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――――最近、幽谷の様子がおかしい。
関羽と話している時ですら彼女はままに上の空であることが多くなった。
自分と話しているのに、別のことを考えているのが非常に寂しい。
自分を見ているのに、別の誰かを見つめているのが非常に悔しい。
何を考えているの?
あまりにも上の空になるものだから、思い切ってそう問いかけた。
けれど彼女は返答を曖昧に濁すのだ。
……頬を、ほんの少しだけ赤く染めて。
その反応だけで、漠然と察した。
ああ、彼女は恋をしているのかもしれないのだと。
嘘だと思いたかった。
そんなことは、有り得ないとずっと思っていたのに。
だって、だってだってだって。
幽谷は――――ずっとわたしの傍にいるって言っていたじゃない。
幽谷が人らしくなれるまで、わたしが手伝うって約束したじゃない。
そんな変化、要らないわ。
だってそこにわたしがいないのだもの。
幽谷が自分ではない誰かへと惹かれていく――――そんなの、許せる訳がない。
寂しい。
寂しい。
寂しい。
行かないで。
行かないで。
わたしの傍にいて。
段々と、重く、暗く沈んでいく心中に、身体も頭も異常を来(きた)していく。幽谷を見る度に、色々な衝動が、感情が膨れ上がっていく。
……確かめたい。
はっきりと彼女が本当に恋をしているのか、その相手は誰なのか確かめたい。
関羽は幽谷を監視するようになった。
話をする時はいつもの通りにしつつ、幽谷に気配を捕まれないよう細心の注意を払いつつ。四六時中彼女の動向を見守った。
知りたい……いいや、自分は幽谷のことを知っていなければならない。
……だって、自分は幽谷の主人だもの。彼女のことは何もかも把握しておかないと駄目だもの。
自分が知らないことがあることの方がおかしいじゃないか。
知らなければ。
幽谷の、何も、かも――――。
‡‡‡
「あ……」
それはある昼下がりのことだっあ。
見失ってしまった幽谷を捜して曹操の城を走っていた時、関羽は偶然にも見てしまった。
一人の男と、幸せそうに話している幽谷の姿を。
相手は関羽もよく知る人物だった。最近彼女を四凶として見なくなったと思っていたが、まさかこんなことだったとは思わなかった。こんなに近くなっていたなんて!
足下が瓦解するような感覚に襲われた関羽は、たまらずその場から逃げ出した。
私室に飛び込んで寝台に突っ伏し啜り泣く。
嗚呼、嫌だ。
嫌だ、嫌だ、嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌いやいやいやいやいやイヤイヤイヤイヤイヤ○×□◎……。
離れていってしまう。
幽谷が、わたしの前からいなくなってしまう!!
あなたはわたしの親友でしょう? あなたの大事な人はわたしだけでしょう!?
わたし以外に作らないで。わたしから離れていかないで。
そんなの、許せない。
胸が張り裂けそうだ。
心が切り裂かれて血をだらだらと流す。
苦しくて苦しくて死にそう……。
自身を苛(さいな)む強い孤独感に耐えかねて寝台に爪を立てながら、彼女は幽谷の名を絞り出すように呼んだ。
されども、幾ら待っても彼女はここには来ない。
‡‡‡
その日から、関羽は部屋に引きこもった。
理由はただの体調不良だと曹操に伝えてある。風邪かもしれない、誰かに移す訳にはいかないからと幽谷ですら部屋に入ることを拒んだ。
けれども、それは嘘だ。
今、自分がどれだけ不安定なのか分かっている。
こんな自分が幽谷に会えば、何をするか分からない。ややもすると、幽谷を傷つけかねなかった。幽谷に嫌われるのだけは、絶対に避けたい。そんなの気が狂ってしまう。死んだ方がましだ。
一日二日と、とにかく自分の精神が安定するまで部屋に閉じこもっていたかった。
けれども、四日ばかり経った頃だろうか、拒絶してから部屋に来ることを控えていた幽谷が訪れた。
扉を開けると、幽谷は悲しげに笑って頭を下げた。
「お食事をお持ちしました。……あまり口にされていないようでしたので」
「よろしいですか?」と首を傾げて許可を待つ幽谷に、全身が熱くなるのが分かった。嬉しい。幽谷が関羽の心配をしてくれていた。それだけで身体ごと浮き上がるような幸せを感じられた。
精神ももうだいぶ安定してきたから、関羽は快く彼女を部屋に招き入れた。
「心配をかけてごめんなさい。もうだいぶ良くなってきたから、すぐに復帰するわ」
寝台に座り、幽谷から粥を受け取った関羽は彼女に笑顔を向けた。
隣に腰掛けた幽谷も微笑を浮かべて関羽の頭をさらりと撫でた。
その柔和な笑顔は、今は自分だけのもの。
「曹操殿は平癒した後も二日程は休めと仰っているわ。あなたのお役目は私が請け負うから、まだ休んでいて」
「……ありがとう、幽谷。本当にごめんなさい。わたしの仕事までしてくれているなんて」
「私はあなたに仕えているのだから、当たり前だわ。だからあなたは気にしないで、身体を万全にすることだけを考えてちょうだい」
こくりと頷くと幽谷は色違いの目を細める。
「やはり、あなたの笑顔が、私の最高の宝です」
あなたの笑顔が無ければ、とても寂しいわ。
幽谷の言葉に、むくむくと胸の中で膨れ上がるモノがある。
それは扱いを間違えれば危うい刃にもなり得るモノだ。
――――独占欲。
幽谷をこのまま自分しか見ないようにしたい。
やっぱり、幽谷はわたしの傍にいないと駄目なのよ。
幽谷とわたしで一つでないと。
幽谷。何処かに行くなんて許さない。
ずっと、ずっとわたしの傍にいないと駄目なのよ。
だって、だって、約束したんだもの。
違えることは出来ないのよ。
「……関羽?」
「――――ううん、ごめんなさい。何だか、嬉しくて。幽谷、今日は一日ここにいてもらったら……駄目かしら? ずっと籠もりきりだったから、話をしたいなって」
甘えてみる。
滅多に頼らない関羽が甘えると、幽谷は逆らえないことを分かってのことだ。
「そう言うと思って、仕事は終わらせておいたわ」
幽谷は口角を弛め、関羽の望む言葉をくれた。
そんな幽谷だから、放したくないのだ。
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