、一目で分かった。
 愛くるしい中に何処か父に似た凛々しさを持っている。女である筈なのに、あたしよりも身長は低いのに、頼もしさを感じる。
 どんなに着飾った女も、彼女のこの純真さと凛々しさには劣ってしまうだろう。
 関羽という娘は、ただその場にいるだけでも惹きつける。
 ただ惜しむらくは、猫族が十三支と蔑まれていること。それが、彼女の長所をくすませてしまう。
 負けたと本能で察した。


 関羽はあたしに気付くと慌てたように頭を下げた。

 あたしも会釈する。


「趙雲。この人は?」

「俺の幼なじ」

「公孫賛様の下で女官として働かせていただいております、○○と申します。この度は、趙雲様に文を届けに参りました」


 趙雲が物言いたげにあたしを見下ろす。

 彼が何故そんな顔をするのか分からないあたしは二人にこうべを垂れて馬に乗ろうと近付いた。

 けれども、鞍に触れた手に大きなそれが重なる。
 趙雲の手だ。
 こんなに大きくなっていたのかと、場違いにも感嘆した。


「ここは城の中ではない。外でくらい、昔のように接することは出来ないか?」

「……下らぬ戯れ言を仰いますな。わたくしは、一介の女官です」


 履き違えるな。
 趙雲は単に昔みたいに接したいだけだ。
 深い意味は無い。

 《これ》は閉じ込めておくべきなのだ。
 それは分かっている。

 けれど――――無性に苛々する。
 何で、関羽と一緒にいなければならないのか。
 駄目だ、このままいたら関羽に当たってしまう。

 あたしは大きな手をやんわりと剥がして、趙雲に向き直った。


「勘違いなさいませぬよう。わたくしは、身分も何も関係無く付き合えるような女ではございません。わたくしの家はもう潰れております。今のわたくしは公孫賛様のご厚意で女官でいるだけの、何の地位も無いただの女でございますれば、趙雲様と以前のようにお話しするなど、なんと恐れ多いことでしょう。人の世の一切を考えずに付き合える娘をご所望ならば、そこにいらっしゃるのではありませんか。猫族ならば、人間の身分など関係がありませぬ故。……それに、彼女はとても素晴らしいお方のようですし」


 いっそ関羽のところに行ってしまえば楽かもしれない。
 敵わないと直感した相手だし、人間のしがらみなんて猫族には何ら関係がない。

 そうなればさすがの己も諦めがつく。そうだ、それが良い。

 だからもうこの嫌な気分から解放されたい。
 嘆息すると、関羽が躊躇いがちにあたしを呼んだ。


「あの……○○さん」

「何でしょう」

「あの、もしかして……もしかして、なんだけど……わたし達に嫉妬してる……?」

「――――」


 絶句。
 あたしは唖然と口を開いて関羽を見つめる。

 すると、彼女は慌てたように、


「だったら違うの! 趙雲は、」

「違いますから!!」


 関羽の言葉を遮ってあたしは怒鳴るように否定した。
 彼女に言われて気が付いた。あれじゃ、確かにそう思われても仕方がない。
 何であんなことを!

 あたしは火を噴く思いで唇を引き結び、馬に飛び乗った。
 けれど、乗った直後に趙雲が腕を掴んで引きずり下ろしたのだ。


「な、」


 傾ぐ身体に全身から血の気が引いた。
 目を瞑ったその後、温かい物に包まれる。一定の感覚で聞こえる音に、混乱した。

 苦しいくらいに抱き締められている。

 趙雲に。


「関羽、すまないが少し二人きりにしてもらえないだろうか」

「分かったわ」


 「頑張って」と、意味の分からない言葉をかけた関羽の足音が遠ざかる。
 待ったをかけたいのに趙雲が駄目だと言わんばかりに身体を締め付けるから呻きしか出てこない。

 ようやっと解放されたかと思えば趙雲の顔が間近にあって、心臓が止まりそうになった。


「趙う」

「好きだ」

「……は?」


 頭が混乱する。
 この人何を言ってるんだろう。これ人の言葉?
 あたしは茫然と彼の顔を見つめるしか出来ない。

 だって、理解が出来ない。

 好き?
 ……は? 何語?


「申し訳ありません。話が分からないのですが」

「……分からない、か?」


 趙雲は困ったような顔をする。いや、そんな顔をされても困っているのはこっちも同じだ。


「……取り敢えず、仕事に戻らせて下さい。仕事が残っていますので」

「…………すまない」


 そこで、何故か趙雲は肩を落としてあたしから離れる。

 怪訝に彼を見上げるあたしは、頭の中でもう一度彼の科白を繰り返す。
 いきなり人を馬から引きずり下ろして、彼は何を言い出すのか。
 あれじゃまるで告白じゃないか。

 そう、こく、は、く……。


「あ」


 ……分かった。

 頭が追いついた。

 けれども追いつかれて困るのはあたしだ。


「……っ」


 途端に全身が燃える。
 追いつかなくて良かったじゃないか!
 あたしは両手で頬を押さえて俯いた。

 それを、趙雲に気付かれてしまって、顔を覗き込まれてしまう。


「……○○?」

「!」


 咄嗟に腕を振って彼を追い払う。
 それからすぐに馬に乗って今度こそ、その場から逃げ出した。



 あたしは知らない。
 後ろで趙雲がどんな顔をしていたのか。
 ……翌日から、どうなるかも――――。



●○●

 ニコ様リクエストです。
 内容は趙雲と仲の良い猫族に嫉妬し、何らかの形で知られる、です。

 最初は恋人だった筈なんですが気付けば趙雲→→←夢主な両片思いになってました。……って、文字数調整で数ヶ所省いてるんですが、分かるでしょうか。

 甘、とありましたので甘くて笑える話を目指した筈が切ないものに変わってます。あれー……。

 とにかく、この話では後に趙雲が猛烈にアピールし出す……筈(・・;)そこに関羽も加わったら大変そうな気もします。
 ちなみに書いてませんが彼は関羽に夢主とのことを相談していたという設定がありました。加えて、昔の夢主を姿を重ねていたというものも。出せば幾らか甘くなったかも……あぅ。


 ニコ様、この度は参加していただけて、本当にありがとうございました。

 空蒼について、そのように言っていただけて嬉しく思います。(^-^)
 どうか、これから先も精一杯生きている空蒼夢主を応援していただけたら幸いです。

 今回ニコ様のお気に召していただけるか不安ですが、何卒お受け取り下さいませ。

 リクエストして下さって、本当にありがとうございました!



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